その日は次の日からの名古屋1泊旅行の用意をしていました。
たまたまテレビをザッピングしていたらニュースステーションに当時メジャーリーグにいた新庄選手が出ていたので、チャンネルを合わせました。
普段その時間にニュースをつけることなんてほとんどないのに、その日に限って。
ながら見をしていると、久米さんが「すごいニュースが飛び込んできました。明日の朝はすごい騒ぎでしょう」って言うわけです。
「何があったのー?」なんて軽い気持ちで画面を見ると、「稲垣吾郎逮捕」って出てるじゃないですか。
そこからパニックです。
何をどう考えていいのか、整理していいのかわからない。まさに頭の中が真っ白。
明日名古屋行くの?ライブあるの?そんなことはどうでもいいよね?吾郎ちゃん何したの?何があったの?嘘でしょ?
なんで???
インターネットで情報を探すけど憶測ばかりが広まって、不安で怖くて。
結局睡眠時間2時間くらいで名古屋に向けて出発しました。
ライブがあるらしいとわかって、とりあえず安心して。
30分押しでライブが始まったけれども、それはその年のそれまでのライブで観たのとは全然違うオープニングで。
4人が頭を下げていて。
吾郎さんがいなくて。
でも普段どおりにライブをやってくれているメンバーがそこにはいて、MCでは明るく話してて。
いつもより少し短いライブだったけど、ずっと泣きながら観ていた気がします。
次の日のライブ終了後、帰りの車の中で吾郎さんの記者会見を見ました。
後部座席から身を乗り出すようにテレビに見入りました。
車の中にいたスマファン3人は号泣でした。
ボロボロ泣いている私たちを見て、当時4歳と2歳の子どもが慰めてくれました。
そのことがあった直後の数日は憶測が飛び交い、「解散」とか「脱退」とかいう言葉が常に出ていて、それはもう不安でした。
しばらく経った頃、中居さんがラジオでそのことを話してくれて、はっきり言ったわけです。
「吾郎を待っててほしい」と。
こんなに嬉しい言葉はありませんでした。
その後拓哉もラジオで同じような発言をしていて、そりゃもう、全身全霊をかけてSMAPを守ってやろう、くらいの決意でした。
たぶん、多くのSMAPファンがそうだったのではないでしょうか。
それからの約4ヶ月は恐ろしく長く、恐ろしく涙腺が緩かった(笑)
「56」とか「5人」というキーワードが少しでもあると嬉しくて。
(テレフォンショッキングのアンケートで“56”人だった木村さんがすげー嬉しそうだったり。いいとも特大号で4人で「吾郎!」って手を振ったり)
で、年明けの生スマで来週から吾郎さんが戻ってくると報告があり。
あの夜から143日目の1月14日。
その日は友だちのコンサートだったけれど、「スマスマまでに帰るから!」と非情なことを言い、途中で抜け出し(ま、その友だちもスマファンなのでいいんですが)ギリギリにテレビの前へ。
子どもがいたらうるさいだろうと気を利かせてくれた友だちのだんな様が、子どもを連れてドライブに出てくれて。
ハンカチ片手にスマスマを観ました。
SMAPはやっぱり5人だと思ったし。
すごいグループだと思ったし。
ほんとにほんとに大好きだと思いました。
その夜の涙は最高のうれし泣きでした。間が持たず放送時間内に帰ってきたチビたちは、またまた泣いている私たちを見てびっくりしていましたが、ティッシュを持ってきて涙を拭いてくれました。
今ではネタになっているところもありますが、あの頃は本当に辛かったし苦しかった。
単に芸能人を好きなだけなのになんでこんな辛い思いをしなきゃいけないんだろう…なんて思ったこともありました。
吾郎さんのしたことは悪いことだったかもしれないですよ、確かに。
だけど、何があってもSMAPのことは好きだし、信じてるし、守りたいと思った出来事でした。
たまたまテレビをザッピングしていたらニュースステーションに当時メジャーリーグにいた新庄選手が出ていたので、チャンネルを合わせました。
普段その時間にニュースをつけることなんてほとんどないのに、その日に限って。
ながら見をしていると、久米さんが「すごいニュースが飛び込んできました。明日の朝はすごい騒ぎでしょう」って言うわけです。
「何があったのー?」なんて軽い気持ちで画面を見ると、「稲垣吾郎逮捕」って出てるじゃないですか。
そこからパニックです。
何をどう考えていいのか、整理していいのかわからない。まさに頭の中が真っ白。
明日名古屋行くの?ライブあるの?そんなことはどうでもいいよね?吾郎ちゃん何したの?何があったの?嘘でしょ?
なんで???
インターネットで情報を探すけど憶測ばかりが広まって、不安で怖くて。
結局睡眠時間2時間くらいで名古屋に向けて出発しました。
ライブがあるらしいとわかって、とりあえず安心して。
30分押しでライブが始まったけれども、それはその年のそれまでのライブで観たのとは全然違うオープニングで。
4人が頭を下げていて。
吾郎さんがいなくて。
でも普段どおりにライブをやってくれているメンバーがそこにはいて、MCでは明るく話してて。
いつもより少し短いライブだったけど、ずっと泣きながら観ていた気がします。
次の日のライブ終了後、帰りの車の中で吾郎さんの記者会見を見ました。
後部座席から身を乗り出すようにテレビに見入りました。
車の中にいたスマファン3人は号泣でした。
ボロボロ泣いている私たちを見て、当時4歳と2歳の子どもが慰めてくれました。
そのことがあった直後の数日は憶測が飛び交い、「解散」とか「脱退」とかいう言葉が常に出ていて、それはもう不安でした。
しばらく経った頃、中居さんがラジオでそのことを話してくれて、はっきり言ったわけです。
「吾郎を待っててほしい」と。
こんなに嬉しい言葉はありませんでした。
その後拓哉もラジオで同じような発言をしていて、そりゃもう、全身全霊をかけてSMAPを守ってやろう、くらいの決意でした。
たぶん、多くのSMAPファンがそうだったのではないでしょうか。
それからの約4ヶ月は恐ろしく長く、恐ろしく涙腺が緩かった(笑)
「56」とか「5人」というキーワードが少しでもあると嬉しくて。
(テレフォンショッキングのアンケートで“56”人だった木村さんがすげー嬉しそうだったり。いいとも特大号で4人で「吾郎!」って手を振ったり)
で、年明けの生スマで来週から吾郎さんが戻ってくると報告があり。
あの夜から143日目の1月14日。
その日は友だちのコンサートだったけれど、「スマスマまでに帰るから!」と非情なことを言い、途中で抜け出し(ま、その友だちもスマファンなのでいいんですが)ギリギリにテレビの前へ。
子どもがいたらうるさいだろうと気を利かせてくれた友だちのだんな様が、子どもを連れてドライブに出てくれて。
ハンカチ片手にスマスマを観ました。
SMAPはやっぱり5人だと思ったし。
すごいグループだと思ったし。
ほんとにほんとに大好きだと思いました。
その夜の涙は最高のうれし泣きでした。間が持たず放送時間内に帰ってきたチビたちは、またまた泣いている私たちを見てびっくりしていましたが、ティッシュを持ってきて涙を拭いてくれました。
今ではネタになっているところもありますが、あの頃は本当に辛かったし苦しかった。
単に芸能人を好きなだけなのになんでこんな辛い思いをしなきゃいけないんだろう…なんて思ったこともありました。
吾郎さんのしたことは悪いことだったかもしれないですよ、確かに。
だけど、何があってもSMAPのことは好きだし、信じてるし、守りたいと思った出来事でした。
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