其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

初めての北京ダック

2014-11-30 19:15:05 | 日常雑記
仲のよい夫婦を青頸と言います。鴨の夫婦は仲がよいのか戸籍関係の因縁からか連れそつています。
昔聞いた話ですが揚子江の上流から筏で河を下ります。アヒルの稚鳥を連れて悠々下流に向かうのだそうです。私は九州周辺を離れません。言わんや中国大陸を地図以外に寸借のメーター尺も持ちません。支那には四億の民がいるという卑唄がありました。それを推測するとのんびりせざるを得ないようです。上流の村からおのれとアヒルとが同乗して上海あたりまで流れにそって下ればペキンダックに適宜なになるでしょう。その調理法は美食の無神経さの極みとも思えるのですが、薄皮にくるんで温和しく嚥下しました。
万事喰う喰われるはその場の成り行きですね。

仇討ち

2014-11-28 19:33:35 | 日常雑記
あれこれ聞けば荒木又右衛門の鍵屋の辻でしょうが、吉川英治先生が喧伝した巌流島の派手なお話もあります。しかし江戸から明治三百年間のかわら版(太陽コロレクション)を読んでみますと、仇討ち(つまりは私闘ですが)結構ゴタゴタあっているようですね。偏に赤穂浪士のお話もよく考えると分別のあるお殿様の何とも頭に血の上った挙げ句の話ですよね。あれはお芝居が持ち上げた世論操作であるようです。つまり幕府に対するヘイトスピーであるような気がするのですが。
福岡県甘木市(いまは朝倉市)に最後の仇討ちに係わるお寺があります。討たれたのは裁判官職にあったそうですが、事の是非は問うまでも無くご一新のお話ですからよくは判りませんし、論じてもお互いに唾を飛ばし合うすのみでしょう。歴史こそ正当な評価がないもののようです。ましてや多数決で決められるものではありません。「歴史とはなんだ」という本を昔読みましたし、先の見えない上滑りな議論が現在多くなりましたね。菊池寛先生が生存であれば後輩にどのような男性的なアドバイスをなさるでしょうか。

観世音寺の秋

2014-11-26 13:41:38 | 身辺雑記
ある人に尋ねました。暑いと寒いとどちらが凌ぎやすいと思われますか? 当然のように冬の寒さですよ。冷暖房の効いた部屋での仕事は考えれば四季の憂いが無いでしょうが。寒さには防寒の手立てがありますが、炎天下にはそれができません。横断歩道傍で自動車をやり過ごしているとき停車している車から吐きだされてくる灼ける熱気にうんざりする経験は誰しもあります。車を常用しているお方は原油の価格高騰が気がかりでしょうが。
観世音寺の公孫樹は或いは例えれば青年期ではないかと思います。それでも黄葉は美事です。銀杏が落零れてはいますが僅かです。南京櫨は前御住職に伺ったことによると九大農学部の先生のお勧めで当時で二五年ほど前に植栽されたようです。街路樹には流行があって一頃南京櫨がよく使われたそうです。福岡市西部地区の街路樹には公孫樹が多いようです。若葉青葉の季節が青春とすれば紅葉の時節は充実した老壮年期と思いたいですね。

色々な言葉

2014-11-24 19:50:02 | 地域
むかしの話ですが、いまでこそ日本語の使いさばきがTVの普及効果があってか方言に差別的な色合いを持たなくなりました。昭和二〇年代に私は北九州から静岡県清水市に移転しました。言葉について妙な差別を受けました。具体的な例は挙げませんが妹たちは妙な劣等感を経験したようです。しかし日常の親密さは決して損なわれたと今も思いません。
平戸のお殿様松浦静山の多分祐筆に使われ残された「甲子夜話」があります。お殿様曰く「田舎である里俗の言葉にも古きを見るべきあり。おのれ知らざるままに笑うあり」
として幾つか例を挙げておられます。
*あへる 物が落ちる
*しび 魚の名鮪
*はこ 大便をする
*よか ことのよきことをいう
*たまがる 魂消える ものに驚く
*こつてひ 男牛
*まる 大小使をする
*いん 犬
私は唐津・伊万里・博多・太宰府と転転しておりますが、僅々バスで二時間ほどの隔てしか有りません。例語になるほどかの異存はありません。

銀杏の話

2014-11-22 19:54:20 | 身辺雑記
今日図書館で「和漢三才図会」を借りました。そして電車に乗りました。先ほどから銀杏部分を読みながら小春日和と言うんでしょうかのんびり車窓外を眺め「銀杏」の諸説を読んでおりました。
元本である「本草綱目」にはイチョウについて次のように解説してあます。銀杏はもともと江南に産した。樹の高さは三丈。葉は薄く縦すじあり、鴨の掌のような形をしている。切れ込みがあって表面は緑色、裏面は淡い。二月に黄白色の花が咲くがそれが深更に及んでのことなのでみる人は稀である。中略
雌雄を一緒に植えるとも双樹は互いに見つめ合って実を結ぶとありますが、植物学の解釈とは違っいても風情のある軟らかなお話と思うのですが、如何でしょう?
互いに見つめあって実を結ぶなどとは何とも風情のあり情あるお話と思いますが。

猿廻しを見て

2014-11-20 19:36:14 | 身辺雑記
以前は小さなお社の境内にちょっとした猿廻しなど景物がありました。また尋常小学校の門前近くのも極く零細な商売人の露天商売が店を張っていました。それはなんでもない見世物のようでもあり、子供だましとは言えラチもないものが多かったようです。今でも憶えているのは五センチ四方くらいの粘土造りの象や河馬などの型でした。粘土を押しつけて型を採り、乾くのを待たずに色砂をまぶすのです。大方その場その場の子供だましのものですが、学校の図画工作にはない創意があったように思えます。学校の校門近くにも僅かな道路の溝縁で商売をやっていました。道草には再三の注意がありましたが、何故か道ばたの商売には注意がありませんでした。今思えば零細の更に零細な商売人方への先生方の思いやりがあったのではと思います。昔は師範学校には月謝が免除され、その代償として卒業後教職に就くことが義務付けられていたようです。こんなことにもむかしは目配りや気配りがあったと思うのですが如何でしょうか。

せいもん払い

2014-11-13 19:35:47 | 身辺雑記
季節はいくぶん秋より冬に傾いてきたようです。紅葉も街路樹も今日の日和待ちであったかのようです。さすが街行く人の軽装は少なかったく思えました。以前冬の季節ものを商う方に聞いたことがありました。やはり季節ものは速めに寒くなってくれる方がよろしいとのことでした。同じように寒くても年を越すと売れ行きが落ちたそうです。
今日街に出ますと「せいもん払い」の呼び込みやポスターなどが盛んでした。しかし当節は年中財布を緩めさせようとの工夫がなされています。以前はせいもん払いが給料日前なのがと残念がる人も多かったようです。カードやクレジットも便宜ではありますが、幾分買いものの楽しみを損なっているのではとも思います。欲しい欲しいの末にという楽しみもあったでしょうに。

公孫樹

2014-11-12 19:07:45 | 生き物
先月の末、御笠川傍の二本の公孫樹のあるお寺へ侵入しました。勿論お寺の奥様に事後承諾は受けましたが。正門に近い境内にはプラスチック漬物桶が並び銀杏の実が入っていました。小さな受け笊に漬物桶から銀杏を移し外皮を削ぎ落としておられました。雌木の下でしたから一方の門傍の公孫樹は雄木ですかと尋ねました。本堂横のがそれだと教えて戴きました。水に晒されてはいますがかなりの悪臭です。お詣りのお方に差し上げるそうでせっせと指を動かしておられました。
公孫樹は有性生殖であるのはほぼ常識ですが、明治二九年(1896年)植物学者平瀬作五郎先生は公孫樹の有性生殖の最終段階である二個の精子が泳いでいるのを観察されました。この事は世界の植物学を震撼させる事実だったのです。私は大きな公孫樹を見る度にこの樹の雌雄を推測するようになりました。幸い時期もよかったと思います。

金太郎と桃太郎

2014-11-08 19:52:36 | 身辺雑記
金太郎と桃太郎
日本架空伝承人名事典という本を借りました。ページを捲る度に懐かしき登場人物が現れます。昔育ちの人ならば寒い北風を抜けて銭湯にたどり着いて湯船に浸かった気分になるでしょう。石川五右衛門も現れれば、空海も後藤又兵衛も妲己のお百も牧野富太郎先生もご登場です。どうやら日本歴史教本にはうごめく底から活力が欲しいと思いますね。



記憶と写真

2014-11-06 19:08:11 | 芸事
北島寛氏の「思い出の博多(昭和三〇年代写真帖)」を図書館から拝借しました。写真はタイム・マシンですね。厭応なしにその時代に引き戻されます。老年配になると写真に写される事を極端に嫌う方がおいでです。記念写真はそれなりに大切な人生の節目となるのですが。生身の対面と違って写真はあからさまな老醜が曝されます。ところが若年輩でも子供のころの写真や8ミリなどが写されるのをのを嫌います。成長の過程であってもやはり幼さが露骨に現れるのに恥じらいを感じるのでしょうか。
博多の街の風景風俗の貴重さに加えて「志免・炭鉱に降る雪」は時代の流れを有無を言わせぬ描写で表現しています。写真は撮影者の思想や社会観に左右されては写りません。綸言汗の如しです。しかし社会を見る眼は男と女に遙かな違いがあるようですね。この写真集は二〇〇三年発行されています。