其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

年賀状とは

2013-12-28 20:38:37 | 日常雑記
郵便局は多少混雑していました。歳末ですから仕方はないでしょう。この混雑が緩和できないものかとつまらぬ思案をしました。簡単な案は年賀葉書を売らねばいいのです。毎年追い立てられる気持ちで賀状をしたためるのは何故でしょうか。あの人この人と思い浮かべながら拙い字ながらと苦心します。
PC屋とどこかの思惑の繋がりのためばかりだと推測はしません。ただ籤がなければ売れ行きはガタ減りしましょうよ。
一つの意見ではありますが、永井荷風先生の随筆で「昔はー明治大正のころのことでしょうかー医者弁護士輩や出入りの商売屋以外で賀状など出す者はいなかった」そうでしょう、近辺の付き合いの厚情で事足りていたようですからね。今は余裕が無いので玄関に名刺受け箱が置かれていません。
いくらかなにかそらぞらしくはありませんか。昨年中一度も顔を会わせずに「旧年中はお世話になりました」などは書けない文章です。PC屋さんも多少は文案を練ってはいかがでしょう。