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ウチナー(沖縄)の世界遺産・識名園その2

2006年07月21日 22時15分28秒 | 日記・エッセイ・コラム

さあ、前回に引き続き識名園です。

どうぞご覧ください。

庭園から御殿を望む↓

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それでは御殿の中に入ってみましょう。

下の写真は、かつて中国からの使者、冊封使を迎えた部屋の中です。

御殿の中には一番座、二番座、三番座、台所、茶の間、前(メー)の一番座、前(メー)の二番座など15の部屋があります。

ところでウチナーグチ(沖縄方言)では「前」のことを「メー」といい、「後ろ」のことを「クサー」といいます。

例えば、前に座りなさい→メーンカイイレー、後ろに下がりなさい→クサーンカイシーケー

といった感じですね。

一番座24560023_5                24560021_7               

台所↓ 右側奥には大きなまな板が見えます。

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勝手口↓ このアングルからは素朴さあるいは懐かしさが伝わってきたので思わずシャッターを切ってしまいました。

ウチナー(沖縄)の原風景といった感じですね。

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駕籠屋(馬と人足の休憩所)↓ これも昔のウチナー(沖縄)ではよく見かけた風景です。

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御殿の裏側↓ 王家の別邸というよりも田舎のお屋敷という感じがしますね。

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離れの部屋↓ 茶屋のような感じです。                              

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かつてはこの池に小舟を浮かべて中国からの冊封使を接待しました。

当時の琉球にとって中国は最大で最良の貿易国であり、友好国でした。

中国が経済的にも文化的にも当時の琉球に大きな影響力を持っていたのがこの識名園にも現れています。

つまり、中国風の庭園を造ることによって冊封使を最大限に歓待したワケですね~

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舟揚場↓ 

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識名園は王家の別邸ということではありますが、実は中国からの冊封使を接待するための場という目的が大きかったようです。

それは首里城をメインとすればここはサブ的な役割を持っていたようです。

つまり何らかの理由で首里城では目立つ場合、ここが目立たない場所ということで活用されたということですね。

首里城からは徒歩でも30分位の距離ですから当時としても何かと便利な位置にあったワケです。

さて、そろそろ紙面が尽きてきました。

次回は最終回です。

どうぞお楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
首里城は形式的で固い感じがするけど、識名園は心... (あつし)
2006-07-22 17:28:00
首里城は形式的で固い感じがするけど、識名園は心が潤い落ち着く感じがしますね。長居したくなるような。
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ほほう!こういう風になってるんですね (ラグ☆)
2006-07-22 21:46:51
ほほう!こういう風になってるんですね
一度は見ておきたい所!
なんだか京都のような風情を感じるなァ
それにしても手入れが行き届いてるんですね(^o^)
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>あつしさん (沖縄のヒロシです)
2006-07-23 16:46:05
>あつしさん
ホント、そうですね・・・・
首里城が陽とすれば識名園は陰でしょうか?
陽と陰がうまくかみあっているんでしょうね。。
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>ラグ☆さん (沖縄のヒロシです)
2006-07-23 16:49:30
>ラグ☆さん
ボクは20代の初めに京都に住んでいたのですが、
わびさびの風情が似通っていますね。

京都は心の故郷です。。。
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いやあ、すばらしい景色ですね。 (umemura tadashi)
2006-07-24 10:03:55
いやあ、すばらしい景色ですね。
今度、沖縄に行ったときは
なんとか時間を作って拝見します。
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>umemuraさん (沖縄のヒロシです)
2006-07-24 23:46:07
>umemuraさん
ぜひご覧になってください。
そして首里城もお忘れなく・・・(笑)
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