A Day in the Life

なんてことない普通の日常&SMAPさんのことを徒然に。

2022/04/21

2022-04-21 | Weblog
ある会議に出た。
住民活動の場で、学生さんもいた。
意図せず見解を求められ、いま私がその責任者ではないことを前置きした上で説明をしたところ、学生から敵意むき出しで責められた。その場に入ったときから視線が痛かったのは勘違いじゃなかったか…と見解を述べたが、その人からは「信じられないんですけど」とか「ちゃんと話してもらえるんですか」とか更に責められた。
要は、物事には根拠があり、感情だけで「いいよ!」とか「自由に!」とかは言えないということ、そもそもこちらは本来“この範囲で”と決まっている条例を例外的に拡大して認めているのでかなり協力しているつもりなのだが、自分達の意見(しかもそれが100%正しいと思っている)が完全に通らないことに苛立っているようだった。それを言うなら、もう例外は認めませんと言うしかなくなるのに、学生は熱く自分達の正しさをぶつけてきた。
疲れた…
が、私も仕事を始めてすぐのときに上司から「正論をぶつけるのが“正しい”わけじゃないんだよ」と言われたことを思い出した。物事には単純に白黒では決められないことがたくさんあり、白黒はっきりするならその線引きはそれなりにシビアだし、グレーの中でいかに自分達の望むものを手に入れるか、みたいな交渉が腕の見せ所なんだけどなー、とか思う嫌な大人になったものだと、その子たちに責められながらぼんやり考えていた。(つまり相手にしてなかったのかな)
この先彼女らが就職して、上司に同じ口調で同じ理論を言えたなら褒めてあげる。きっといま彼女らにとって私は“敵”である他人なので、こんな物言いができるのだろう。(実は私はその子の親の上司なんだけどね。親はどう思ったかな…内心ひやひやだったか、よく言ったと思ったか。少なくともその人たちは私にそんな口調では話さない。若いって怖いものなしだよね)
最終的にもう少し深い大人の事情を暴露したところで時間切れ。それを聞いて彼女らがどう思ったかはわからないけど、少なくとも私はそんなことを言う人の味方になろうとは思えずにその場を後にしたことは事実。
実際、現担当者に報告したら「じゃあもう、例外は認めない」と言ってたから、大人の世界は厳しいんだよー。
理論的な討論ではなく、感情的な話になるのはしんどいな。
もうあそこには行かない。
大人が何の感情も持ってないと思うのは間違いだ。
何を言っても許されると思うのは、子どもで、守られているからだ。
あー、疲れた…
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