MIHOの旅

私は海外旅行先を選ぶ際に他の方の旅行ブログを参考にしています。私のブログもご参考になれば幸甚です。

ドイツ・スイス・フランス周遊旅行 その54 帰国&お土産編

2011-07-05 05:15:12 | ドイツ・スイス・フランス旅行
シャルル・ドゴール空港から帰途します。
この空港、昔は宇宙的な感じがして、素敵な空港だなと思っていたんですが…
年数が経って、北京とかモスクワとか新しい空港を見てしまうと古さが目立ちます。

これはホテルの朝ごはん。フランスパンを心おきなく食べました。


帰りもドイツ・ルフトハンザ航空でした。パリとフランクフルト間は満席でしたが、
フランクフルトと東京間は空いていました。その分、サービスも良かったです。
ほとんど、寝ていましたが。
尚、直行便のはずが帰りも仁川空港経由で帰ることになり、当初予定より4時間ほど
遅れての日本帰国となりました。


モエ・シャンドンとおつまみ。
エコノミーなのにシャンパンが飲めて、ラッキー。


ドイツビールも飲みました。パスタの味も良かったです。
ドイツの食事、甘さとか塩加減とか日本人好みだと思いました。


2回目の機内食。この味も好きでした。


日本には午前中着いたので、家でもゆっくり出来ました。

最後に。お土産です。
フランスではカマンベールチーズとブルサンを買いました。
あと、タラモソース。日本でも売っているものばかりですが、買ってしまいました。


フォシエのお菓子。左から2番目のビスキュイローズはシャンパンにも合うことで有名。
新酒のシャンパンが出来上がって試飲する際にビスキュイを浸して食べたのが始まりだそうです。


そして、ここぞとばかりにフォションのお茶とコーヒーを溜買いしました。
フォション大好きです。日本で買うよりも20%位安かった気がします。


マキシムのココアも2缶買いました。


全体的な感想としては、ヨーロッパの都市、自然、歴史と欲ばりに楽しめるツアーでしたし、
結構短期間で色々と回れて楽しかったです。
叉、新婚旅行での人気なコースで、7名中新婚さんが2ペアいらっしゃいました。
人気コースらしいです。
旅行を検討されている方がいらっしゃったら、是非。お薦めです。

ということで、54日間に渡ってだらだらとドイツ・スイス・フランス周遊の旅を紹介してきましたが、
これにて終了です。

ドイツ・スイス・フランス周遊旅行 その53 モン・サン・ミッシェル修道院(7)編

2011-07-04 05:12:26 | ドイツ・スイス・フランス旅行
見学を終えた後は、1時間の自由時間となりました。
お土産を買ったり、写真を撮ったりしたらあっという間に過ぎてしまいました。

北東からの眺めです。


カモメがいました。


登ってきた階段を今度は降りて行きます。


サン。ピエール教会だと思われる。自信がないですが。




左が北塔。右にみえるのがブクル塔。


ブクル塔からの眺めです。


低塔。


半月塔からの眺めです。


面白いオブジェがありました。さるかな?


モン・サン・ミッシェルの軍事要塞の跡がしっかりと残っていました。
ここから敵に攻撃をしていたんですね。


大きさは色々ありました。


こんな感じで敵をみていたんですね。


さて、これでモン・サン・ミッシェルの観光は終了です。


帰りのバスの中ではほとんど寝ていました。
パリのオペラ座に着いたのは夜の8時。オペラ座が綺麗にライトアップされていました。


パリナンバーワンデパートのギャラリー・ラファイエットは8時閉店ですが、木曜日だけ9時まで営業。
ですので、一時間ほど買い物が出来ました。尚、このデパートには日本語デスクがあり、
免税手続きがスムーズに出来ました。


ご飯は疲れていたので、買い物後にレストランに入る気力はなく。
デパートの隣にあるマックも開いていましたが、パリならクロワッサンだと思って
スーパーに寄って、夕飯を買いました。10時頃ホテルに戻って、サラダとクロワッサンをいただきました。
久々にVOGUEを読んでみました。ちょっとパリジェンヌ気分になりました。

ドイツ・スイス・フランス周遊旅行 その52 モン・サン・ミッシェル修道院(6)編

2011-07-03 05:05:15 | ドイツ・スイス・フランス旅行
修道僧の納骨堂の隣にはステファヌスのチャペルがあります。


チャペルの反対側には医務室があったそう。


人体の絵が描かれていて、なんとなく医務室っぽい。


長い階段を降ります。


途中、登ることもあります。


階段を降り切ると、西のテラスの真下に出ます。修道僧の遊歩道と言います。
2つの身廊が特徴。円天井は交差リブになっています。


身廊は一見綺麗に見えますが、下の階に続く階段があったり、


壊された一角があったり、


岩肌がむき出しになっていたりしています。


こんな所もありました。


メルヴェイユの棟の騎士の間。列柱を支えるために建設されました。


部屋の真ん中に大きな穴があります。
下の階から食べ物を持ち上げたりしていたそうです。
時にはお酒もだそうです。修道院は時代によって厳しい戒律があったり、だらけたりと
色々だったようです。


さて、階段を降りて最後の司祭館に入ります。
修道僧が巡礼者を迎え他場所です。


ここも柱が沢山あり、建物を支えているお部屋だということが分かります。


大天使ミカエルの像。フランス語でサン・ミッシェル。


先ほどの騎士の間の穴と続いています。でも、誰が穴を開けたんでしょう。
不真面目な修道僧もいたものだ…


以上で観光は終わりです。出口では記念メダルが売っていました。



ドイツ・スイス・フランス周遊旅行 その51 モン・サン・ミッシェル修道院(5)編

2011-07-02 05:07:29 | ドイツ・スイス・フランス旅行
階段を下りると


途中、踊場があります。


その踊場には大天使とオベール司教の壁画があります。
モン・サン・ミッシェル修道院建設はオベール司教のお告げから始まったのでこの壁画が
飾られています。
708年、オベール司教は夢の中で大天使ミカエルからこの岩山に聖堂を建てるよう言われます。
けれども、夢の中の出来事だったので本当だとは思わず無視。2度目に同じ夢を見ても
夢だと思って、叉無視。3度目のお告げの夢で大天使ミカエルがオベールの額に指を触れて
強く命じたところオベールは脳天に稲妻の衝撃を感じます。あくまでも夢の中でですが。
けれども、翌朝、オベールは自分の脳天に穴が開いていることに気づき、大天使ミカエルの
お告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作りました。


この壁画は丁度、大天使ミカエルがオベール司教の頭に指を差し込んでいるところが
描かれています。


階段を降り切ると迎賓の間に出ます。丁度食堂の真下。
王や貴族を迎える部屋として使われました。


暖炉がありました。外の光がまぶしい。




小さいお部屋がいくつかありました。


モンサンミシェルの紋章のホタテ貝の柄のステンドグラス。


数世紀に渡り、増改築が繰り返されてきたため、複雑な形状をしています。


太柱の礼拝堂。修道院付属教会のゴシック様式内陣を支える土台として
15世紀に建設。重さを支えるため、その名の通り、太い柱が使われています。




マルティヌス礼拝堂。1000年頃に建設。


壁の厚さが分かりますか?壁の厚さはドアの幅と同じだけあります。
重さを支えるため、ここまで壁を厚く作っていると思うと感動します。


修道僧の納骨堂。19世紀に復元された中世の貨物昇降機があります。
1820年、修道院が牢獄として使われていた時に囚人用の食事を運搬するためのものでした。






車輪の中に人が入り、歩いて動かす仕組みです。軸に綱を巻き付け、荷物を引っ張り上げました。


こんなところに入れられて歩かせられるなんてぞっとします。

ドイツ・スイス・フランス周遊旅行 その50 モン・サン・ミッシェル修道院(4)編

2011-07-01 05:01:42 | ドイツ・スイス・フランス旅行
昨日の続きです。教会と住居塔は吊橋で連結されています。分かりますか?
尚、大階段を登りきると、


西のテラスに出ます。目の前には修道院付属の教会が現れます。


でも、教会よりも眺めがとても綺麗でした。干潟とクエノン川と道路(ラ・カゼルヌ・アルデヴォン)。






1897年に完成したネオゴシック様式の尖塔と鐘楼。てっぺんには金メッキのミカエルの像。




教会内部の様子です。アーケード、階廊席、高窓の3層からなっています。


天井は板張りヴォールトで極力軽くなるよう木を使用しています。


円形アーチでは柱の数を多くすることで尖塔の重さを分散させています。


毎日、鐘楼はこのひもを引いて、鳴らしているそうです。


列柱廊。祈りと瞑想をする場所で、祝祭日にはここで礼拝の行進が行われていたそうです。


13世紀に造られたメルヴェイユの棟の最上階でもあります。


この列柱廊からも外を眺められるのですが、綺麗でした。




食堂です。一人の僧が独唱する間に黙々と他の修道僧は食事をしたそうです。
おしゃべりは出来なかったそうです。


食堂の窓。幅の狭いステンドグラスになっています。奥まって作られているので
入口からは見えないようになっています。華美な装飾は極力見えないようにしていたのかな?