「あだ名の人生 池内紀氏著」を読んでおりましたら、てつぽう一貫斎の話が出てきました。どこかで読んだような気がして、本箱を探してみました。「江戸の好奇心 内山淳一氏著」の第三章の「国産望遠鏡による天体観測」で国友一貫斎こと国友藤兵衛の名がありました。
滋賀県長浜市伊部町(現在の元浜町)の鉄砲鍛冶師である藤兵衛は精緻な気砲(空気銃)、懐中筆(筆ペン)、等々数々を工夫し、天保年間には国産第一号のグレゴリー反射望遠鏡を製作、月のクレーターや木星の衛星を写生しています。天保六年一月六日から翌年二月八日までの太陽の黒点観測記録「日月星業試留」があります。
反射望遠鏡は天保の大飢饉の際、窮民のため大名家などに売却されたと言われています。
小惑星国友一貫斎は、杉江淳氏が一九九一年十一月九日発見した小惑星ですが、日本天文学の魁である郷土の偉人の名に因んで命名されました。
江戸の人々の好奇心もなかなかのものです。
滋賀県長浜市伊部町(現在の元浜町)の鉄砲鍛冶師である藤兵衛は精緻な気砲(空気銃)、懐中筆(筆ペン)、等々数々を工夫し、天保年間には国産第一号のグレゴリー反射望遠鏡を製作、月のクレーターや木星の衛星を写生しています。天保六年一月六日から翌年二月八日までの太陽の黒点観測記録「日月星業試留」があります。
反射望遠鏡は天保の大飢饉の際、窮民のため大名家などに売却されたと言われています。
小惑星国友一貫斎は、杉江淳氏が一九九一年十一月九日発見した小惑星ですが、日本天文学の魁である郷土の偉人の名に因んで命名されました。
江戸の人々の好奇心もなかなかのものです。