其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

六根清浄

2013-12-15 14:10:54 | 地域
昨日宝満山と修験道などについてのお話を拝聴しました。高所恐怖症の私を除いた拙宅全員は宝満山登山を終了しております。年寄りは二階に登らずと言う諺がありますが、諸般の理由から残念ながら二階家です。近年とみに階段の昇降に難儀しており、六根清浄 六根清浄と唱えて昇り降りしております。
つらつら考えると、と言うより当然のことですが、この六根こそ意識の根幹であり、その根幹にこそ欲と希望の源泉があり、生活の支えとなっているようです。
眼・耳・鼻・舌がいかに簡単に欺罔され易いが先日の過誤表示騒動です。識にしても私は勿論、世間一般に暗示に過敏に反応なさるようです。。
ところで、信頼できる最初記憶はいつ始まるのでしょうか。私は現在の福岡市東区奈多の海岸近くに住んでおりました。おそらく五歳未満でしたでしょう。そのころ対岸の名島と奈多を結ぶ渡船場があり、一枚のアユミ板が船とを繋いでいました。砂浜ですから転落の危険は考えられません。ある日その渡船場に修験者の法螺貝が響きました。その緩やかな響きは海をわたって対岸に届くのだ、多分連れへの連絡だと思いました。修験者と法螺貝の響きの記憶が記憶なのか後で聞いた伝聞なのか昨日のお話を伺いながら考えていました。