其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

青葉若葉の候

2006-04-22 13:58:47 | 地域
お天気がよいとじっとしているのが勿体無いので石橋美術館の西部水彩展を見、田主丸-吉井と散歩しました。どこにも青葉若葉の季節そのままの景色が広がっていました。実は田主丸へは、月読神社というお宮が有るので出かけたのです。拝殿前に御祭神月読神とかかれています。古事記では日の神天照大神の次にうまれ、夜の国土を統治されるとあり、日本書紀では日の神の弟とし、青海原の潮の八百重を治める神とされています。入り口左右の燈籠の頂に可愛い兎が座っておりました。吉井と浮羽は合併し、うきは市となりました。地名を軽々に変えるのにはあまり賛意ではありませんが。文化会館傍で一服し、一本道を北へテクテク歩いて、恵蘇宿橋を渡り朝倉町へ出るつもりでした。バス通りに出る途中、「金子文夫資料展示館」を見かけました。町役場跡で敷地内は綺麗に庭造りされています。館内二階には浮世絵・櫛笄類、昭和四十年代までは当地でも盛んに作られたコケシを含む全国郷土玩具、別室には陶磁器などが展示されていました。ご当地自慢の河童の造形絵画はご愛嬌でした。知識はありませんが、古い陶磁器は貴重なものでしょう。ただ浮世絵類の痛みは惜しいことだと思いました。

2006-04-15 18:06:34 | 生き物
天ヶ瀬で筍を掘り、雉を見た、というお話を聞きました。そこで私も雉のことを書いてみようと思います。

 もう少し暖かくなったころです。都府楼跡近くにテニスグランドがありますが、市民の森の登り口に安浦池という溜め池があります。その土手でぼんやり立っていると、グランド傍の田んぼに黒い鳥の姿が見えました。はじめは鴉とばかり思っていましたが、どうも違うようです。駆け降りながら雉であることに気が付き足音を忍ばせました。近づくと雉は草むらに蹲っています。赤い頬、紫の頸、緑の胸、華麗な尾羽、しばし息を詰めました。すぐに写真機を取りに帰りました。どうやら写した写真は雉らしい物影のみでした。翌日も雉はいました。雉は地面低く飛び僅かの窪みに身を隠します。三〇糎ほど近くにいるのが判りませんでした。
 筑紫野市から基山へ抜ける途中に平等寺があります。大型トラックの往来が頻繁でなければ穏やかなところです。しばらく前にバス停近くで聞いた話ですが、飼われた雉と野生の雉が呼応して鳴くそうです。ですから近くには野生の雉がかなりいるのではないでしょうか。

 西鉄柳川駅近くの矢部川に架かる小さな橋の傍を雄雉が歩いていました。ここも往来する車は相当なものでしたが。
 遅き日や 雉の下りゐる 橋の上      蕪村

時計、直します

2006-04-11 20:02:34 | 歴史
 新聞に、時計修理工具セットの広告が載っていました。これがあれば電池寿命で眠っている腕時計も復活できる!とあります。以前は目覚まし時計を直すつもりが壊してしまう趣味人がおいででした。

アホウドリの仕事大全(阿奈井文彦著)という貴重な本があります。1985年3月20日発行です。著者はあとがきに「商売は草の種」― 世に生業の種は尽きない。全104話の、営々と暮らす坊間の語り手たちを通して、この国の、とりわけ70年代の様相が、多少とも伝われば幸いである、としています。そのなかに時計修理業 大谷義勝さんのお話をあることを広告を読んで思い出しました。

 5年もかかって直した時計がありますよ。これは5年、お客さんが待ってくれたから直ったんです。気の短いひとで、途中であきらめられるとできやしない。
ええ、これは明治8年、いや、それ以前の時計ですね。もうお金じゃないですよ。直るか直らないか……気ながにね、時計との勝負ですよ。
あたしは直すときは真剣にやるんだから。そうしなきゃ直らないですよ。営業としてやるんじゃない。
 あたしは今年で79ですから、このトシですね、トシがものを言う。ちょうど15歳から始めたから、64年やってるんですよ。64年やってるうちに、いくらやらないったって、同じ時計を5つや6つは直してますよ。めったにこない時計があるんです、それは年功です。アア・・、これは昔、1度直したことがあるなと、記憶をたどってね。どこでどうして直ったのだったか、これだな、という経験ですね。故障の発見が早いわけだ。ということは失敗もたくさんしているということだ。失敗というのはお客さんの時計をこわした数も多いってことだ。ウラミを買った数も多いんだね、それだけ、ええ、修繕だけでやってるんだから。いまはね、時計がいっぱいあるからね、アア、また買えばいいやってことになるけれど、昔ほそうはいかない。そりやもうあんた、お祖父さんが買って、息子から孫までね、2度と買えないという品物なんだから。それが毀れちゃったらえらいことです。そりや手を付けると失敗することがあるんだ、医者じゃないけれど……。

人間の体ってえのは、24時間がl日だけど、ほんとにちゃんと心臓が動いでくれてるのは8時間ぐらいだ。若いひとで8時間。9時間目には狂っていますよ。どっかしら異常が出てくる。でね、時計を直すときはね、直す人が正確なものでなかったら直すことができません。あたしは1日のうち3時間だね。このいちばん調子のいい3時間に、むずかしい時計の修理をやっちゃう。ほかの時間にやったって直りゃしないんだから。正確に自分が動いているときに仕事をすると、時計も正確に動くようになる。

 そして大谷さんは、人間ってのは、いくらトシをとっても、2時間や3時間は正確なときがあることを身体で会得したそうです。そのときの20分から1時間、ジッと時計の機械を机の上に置いていると、モノのウラが見え、悪いところが判るのだそうです。

 時計屋さんは、時計を直す場合は時計になめられてはいけません。「このひとが直すんじゃオレは動いてやらない」、こんな時計もあるんだと大谷さんは言います。
 全部が全部書き写して紹介したいのですが、世間の規則で厄介なことになっては不味いのでこのあたりで留めてはおきます。

古本の効用

2006-04-10 14:08:44 | 歴史
 積まれた本を退屈しのぎに掘り返してみると面白いものです。今日は雨なので躁の方から『永六輔編 普通人名語録』のページを繰ってみました。
 「近頃は誰でもプレッシャーという言葉をつかうけど、あの言葉が流行る前には何て言ってたんだっけね」
 言われてみれば思いつきませんよね。
 「降水確率って言われると、それは水が降ることでしょう。水と雨とは同じだと言われればそれまでだけど、降雨確率って言っちゃいけないの」
 何故でしょう。
 「アメリカじゃ、未だにだよ、何かって言うと、リメンバー・パールハーバーって言うけどさ・・・。パールハーバーの戦艦アリゾナは、あのときに攻撃されたままの形で記念館になっているんだよ。で、その半分沈んだ船の中の遺体は、そのまま収容されてないんだよ。忘れるもんかってのは、そういうことなんだよ」
 そこで本当かなと、グーグルで調べてみました。間違いなく1102柱の霊は沈んだままでした。
 忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う悲しさよ、うろ覚えですが、菊田一夫作NHKラジオドラマ「君の名は」で聞かされた名文句でした。記憶にないと忘れたの使い分けもまた微妙なものです。

童子丸水神社

2006-04-04 11:37:37 | 地域
朝倉町から恵蘇宿橋を渡り原鶴へ向かってしばらく歩くと、祠があります(写真左)。近頃瓦葺になっていますし、サイクリングコースへのコンクリートの階段が出来ています。古ぼけた板に縁起が次のとおり書かれています。
 橘田の里の氏神にして千三百年の有する竈門神社の縁起によると「古来より橘近郷の崇敬篤し、この下の池を童子丸池と呼び、昔は池幅四十間長さ百五十間、毎年旧九月初穂米を抜き立て、甘辛の神酒を造り葉芋茄子等を供え、池の中央に注連竹を立てゝ柵を釣り、水畠祭を行いたり、この池は渇くことなきは竈門神社の祭神である玉依姫が海の宮より持ち渡り給ふ満珠のお蔭なり」とある。この池を童子丸と言うは、洪水のため十七歳の少女が人柱となって堤防に埋められんとする時池の中より白衣を着た童子が現れ、少女を救い洪水を防ぐ策を教えたという伝説が残っている。水の恵みを感謝し、諸々の災いなきを祈り、千歳川の水の千代に清く美しからんことを願って毎年四月五日に祭典が行われる。
 千歳川とは筑後川のことであります。水分乃神とは、広辞苑によると、流水の分配をつかさどる神です。速秋津日子・速秋津比売 二神の子、天之水分神・国之水分神だそうです。
 童子丸池は写真で祠の背後に見えている池だと思います。

竈門神社の方位盤

2006-04-02 18:17:35 | 地域
吉井町と浮羽町が昨年合併してうきは市となっています。旧吉井町の筑後川近くの橘田に竈門神社があります。祭神は玉依姫尊で白鳳元年(672年)筑前大宰府の竈門神社を移し奉ったとされます。ここより北に童子丸池がありますが、これはまたの機会に述べようと思います。
このお宮の拝殿の拝礼前に鳴らす鰐口上部あたりに方位盤が取り付けられています。その方位は十二支の動物が描かれています。このような方位盤のあるのは珍しくはありません。博多のお櫛田さまなどにもあります。
恵方などは歳々によって違うので、お正月お賽銭を上げながらその歳の方位を確かめていたのではないでしょうか。神宮暦を見ますと風水だか二十八宿だとかなかなか複雑な構成ですね。