6月23日は慰霊の日です。
61年前の6月23日に当時の牛島司令官と長参謀長が平和記念公園内の摩文仁の丘で自決しており事実上の沖縄戦が終結したといわれているワケです。
正式には7月2日に米軍側が沖縄作戦終結宣言をしました。
その後、8月6日に広島へ原爆が投下され、さらにその3日後の8月9日に長崎へ原爆が投下されました。
そして8月15日に天皇陛下の玉音放送があり、9月2日にミズーリ号船上で降伏文書への調印がなされました。
こうして第2次大戦は沖縄、広島、長崎に大きな犠牲を払って終結したワケですがなんという悲惨で残酷な結果でしょうか・・・・・・・・・・・・・・心が痛みます。。。
数年前に初めて広島の原爆記念館に行った時はあまりの悲惨さに涙が出て止まりませんでした・・・・・・・・・・(沖縄戦とラップしてしまった)
沖縄戦の終結から61年が過ぎておりますが沖縄戦での犠牲者の霊を慰めるために毎年行われるのが慰霊の日なんですね。
これは国内では公式行事となっており事実、小泉首相は3年連続の出席となっております。
小泉首相以外にも国内の首脳陣が続々と出席されます。
これはウチナー(沖縄)独自の公休日であり、県庁、各市町村、学校関係は休みであり正午の時報と共に一斉に黙祷を捧げます。
これは沖縄独自の公休日ゆえ、地方公務員ではない国家公務員は通常通りの勤務となるようです。
そして民間企業も殆どが通常の勤務です。(休みの企業も一部ある)
・・・・・・・・・・しかし、なんか変ですよね~
ムードとしては公休日であって公休日でないといった感じですかね。
年に1回、慰霊の日だけに灯るトーチ↓
会場となる平和記念公園
出席者 小泉首相
平和の礎(いしじ)
この平和の礎には沖縄戦で亡くなった日本人、外国人を合わせて239千人余の犠牲者の氏名が刻銘されています。
つまり、国籍を問わずですね・・・・・・・・・・・・
ですから遠く外国から出席される遺族の方々もおられるワケです。
そういう意味では一地方の行事というよりも国際的な行事の側面もあるかもしれませんね?
外国人犠牲者の国籍もアメリカ、イギリス、韓国・・・・・・と多彩です。
そして礎(いしじ)に我が愛する人の名前を見つけて涙する姿は胸を打ちます。
哀しみに国境はありません。
かつては敵味方で戦った当時の人達もここでは単なる一個の人間でしかありません。
国境を問わず刻銘されていることに対して外国人の方々の評価は高いようです。
そこにウチナーンチュ(沖縄人)の他人に対する分け隔てのない優しさがあるかもしれませんね。
慰霊の日にはこの方向から日の出が拝めますが実は平和の礎の入口から先程のトーチを結ぶ線上の延長線がこの日の出に一致するようにレイアウトされているのです。
今でこそ平和な公園となっておりますが戦時中はこの崖から多くの犠牲者が身を投げました。
せめて年1回の慰霊の日に犠牲者の御霊を慰めることが今こうして平和を享受している者達の義務かもしれません・・・・・・・・・・・・・合掌
そろそろ紙面が尽きてきました。
今回は慰霊の日特別記事でした。
次回をお楽しみに!
アンシェーヤ!(それでは!)
そうだったんだー
つまり、あつしさんは広島と沖縄のダブル?なんだね。
実はボクのいとこが広島に住んでいて、ボクが広島に行ったのもそういう縁があったワケです。
ボクのいとこは沖縄と山口のダブルですが広島に住むようになったのはおそらく、
なんらかの意味があるかもしれませんね。
機会があればまた行きたいけれども、なかなか行けないですね。
去年、沖縄へ1泊2日で行ってきましたが、この時は、首里城周辺をお散歩。
日曜日なのに人が少ないなぁ、と。
その日は、不発弾の撤去作業で、避難していたようです。
よくあることと聞いて、驚きました。
沖縄は、まだ、戦争の爪あとが残っているんだ、と実感し、考えさせられました。
広島・長崎の原爆の話しはよく聞きますが、沖縄戦は、ドラマ「さとうきび畑」で知りました。同じ日本人なのに・・・、と涙。
ヒロシさんの「せめて年1回の慰霊の日に犠牲者の御霊を慰めることが今こうして平和を享受している者達の義務かもしれません。」の言葉が響きました。
沖縄の不発弾を全て撤去するのに、あと50年はかかるといわれています。
つまり半世紀もかけないとある意味、沖縄の戦後は終わらないということですね。
沖縄を復帰させた当時の佐藤首相は「沖縄の祖国復帰なくして戦後は終わらない」という名セリフを残しました。
しかし、復帰しても未だ尚戦後を引きずっているのが現実なんですね。
もちろん基地の問題もありますが・・・・
現在の日本は沖縄、広島、長崎の犠牲の上に成り立っているといっても過言ではないでしょう???
本当は今年は慰霊の日あたりに訪沖する予定だったんだけどね
この日ばかりは絶対にダイビングはしません!
広島や長崎、そして東京空襲と日本は攻撃されたけど
まずは一番に沖縄が本営に犠牲にされたこと
これは学校の教科書には書かれてないだよー
そんな大事なことを子ども達に教えないとは!ですよね
歴史は繰り返すといいますが
悲しいかな、この地球に人間が住んでいる限り、
戦争はなくならないかもしれませんね。
とすれば、子供の教育に平和教育を徹底すれば戦争を減らすことはできるかも??ですね。
願わくばこの地球上の一切の戦争をなくすことができれば素晴らしいことなんですが・・・・・・・・
大田司令官が最後に本土へ向けて打電した文だそうです。最後まで、日本と日本軍を信じて戦った沖縄の人達に、どうすれば報いることができるのか?
もっと全国的に報道するべきですね。
大田司令官の遺言ともいうべきメッセージはホントに胸を打ちます・・・・・・・
このメッセージで沖縄県民は精神的に救われたと思います。
そして大田司令官の魂からのメッセージを後世に伝えていくことが沖縄県民の義務だと思います。
合掌
戦争を伝える人間が少なくなっているいま、次の世代にどうやって伝えていくか非常に重要ですよね。
僕自身、もちろん伝え聞いたことの範囲でしか推測することはできませんが戦争がもたらす悲しみの深さや罪深さは祖父母を見て感じることができます。
私たちの義務なんですよね。
考えさせられました。
いつもながらありがとうございます。
ひとりひとりの人間は愛すべき人達なんです。
肌の色、眼の色、髪の色、そして言葉の違いはあってもね・・・・・・・
なのに、それがいざ国家同士の戦争になると個人という人格は消えてしまうのです。
そこに戦争の非情さがあるワケですね。
個人の力ではどうにもならない大きなパワーに翻弄されるワケですが、
戦争の歴史は世界各地で常に繰り返されているところに人間の愚かさがあると思います。
ですから私達にできることは人間の愚かさを後世に代々伝えていくこと・・・・・・なんでしょうね。。。