其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

梅雨のはじまり

2009-06-30 14:02:10 | 日常雑記
昨日よりかなりの雨が降りました。激しい雨音では、幸い眠りを妨げられることはありませんでした。ただ明け方に、樋を溢れる水音で、いずれつまった落葉を取り除かねばなるまいと、幾分気が重くはなりました。
金魚の水槽が濁っていたので、一昨日水を取り替えました。暖かくなると、汚濁するのが早いようです。
昨日の朝日新聞俳句欄に、東京都の鈴木ひさお氏の
水替へし金魚しばらく虚なる  
が選ばれていました。たしかに水を替えたすぐには、動きの止まった金魚が水槽の底近くにいます。金魚にしてみれば、新しい転居宅で心落着かないのでしょう。
子供の本に「金魚はオシッコをしますか?」という質問がありました。回答、「あらゆる生き物は排泄をします。」

ペンの新製品

2009-06-29 10:37:00 | 日常雑記
昨日オリンパスの福岡営業所で新製品を見せて戴きました。見たところが良いので、買うことにしました。操作についての説明は、すぐには現品を手に出来ないようですから、届いてからの楽しみのため、あまり身を入れては聞いていませんでした。マニュアルを見ながらあれこれ思案するのも、機械物を買ったときの楽しみですね。
写真機好きのお方は一家言あります。それも一つの愉しみでしょう。ずっと以前は、カメラ屋さんの店先が好き者の寄り集まる場でした。あれから四十年!!付かず離れずの関係にあります。
ほとんど最初だと思うのですが、カシオのデジカメ一号を買っていますが、今あるデジカメは、どれもそれなりの逸品だと思います。今度のカメラが手に入ったら、新規まき直し、ズームなしで、初歩からやってみようか、と思っています。

のどかな田園風景

2009-06-25 20:25:17 | 日常雑記
ついお隣の筑紫駅に降りてみました。綺麗な道路とJA事務所とマンションなどが目を見張らせました。もっとも近ごろはコンクリートに固められた四囲に驚くことはありません。
筑紫野市筑紫支所の傍に西鉄旧筑紫駅待合所が残されています。
昭和二十年八月八日福岡発九時分の下り列車(二両編成)は井尻付近で空襲警報のため停車、ほぼ満員の二〇〇名余の乗客は一旦車外に避難した。北部九州が何度目かの空襲を受けた日で、戦爆連合百八十機が井尻上空を通過したのが目撃された。
警報は一時間余で、解除され、乗客はふたたび電車に乗り込んで、電車が筑紫駅に近づいたのは、昼近くであった。おりしもグラマン数機が上り列車(二両編成)に機銃掃射を加えているのを目撃、急停車して乗客避難を開始する間もなく、たちまち機銃掃射をうけた。
これによって、上り列車の乗客二十名のうち即死八名下り列車の乗客二〇〇余名の内即死五十六名、負傷者一〇〇余名という甚大な被害を受けた。わずか五~六分間の出来事であった。終戦まであと一週間という日の惨劇である」と西日本鉄道株式会社七〇年誌は筑紫駅空襲の模様を記載しています。
この駅舎の屋根には当時の米軍機の弾痕が残されています。わたしたちの身近な所で起きた戦争の惨劇が永く語り継がれ、この駅舎が平和の礎として活かされることを願って保存するものです。
またこの駅舎は大正13年4月に開通した急行電車のホーム待合室として昭和初期に建設されたもので現存する駅舎のなかでは最も古いものです。
* なお銃撃をした米軍機の機種については諸説があります。
以上は筑紫野市教育委員会が 一九九六年八月に建てた説明板によります。
東京・横浜・大阪・神戸その他数々の都市が、爆弾と焼夷弾とによって悲惨な惨害を受けています。その惨害からはすでに半世紀以上、忘れていい歳月のかなたにあります。忘れていい歳月かどうかはそれぞれの胸のうちにあるようです。


ウルガイのアラカブ

2009-06-24 20:09:27 | 日常雑記
朝刊の折込広告に、アラカブ四匹百九十八円とありました。魚大図鑑(週間釣りサンデー発行)では、美味最高印の****です。型は小ぶりだが、思いがけない廉さだなだなと思いす。もつとも私は買いものに出かけません。
末広恭雄先生の「魚の博物事典」によりますと、アラカブとは、長崎その他の九州地方の呼び名です。東京周辺ではカサゴというそうです。
『磯のカサゴ』は口ばかりと言われるそうです。たしかに口は大口、目玉は太いのですが、この目玉のあたりは、美味の極地ではありませんか。
ところで、売りに出たアラカブの産地、ウルガイの方位方角が分りませんので、「新詳高等社会地図」で調べました。地球の正反対側に置かれた日本が沖合いに位置しております。
なるほどこのような南大西洋のかなたから、わが食膳までおいで下さるとは、有難いやら、忝いやらですね。

蛙の声

2009-06-23 15:55:23 | 生き物
この近くではやっと田んぼに水が入り、いくらか蛙の声が聞こえるようになりました。三島由紀夫氏は、あの騒々しさが蛙の鳴き声だとは知らなかったそうです。近頃の都会育ちの子供たちもあるいはそうなるかも知れません。
「オタマジャクシはなぜカエルになるのか」を読んで、理解がどこまで及んだかは別として、蛙の話に興味をもちました。そこで、「ものと人間の文化史シリーズ」の「蛙 碓井益雄先生著」を読んでおります。いまのところまだ第2章までですが。
我家の庭にもアマガエルや、通称イボガエルが時折現れます。雨の予告と言えば言えるような時分に、アマガエアルは鳴くようですね。以前庭隅に捨て置かれた、学童机に差し入れるプラスチツクの箱に、アマガエルが卵を産み付けていました。
近くの川傍を通ると、ウシガエルのお謡い声を聞きます。一度炙った食用ガエルのササミを食べました。美味いものではありませんでした。似ているといえば、鶏肉のようでしたが、手羽先でも腿肉でも被っている皮が脂味を逃さないのでは思います。
児童用のカルタで、
青蛙おのれはペンキのぬりたてか  芥川龍之介
を知りましたが、「蛙」にも引用してあります。




オリンパスペン

2009-06-21 19:27:13 | 日常雑記
写真機を買ったらカメラ屋に行かないことにしています。すぐに値段は安くなり、性能もよくなります。他社製品に負けまいとする各社の企業意欲が感じられます。しかし、受身の側としては、手持ちのカメラに執着心がありながら目移りします。そんなこんなで、でも新製品にも興味が湧きます。
先日近くのカメラ屋へ行き、オリンパスペンのカタログを見ました。私の第一号機のペンには、思い出が多いのです。1959年発売とあります。昭和34年、その夏の賞与でなんとか買うことが出来ました。賞与という言葉には含みがありますね。
50年の歳月です。嗚呼、思えば遠くに来たもんだ。

博多の制札

2009-06-19 18:11:43 | 歴史
慶長五年(1600)関が原の合戦の後、黒田長政は豊前中津より筑前名島城へ移り、更にその翌年那珂郡警固村福崎(現在の福岡市)に築城しました。同十二年、国中の掟を定め、博多に制札を建てさせました。
喧嘩口論を禁じ、火の用心を厳重にせよ、国質、所質など取ってはならない、決まりの枡を使うこと、などを含む十三項目の掟が定められています。その中に、郡中男女によらず他国へ売り渡すことは禁止するとの禁制があります。金銭貸借による人質を、他領に売り渡す弊害があったためでしょう。
時代は下りますが、享保八年(1723)の江戸の質屋数は、仲間253組2,731戸に及んでいます。
最後に、竹の子一切採ってはならない、という項目もあります。
そのころ生松原、箱崎地蔵松原に松を植えたとあり、松の皮剥ぎを禁じるなど、藩では植林に力を入れた様子が窺われます。多分福博の人口が増え、薪炭が不足していたのではないでしょうか。

みちのべの

2009-06-18 20:41:39 | 日常雑記
「武江産物志」という本があります。江戸のころの植物、生き物などを事細か拾い出してあります。江戸のむかし朝夕出遭っていた日常の植物・小動物を拾い上げ、書き出したものです。幸い江戸の人士の書きものですから、残っていたのでしょう。都鄙を問わず、日常に親しくしていたものですから、このようなありふれた細事を記録するなどは、思いもしなかったことでしょう。
当市の観世音寺の前で、ご夫婦が道端の野草の写真をとっておられました。しばらく眺めておりましたが、詮索めいたようなので立ち去りました。それがいつ頃であったか記憶は確かではありません。しかし、そのころ町公報(市制前ではありました)に「古都の植物あれこれ」が連載されていました。平成3年ごろが、36回でして、切抜きは54回までありますから、かなり長期に亘ったものでした。筆者の長田武正先生には、野草図鑑7巻があります。
地誌・郷土史に関しては、同好の士による会合があります。温故も考え顧みなければならないものです。それとともに現在享受している生活環境の消長についての心遣いも必要かと、思います。
「武江産物志」をお読みになると、大江戸も靴底とコンクリートで踏みにじられる前には、書き残されたような穏やかな自然があったことに気付かれることでしょう。


2009-06-16 17:41:14 | 日常雑記
年をとると、色々半端なことで煩わしい思いをしています。口元まで出てきているのですが、名前が思い出せない、そんなもどかしいことが日常多いのです。
五雑組に意見を拝借するまでもありませんが、「一尺の顔面でありながら、億兆さまざまに形が異なるのは、造物の巧妙なところで」あります。幸い五尺の身体には、その顔という大きな表札が下がっております。そこで世間一般には、不自由せず暮らせております。
もともと氏名は、集団における識別(名刺使用のように)のためにあるようで、加齢とともには群れ離れの存在となりつつあるのですから、あえて名前を忘れたとしても、気にすることはあるまいなどと思っています。

オタマジャクシはなぜカエルになるのか

2009-06-15 12:23:20 | 生き物
オタマジャクシが空から降ってきたという珍奇な現象が、六月四日に石川県七尾市、同じく十一日には輪島市でありました。竜巻のせいでもなく、鳥が咥えてきたものでもないそうです。このニュースのお蔭で、表題の「高校生に贈る生物学②」を図書館から拝借しました。高校卒業後既に六十年になりますので、硬くなった脳細胞に負担を強いつつ読んでおります。
著者の吉里勝利先生は、「増殖分裂、成長、運動、刺激応答、代謝、繁殖および進化を自然に行ぅことができるタンパク質、核酸、糖質および脂質を材料として作られた構造物」が生物である。とすれば、生命とは「タンパク質、核酸、糖質および脂質の複合体がもつ情報」であるというのが私の考えである。私は心や精神という高度な生命活動も、この複合体がもつ情報の中に含まれると考えている。と述べておられます。
翻って、私の記憶の中での生物の教科に、このような内容が含まれていたとの覚えはありません。おそらく忘れてしまったのでしょう。
空からオタマジャクシが降ってきた不思議な現象が、表題の本を読むよい機会を与えてくれました。