モアイのためいき

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父島*1989年*その1*おがさわら丸

2011-08-04 12:37:12 | 小笠原・父島*1989年

<おがさわら丸・パンフレット>

1989年3月16日、朝、東京・竹芝桟橋を父島へ、おがさわら丸は出航しました。

父島とは、東京から南南東へ約1000㎞の小笠原諸島の主島です。

なぜ、小笠原に行ってみたいと思ったのか、

今となっては明確には思い出せませんが、

ちょっと変わったところに行ってみたいと・・・、

そんな軽い気持ちだったのではないかと思います。

その当時、日本はたぶんバブル時代で、

学生だった我々にとっては、海外旅行に行くことも珍しくなく、

もちろん、その為にバイトで汗水たらして、働いて貯めたお金で行きましたが、

そんなわけで、仲のよい友人たちは、春休みに、

「イギリスへ1ヶ月行ってくるね~」とか、

「トルコ、エジプトへ1ヶ月さすらってくるよ~」とかいう感じで、

父島に一緒に行ってくれそうな友人はいませんでした。

とはいえ、父島と言えば「海」。

亜熱帯の海ならば水着になることもあるでしょう。

さすがに、女子大生一人では水着で海を楽しめないのではないかと思い、

旅費を持つという条件で妹を道連れにしました。

妹とは普段はほとんど一緒に行動はしませんが、

やはり女子大生だったので、時間はあったのです。

父島へは当時、おおむね6日周期でおがさわら丸が出航していました。

東京を朝出航して翌日の昼に父島着~父島で3泊停泊して、

5日目の昼に父島を出航して翌日夕方に東京着というパターン。

大体、28時間くらい船に揺られることになるので、

実のところ、船酔いも心配でした。

一等船室なら揺れは少ないのかしら・・・と思いつつ、

学生の身の上、豪華な旅は不要と、当然二等船室を予約。

確か、往復で一人3万円くらいだったような(記憶が不鮮明)。

いや、もう少し安かったかな。

次に、宿の予約。

ガイドブックを買ってきて、なるべく便利そうな立地の民宿にしました。

「バナナ荘」・・・当時の言葉で言えば、ナウくない感じですが、

そこになんとなく惹きつけられて・・・に電話してみました。

果たして、電話に出てくれた方は、ちょっと訛りのある中年の女性で、

こちらの名前などを何度も聞き返されたりして、ちょっと心配になってきました。

それとも父島は電話の回線が遠くて聞き取りにくいのか

もし、予約がうまく取れていなくても、

おがさわら丸に「ホテルシップ」という、停泊中の船に泊まることもできるので、

まぁ、いいか~と。

こうして、3月16日早朝に横浜の自宅を出発して、東京・竹芝桟橋へ。

無事、船上の人となりました。

おがさわら丸は約3500トン。

東京湾は意外と船が多くて、デッキから海上を眺めるのも楽しくて、

しばらく風に吹かれておりました。

さて、二等船室はどこかしら・・・と、番号札を持ってさがしていると、

(番号札255・・・冒頭の写真に写っています)

カーペットのフロアに、ずらーっと枕が置いてあって、

その間隔が思ったより狭い

見知らぬ人とこんな狭いところで雑魚寝なのか~と、ちょっと気分はダウン。

そして、ところどころに、アルマイトの洗面器がある。

船酔いで、間に合わなかった人の為用かリアルだ。

せっかくなので船内を妹と探検してみました。

食堂やシャワー室など、ちらっと見て回り、

トイレに行ってみると、多分、嘔吐の人用のトイレっぽいものが・・・

お世話になることがなければ良いが。

そして、下の階に行ってみると、そこにもカーペットのスペースがあるのだけれど、

フリースペースになっているみたい。

自分たちの寝床はあんなに狭いのに、こんな広いとこがあるじゃん、と

妹と荷物を持って、こちらに移動してきました。

夕刻、海に沈む夕日はぜひ見たいと思い、外へ出てみましたが、

あいにく、雲が多い日の入りとなってしまいました。残念

さすがに外洋に出てからは本格的に揺れはあって、

波を乗り越えてゆくように、常に浮遊感とGが掛かる感じがありました。

船底に近いスペースにいたためか、エンジン音?も豪快で、

いや、「快く」はありませんでしたが、

それでも、周りに人はまばらで(他にもこの広いスペースを見つけて来た人有り)、

心置きなく寝っ転がっていられたので、さいわい、船酔いにならずにいられました。

上方に取り付けられたテレビを何とはなしに見ていましたが、

それも、だんだんと電波の状況が悪くなってきて、

ザザッザザッと画面にノイズがはしり、

ついに映らなくなったのが、妙に印象的でした。

そのうちに、船のスタッフの方が、「こちらは閉鎖します」と知らせてきたので、

嫌々ながら、本来の自分の陣地へ行きました。

もう、夜になっていて、寝っ転がっている人が大半で、

自分も船酔いする前に寝てしまおうと、すぐに眠ってしまった

隣に人がいたはずなのですが、そのことはまったく覚えていません。

妹は他の乗客と少し談話をしていたみたいで、

島に何年かぶりに帰る人の話とか、夜中に洗面器に向かう人がいたとか、

そんなことを、後になって聞きました。

さて、早朝、今度は海から上る朝日が見たくて暗いうちに起きたのですが、

相変わらず揺れていて、

手摺につかまりながら外に出たような・・・、

白ずんでゆく朝、しかし残念ながら雲が多い空、

それでも、雲の切れ間から太陽を確認して、菓子パンを頬張りました。

潮風が少し寒かったような・・・凍えることはなかったけれど。

結局、船の揺れの為か食欲はあまりなくて、

食堂に行ってみようかという気も起こらずに、1日が過ぎてゆきました。

船酔いしないようにするには、自分には横になっているのが合うようです。

こうして、横になりつつ、うとうとと時を過ごし、

父島がやがて大きく見えるようになってきて、

父島二見港到着。いざバナナ荘へ

~つづく~

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