其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

狐 媚  記

2010-01-31 21:06:23 | 文芸
辻井伸行さんのピアノを聞きながら、音楽家が頭のなかで、延々何時間もの作曲が出来る才能に畏怖すら覚えました。
盲目の塙保己一には、群書類従という大部な叢書が有ります。おおよその図書館には備え付けられていますが、もとより敬して近寄らずの部類に入る書籍であります。
南北朝時代の歴史書を読んで、「梅松論」や「神皇正統記」などを覗いてみたい気分になりました。群書類従にもありましたが、別口の安直な手だてで間に合わせました。
太宰府の秋の行事に、神幸式があります。これを始めたのが、大宰府帥に二度も任命された大江匡房です。「江家次第」などは岩波の新日本古典文学大系にありますが、「狐媚記」はありません。無いとなると、余計に知りたくなります。図書館の群書類従巻第百参拾五にありました。ただ安直主義の私には難解な漢文でした。
珍文漢文の暗号解読ですが、「殷之姐己為九尾狐」というのが、オチでした。

撞 木

2010-01-29 20:59:44 | 歴史
清明の井戸の記事で、大治二年二月十四日に、大内裏火災により、陰陽寮鐘楼・勘解由使庁などが類焼し、陰陽寮の釣鐘が焼失したことを書きました。ただ撞木の直径が三尺とあるのは腑に落ちませんでした。
古代史年表では、陰陽寮焼失について、摂政藤原忠通の直盧にて審議する。園韓神社建築につき、治安のころに宇佐宮を作った例が勘申され、焼失した陰陽寮の鐘のかわりに大宰府の鐘を召し上げることが決定された、とあります。記述のもとになった中右記には、更に詳しい記述が有るかも知れません。
中御門右大臣藤原宗忠の日記である「中右記」は、堀河天皇から崇徳天皇まで五十余年間に亘る院政期の朝廷の典礼・儀式、政治・社会など記されているそうです。根気ばかりで書き続けたわけでもないでしょうが。

清明の井戸

2010-01-28 14:31:29 | 歴史
太宰府市に阿倍清明が掘ったと言われる井戸があります。注意しないと、近くを通っても気付かないでしょう。清明は有名ですが、説明は広辞苑によるものです。
平安中期の陰陽家。よく識を使い、あらゆることを未然に知ったと伝える。伝説が多い。著「占事略決」(921~1005)
当地のも多分その伝説の一つでしょう。
村山修一著「日本陰陽道史話」に、大宰府に関しての事跡があります。「大治二年(1127)二月十四日に大内裏火災で、陰陽寮は類焼し、釣り鐘も火に罹りました。この鐘は平安京遷都のときに造られ、三三七年もたった撞木が直径三尺、長さ一丈六尺の巨大な古鐘で、その焼失が惜しまれました。そこで、大宰府に懸けられていた同様の鐘を取り寄せ、間に合わせることになりました」とあります。
果たして大宰府の何れの寺院に懸けられた鐘だったのでしょうか。

カモメ

2010-01-27 20:38:56 | 日常雑記
「夏は来ぬ」という小学校唱歌があります。カモメは夏の景物かと思っていました。しかし、ご存知のとおりカモメは夏冬あまり心していないようです。
先日近くの川面にカモメが一羽浮かんでいました。
以前は、カモメの群れがパンの耳を投げてくれるのを争って食べていました。ところが近ごろは、全く寄りつかなくなっていました。
カモメはこと珍しい鳥ではありません。しかしあれほど貪欲に餌をねだっていた鳥が一羽も来なくなったのは寂しいものでした。
この川筋の流れは、特に澄んでいるでもなく、水量も多くはないのですが、小魚が多いのです。水清ければ、魚住まず、多分生活廃水の流れ込みが多いのではないでしょうか。
博多湾からの距離は、おおよそ20キロくらいでしょうか。カモメは自転車より更に早そうです。してみれば、時速40キロは出るでしょうから、軽く30分程度でやってこれますね。
どんなわけだか一週間たちますが、カモメがやってきません。


陰陽師

2010-01-22 20:57:19 | 日常雑記
村山修一著の「日本陰陽道史話」をボチボチ読んでいます。正直なところ、私はお宮でお神籤を引いたことはありません。けれどもお護符は買います。弱気な妥協でしょうか。
体験として幽霊を見たことはありません。ですが、幽霊の存在を信じることを嗤えば、シェークスピアのハムレットは面白くないでしょう。
幽霊が現実に現れ、消え去ることを信じていた昔の人々がいたのは事実です。地球が真っ平らだと信じても、特殊な状況を除いて日常生活に支障はありません。
歴史上の治乱興亡の兆しが、陰陽師の陰謀や、権力者に使嗾された彼らが原因だとしたら、歴史読本に違った解釈がきるでしょう。
例えば、日常の仕草の禁忌に妙にこだわりを持つのは理窟ではありません。源氏物語や平家物語などの古典文学や説話類読むにも肩の力を抜いて良い部分が有るようです。
地獄極楽閻魔様のお話も、厳密には仏教説話では無いなど知りませんでした。
上記本は未読部分が半分有るので愉しみです。


椋鳥

2010-01-20 16:31:38 | 生き物
百羽以上の椋鳥が電線に群れているのを見かけます。
椋鳥は①江戸に出てきた田舎者。またその嘲称。②椋鳥のように群れをなす人の形容(江戸語大辞典)とあります。鳴き声は騒々しくあまり好まれる鳥ではないようです。
ところが、日本で見られるムクドリ科の鳥には、ムクドリの外にホシムクドリ・カラムクドリ・キンムクドリ・シベリヤムクドリ・コムクドリなどあります。野鳥図鑑で見る限り、ギンムクドリやコムクドリは、大江戸は吉原に出かけてもさして恥をかかずに済みそうです。
寅さんのフアンですが、「東京は葛飾柴又です」と名乗るのは、反椋鳥意識からでしょうか。
福岡市の鴻臚錧跡近くに平和台野球場がありましたが、いつの頃からか、七回以後の試合は、無料入場出来るようになりました。ナイターの照明塔には、夥しい椋鳥の群れが鳴きながら止まっていたのを思い出します。

禅 宗

2010-01-19 21:19:26 | 歴史
私の宗旨は禅宗です。広辞苑によりますと、
仏教の一派。その教旨は、仏教の真髄は座禅によって直接に体得されるとし、教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏を主張する。
とありますが、難しいものです。
母方の宗旨は、浄土宗です。母が亡くなった折り、お寺にお願いして、枕経を上げて戴きました。そこで、禅宗の念仏は南無阿弥陀仏ではなくて、南無釈迦牟尼仏であることを知りました。以後お線香をお上げして、そうお唱えしております。
宗派によって、お釈迦様のお名前が異なるのには、異議をとなえたく思いますが、宗派によって教義の解釈が異なるのもやむを得ないことでしょう。
戦国末期、切支丹大名の領地内で、寺社が焼き払われた事例が数あることは聞いております。
長崎の諏訪神社の縁起では、当時の辺鄙な漁村であった長崎の寺社が、キリスト教宗教者によって焼き払われ、社殿のみならず産土神としての復興として諏訪神社が再興されたとあります。思えば、切支丹の宣教師のせっかちな布教活動が、時の権力者をして、禁教弾圧に踏み切らせたのではないかと思われます。
古代寺院建立には鎮守を設け、土地の神様とは妥協を謀っています。信仰は理にあるのではなく、信と和にあるようです。
長崎県宗教者懇話会は各宗派の融和を計るを目的にしており、事務局が諏訪神社内にあるのは、意義深いことだと思います。

長崎の諏訪神社

2010-01-18 13:08:22 | 日常雑記
先日「長崎くんち」で有名な諏訪神社に参詣し、神官の方から、神社の歴史について講話を拝聴しました。その後雪の残る境内を散策しました。
御神馬は、平和祈念像の作者北村西望翁が一〇三歳で完成されたものです。境内には珍しい狛犬があります。神社案内によりますと、「止め事成就狛犬」は、脚にコヨリを結び、禁酒・禁煙・受験のすべり止めを祈願し、「願掛け狛犬」には、昔遊女達が海が荒れて、船乗りにもう一晩泊まって貰うことを願ったとの伝えがあり、「カッパ狛犬」「とげ抜き狛犬」「病魔除け狛犬」「高麗狛犬」などと、お稲荷様の傍には、災難除けの「蛙(トンク)岩」もありました。
神社内に、宗教交流と平和運動への連帯を計る長崎県宗教者懇話会の事務局があるそうです。


正体不明の物体、地球に接近中

2010-01-14 20:40:57 | 科学
米航空宇宙局(NASA)は12日、正体不明の物体が米東部時間13日午前7時46分(日本時間同日午後9時46分)、地球に約12万キロ(月までの距離の約3分の1)まで最接近すると、発表しました。
これはちょっと驚きと不安を与えるニュースでした。しかし朝刊紙面には特段の記事はありません。
詳細に読めば、それは軌道の分析から10~15メートルの小惑星です。NASAによると、これぐらいの大きさの小惑星が月の距離より近いところを通過するのは1週間に1度ぐらい起きるということです。
近頃は予見できそうなことが出来なくて、世間を困惑させます。
世間一統旨の判りたる者はなし、でしょうか。


トン族の暮らし

2010-01-13 20:01:34 | 地域
よく知られた陶淵明「桃花源記」の幻想にも似た情景を「スライド(NG)」で見ることが出来ました。冒頭には鶏犬相聞、詩文と同様な雰囲気を感じました。ただ犬の鳴き声を聞くことができませんでしたが。トン族はタイ系の少数民族だそうですが、殆ど知識がありません。
いまどき桃花源のような桃源郷はないでしょう。先祖が秦時代に戦乱を避け、妻子村人が連れだって、人里離れた奥山に住み着いて来て以来、一歩も外へ出ず、世間との縁が切れている、そんなトン族の状況ではありません。
現在人口250万、若者は子供を親族に預け、仕事のために土地を離れているようですし、日々テレビの悪影響が昔ながらの良俗を冒すことでしょう。そればかりか押し寄せてくる近代化した生活で伝統が毀されつつあります。
日本からの観光客も少なからずあるようです。当然でしょうが、日本人の風貌に、極めて似かよっているのも親しめました。