其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

小惑星国友一貫斎

2007-07-22 11:48:20 | 科学
「あだ名の人生 池内紀氏著」を読んでおりましたら、てつぽう一貫斎の話が出てきました。どこかで読んだような気がして、本箱を探してみました。「江戸の好奇心 内山淳一氏著」の第三章の「国産望遠鏡による天体観測」で国友一貫斎こと国友藤兵衛の名がありました。
 滋賀県長浜市伊部町(現在の元浜町)の鉄砲鍛冶師である藤兵衛は精緻な気砲(空気銃)、懐中筆(筆ペン)、等々数々を工夫し、天保年間には国産第一号のグレゴリー反射望遠鏡を製作、月のクレーターや木星の衛星を写生しています。天保六年一月六日から翌年二月八日までの太陽の黒点観測記録「日月星業試留」があります。
反射望遠鏡は天保の大飢饉の際、窮民のため大名家などに売却されたと言われています。
小惑星国友一貫斎は、杉江淳氏が一九九一年十一月九日発見した小惑星ですが、日本天文学の魁である郷土の偉人の名に因んで命名されました。
江戸の人々の好奇心もなかなかのものです。


傾国の美女

2007-07-18 13:36:11 | 歴史
夕刻川沿いの散歩で、芭蕉が西施に擬えたネムの花を見かけました。
葉が夜には閉じて垂れるので、その名となったのでしょう。目立つのは雄しべだそうです。材は胴丸火鉢・下駄歯になるとありますが、どちらも近頃では見かけることがありません。
越王句践は謀あって、薪売り娘西施と鄭旦に、三年間優雅な立ち居の教育をします。このあたりが短兵急に事を進めない大陸風な知恵でしょう。そして呉王夫差に貢ぎます。
臣下は「五色人目をくらます」と諌めますが、夫差は聞く耳を持ちません。まんまと句践は呉王を滅ぼしてしまいます。
西施と鄭旦に施した三年間の美女教育方法は、今日でも役立つかもしれません。

笠木の小石

2007-07-15 16:47:50 | 日常雑記
当地では台風四号の被害がさしてありませんでした。けれども近くのお寺やお宮の境内には吹き千切られた小枝が散乱しています。昼過ぎには残っていた雨も止み、青空が現れました。
お宮の鳥居の笠木から小石がいくつも落ちていました。鳥居は古く幣として神に供えた鶏のとまり木だとのことです。(江戸文学俗信辞典)。鳥居と有るからには鳥との結びつきは当然あるのでしょう。鶏栖とも書くのだそうです。
しかし笠木に小石を投げ上げ、上手く載せれば願い事が叶うという俗信のことは触れられていません。
小石を投げ上げて笠木に載せるのは、簡単のようでなかなか上手くいきません。参詣者の多いお宮など無理だと思われるのですが、全くないとはいえません。さぞや沢山の願いごとが叶ったことでしょう。

台風の名前

2007-07-14 16:40:58 | 日常雑記
台風の名前を近頃ではほぼ号数で呼びますが、かっては女性の名を使っていました。カスリーン・キテイ・ジェーン・ルースなどです。どのような経緯でそうなったのかは判りませんが、女性がいつまでも年を取らないわけではないし、呼称がどうであれすり寄られては迷惑します。
台風4号は別称ニンマイです。去年の19号はウーコンという恐ろしい別名がありました。孫悟空のことだそうでした。孫と聞けば生易しくない印象を受けますが、喉元過ぎればの喩え通り当地の被害についても覚えがありません。
現在14日16時を少し過ぎた時刻ですが、やや風が治まり、雨も止んでいます。わたしの気圧計は982hPaでアメダス(福岡)とほぼ同じです。
台風時は机の上に気圧計を置いておくと気圧の昇降がはっきりします。台風の目に入った、去りつつあるなど臆病者にはいくぶんかの安堵を与えてくれます。
それにしても「ニンマイ」とは何のことでしょうか。


『のばせばのびる』

2007-07-06 14:57:12 | 日常雑記
古賀政男作曲の歌謡曲は、5000曲ほどあるそうです。大川市には古賀政男記念館があり、また国民栄誉賞を受賞されています。
演歌調が多いのですが、子供のころ「うちの女房にゃ髭がある」というスットンキョウな歌を唄いました。佐藤愛子さんの兄サトーハチロー(星野貞志)作詞・古賀政男作曲となっております。同名の映画主題歌では、「ああそれなのに」があります。(新版日本流行歌史「上」による)
牛肉ミンチが問題になりましたが、裏返せば滑稽な話です。一流企業の商品について毎日のようにお詫びの新聞広告掲載されたこともあります。ただレトルト食品の袋を熱いから火傷しないように扱えなど誰に向かっての注意でしょうか。
「羹に懲りて膾を吹く」という用心も用心のうちに入るのでしょうか。
日中戦争の直前の昭和十二年に発表されて大流行した古賀政男作曲の「のばせばのびる」という歌謡曲があります。
のばせばのびる
  カツレツの肉よ
のばしてのびない
  月末の払い  
とあって最後には
のびろよのびろ
  なんでものびろ
ついでに月給も
  うんとこのびろ
カツレツの肉がどんな延び方をするのかは知りませんが、ついでに月給もうんとのびろとの嘆息は今でも聞けそうです。


尺貫法

2007-07-04 12:12:38 | 日常雑記
今でも平米当りと言わずに、坪当たりいくらだとするのが判りいいと言う人がかなりの数います。これからは次第に平方メートルが視覚的にも実数的にも理解しやすくなることでしょう。
しかし、一石が一〇斗、一斗が一〇升、一升が一〇合、一合が一〇勺の容量単位を全く忘れてはいません。現に酒屋では、1.8リットルの瓶が並んでいます。一升は1.8039リットルが正確だそうです。
一石はもともと大人一人が一年間に食べる米の量から導かれた単位でした。しかも一石の米が取れる水田の面積が一反とされ、従来一反は300坪でなく360坪だったので、一年の360日で割ると一坪になります。そこで、一人一日の米の消費量は水田一坪だとそれぞれが実感できたわけです(塵劫記にまなぶ 西田智巳氏著による)。
尺貫法は外国でもそうであるように身の丈などの数字を基礎に置いたものですから、皮膚感覚から外れた数字にはなかなか付いていけないようです。
そればかりか妙な利点もあります。水田の面積がみるみるうちにただの空き地と化してしまった現況を一坪(3.3平方メートル)が一人の一日の米の消費量だと換算して眺めると、緊急時の食糧事情を考える資料となるのではと思います。

老獪について

2007-07-01 21:24:23 | 歴史
李鴻章は日清戦争の講和条約の全権大使として調印をしました。国政が衰えた時に国家全権を背負うのは並大抵ではなかったでしょう。わたしたちが子供の時代には、かれに対する蔑視の観があったことは否めません。
しかしその後かれが疲弊した祖国の国力を守り立てようと努力した功績の数々を知りました。敗戦処理の出来る器量はそれなりの人物でなければなりません。老獪さも必須です。
老獪というのは、ただ用心深いというだけではなく、大切なのは、時代の趨勢を嗅ぎとる能力であると陳 舜臣は著書「風を観る」に述べています。