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中山王陵・浦添ゆうどれ

2006年09月11日 20時38分42秒 | 日記・エッセイ・コラム

前回は中山王・浦添城跡を紹介しましたが今回はそれに続く中山王の王陵(王様の墓)を紹介しますね。

中山王の王陵は浦添城跡の北側岩壁にあり、自然の岩壁をうまく利用したお墓となっています。

これは英祖王が1265年~1274年に築いたようです。

「ようどれ」の意味は琉球語で「夕凪」のことであり、「朝凪」は「あさどれ」といいます。

全体図↓(岩壁左奥が尚寧王で右奥が英祖王の墓)

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入口・はるか前方は普天間基地です↓

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↓この涼しげな石段を下りた先が浦添ようどれです↓

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24560027_9←入口から進むと暗しん御門といって前庭から2番庭にいく通路があり、戦前は上部に自然の岩天井がありました。

この岩天井は残念ながら先の大戦で破壊され、現在は左のような青空天井となっています。

当時は真っ暗な中を通るため、まさにあの世に行くような雰囲気だったらしいですね~  

ところで、ウチナーグチ(沖縄方言)では御門のことをウジョウといいます。

24560025_4 人の名前も例えば上門→ウエジョウ、中門→ナカジョウ、下門→シモジョウといった感じです。 

本土だとそれぞれ上條、中條、下條と書きますよね?

ちなみに上門という名前の家は昔は村落の上部に位置して建てられており、他家がそれより上に家を建てるのはタブーだったということです。(宗教的いわれ?)              

↑戦前の暗しん御門(上部が岩天井となっている)

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東室・尚寧王陵↓         西室・英祖王陵24560031_524560030_6

王陵の内部↓             石厨子↓ 24560008_11  24560011_11

石厨子の彫刻・沖縄に現存する最古の仏像彫刻↓ 24560015_5

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浦添ゆうどれを築いたのは英祖王ですがこれを改修したのが浦添出身である尚寧王でした。

尚寧王は浦添家から国王に迎えられた人物でありゆうどれを改修しましたが本人もここに葬られました。

ここは琉球王国初期の王陵であり、首里城近くにある王陵の玉陵(タマウドゥン)よりも古い歴史を持ちます。

ゆうどれから見下ろす景色・前方奥は普天間基地↓

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先の大戦で米軍にゆうどれを破壊され、そして今、米軍の普天間基地を眼下に見下ろし、英祖王そして尚寧王は何を想うのでしょうか・・・・・・・・・・

アア、ワッター、リュウキュウヨ!(ああ、我らが琉球よ!)

そろそろ、紙面が尽きてきました。

次回をお楽しみに・・・・・・・・

アンシェーヤ!(それでは!)


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