其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

島原大変肥後迷惑

2010-10-31 20:21:23 | 江戸随筆より
勿論いまでは参勤交代の行列など眺めることは来ませんが、「鞠と殿様」という唱歌では、なかなか華やかだったろうと思えます。
唐津のお殿様がお國帰りをなさった折り、大阪大和屋の人夫雇頭の手代が人足四十人を連れて行列に加わりました。島原のお殿様からも御道中人足の御用を承りましたので、ご城下に逗留することになりました。手代は惣次郎と言い、彼の見聞によれば、次の通りです。
そんなわけで、寛政四年(一七九二年)四月一日の雲仙岳の爆発による大地震に遭遇し、どうやら九死に一生でした。
わたしは地震が激しいのでどうにも堪えきらず、宿を出たときには、既に家屋は倒壊し、往来の水嵩は腰を越すし、東西南北いずれの方も分からぬありさま、男も女も泣き喚くし、山津波から吹き出し泥熱湯が一つになって押し寄せます。わたし外三名はどうやら命を取り留めたが、残る三七名は行方不明となりました。
城下は一面全く砂原となり、眼も当てられぬ惨たる光景です。湾内には船影などは見えず、帆柱ばかりが海上の処々にあるのみで、海には新しい山が出来ているのが見えました。
唐津のおくんち近くなったので、大田南畝の随筆を思い出しました。


ドキュメント・スキャン

2010-10-26 09:44:40 | 日常雑記
インターネットを利用することは大変便利です。便利さにかまけて百科辞典の代用やら、ニュース記事などを切り抜きスクラップ同様紙面におとして野放図に紙資料を増やしてしまいました。結果溜まった紙の処置に困っています。
ちかごろ書籍電子化の趨勢から、簡便なスキャン用具に手が届くようになりました。今まででもスキャンを使っていましたが、昔人間ですからどうしても紙の上の活字に拘ります。そのせいで溜まった資料も半ば休眠状態です。
今度買い求めた器具は一度にかなりの枚数がパソコン内に取り込めます。種目別にCD化すれば検索も工夫次第で楽になるのではないかと思っています。
大田南畝や松浦静山のように筆まめに書き記すのが本筋でしょうが。

図書の選択

2010-10-25 16:32:28 | 日常雑記
当市の図書館には新聞五社の書評が柱に貼ってあります。その内容を熟読して購入を思い立たれるお方もおいででしょうし、書店で立ち読みしながら選択されるお方も多いと思われます。
活字が電子化して新聞の役割が狭くなる事は予測されます。しかし週刊誌の広告はなんと言っても新聞広告に勝るものは無いと思われます。どぎつい惹き文句は、短期間に売りさばく週刊誌の商売上の常套手段として必須のものです。
新聞が衰退しては出版界も困るのではないでしょうか。化粧品や飲料水などのように、人気者を使って派手に書籍の広告をテレビで流せば、漫画はいざ知らず書物の品格は失墜します。今時の本屋の店頭はまるで青果市場や魚市場のようですね。




ユニクロでは買いませんが

2010-10-23 20:50:12 | 日常雑記
わたくしは歳が歳だから、衣服にお金を掛ける必要がありません。しかし多少はお洒落も心懸けねばと思わないこともありません。年寄りは赤色系統の衣服を着て、交通安全に協力すべきであると、お節介にもおっしゃる方もおいでです。
勤めのころでさえ衣服や飲食にお金を使うのは、趣味でありませんでした。近ごろのように黒ずくめの制服で選択の余地のないのであれば通勤時はさぞや楽であったろうと思います。
ところで今日目を洗われるような正論を読むことが出来ました。それは「柳井正の希望を持とう」というコラムの「偏狭な愛国心を排すべき」
です。ここにその要旨を書いてもよいのですが、せっかく紙面(10.10.23)に載せた朝日新聞社の縄張りを犯してはなるまいと遠慮しました。

升で量るな

2010-10-22 20:29:30 | 日常雑記
台風のために奄美に酷い災害がありました。当地にも豪雨のために災害を被ることがあります。世界の各地の人々がTVや新聞などによってその詳細を知ることが出来ます。
日本各地のみならず全く地名も知らずいずこにありやの国のありさまの災害をつぶさに知ることも出来ます。それが果たして良いことがどうかは別として、豊かな情報を得る自由で遁れられぬ実情を知り、惨憺した同情でTVを眺めます。
反射的に地域状況から颱風や集中豪雨の被害が集中する場所が推測できます。ニュースを見ながら天災による災害とは処を選ぶのではあるまいかなどとつまらぬ僻みを感じます。
災害の悲惨さは人災の数によるものでしょうか?数によって軽重を判断していいものでしょうか?


国勢調査

2010-10-20 12:22:15 | 日常雑記
今月一日国勢調査が有りました。我が国では第一回調査が一九二〇年(大正九年)に行われました。五年目ごとに簡単な調査も行われるそうです。
とらやの店先に調査用紙を持った人がやってきます。ふうてんの寅さんをどのように記載をすべきか身内で議論しているところに幸い本人が姿を現します。
これは私だけの感想かもしれませんが、旅帰りの寅さんが一番寂しい思いをするのは、とらやの敷居を跨ぐときではないか、そう思います。いつぞや魔除けのそばに「下宿あります」の札が下げてあるのを見て、「もうお前なんか帰ってこなくてもいいよーだ」と貼りだされているようだとひどく怒ります。
お話であるから笑えもし、赦せる寅さんでも同様な身内がいては辛抱に限界があります。どんな顔が自分に向けられるのかが寅さんの不安です。迎える者も自分の顔色で腹の内を探られるのではないかと心配します。しかし思いのたけをぶちまけて敷居を蹴って外へ飛び出すときは勢いが助太刀します。
十年に一度の国勢調査や五年毎の簡易調査にも洩れ落ちがあった現状は侘びしいものです。

そんな役割

2010-10-18 21:20:46 | 日常雑記
正否は別として世間体にいえば、損な役割に涙する人もあるようです。年の暮れ近くなりますと、竹田出雲作の浄瑠璃が基となった敵役吉良上野介がそうです。大石さんに肩を持つお方は喝采されますが、吉良家旧知行地では、一般の風潮に反して義央びいきの風潮が永く残っているとのことです。
それは知行地である三河国幡豆郡吉良地方の統治にも意を用い、貞享三年(一六八六)の黄金堤の築堤、元禄元年(一六八八)その妻富子の名をとった富好新田の開発などは、後年までその地の住民に、名君吉良上野介の名を伝えさせたようです(国史大事典によります)。
当今ハテナハテナが、多いようですが、新聞を始とする報道陣の言説は時間をかけて後追い調査が必要ではないかと思われます。
大東亜戦争中の言論の善悪は問えないところがあり、また切羽つまったところがあって身体安全が保証されないかぎり情状酌量の余地があります。
しかしこの国に於いては充分言論の自由が保障されているはずだと思えるのですが。


暑かった夏

2010-10-12 15:38:55 | 日常雑記
今年の夏は騒々しい上に酷暑でありました。暑さが厳しく思えたのは加齢のせいもあったのでしょう。日記を見ると昨年までの七、八月にはかなり出歩いています。世間の、というより新聞TVなど報道関係者の煽り立てる風潮がいくぶん気温以上に暑さを感じさせたのではないかと思われます。
対外的な突発事件もあり、勢いのいい言論を聞くと忘れようとしていた昔の記憶がよみがえってきました。
北九州の空爆(日本においても最初)の経験があります。やがては本土各地で同様な痛い目に遭います。それはまた別の話であり、多く語られてきいています。このころの体験は年齢の僅かな差や地域別や世帯のありかたなどによって非常に個人差があります。私個人は当時中学一年生ですから戦況にたいする大局観など持ちようもありません。
私の家の狭い庭に防空壕を掘ってもらいました。海岸からの距離はあったのですが、上土を除けば砂地でした。壕にはしゃがんで座ると家族六名が身動きできません。警報が出るたびに入るともなし、また寝床に戻るでもない躊躇の時が過ぎたように思います。
壕の天井は渡した二本の丸太、その上に畳を重ねていました。警報が鳴るたびにその壕が頼りでした。畳は借家の備品ですから、常時被せて置くわけも行かず、当時は母子家庭ですから畳の運搬方は非力な私の担当でした。
北九州空爆はその後の空襲のように焼夷弾ではなく、爆弾のみでしたが相当な被害があったと推測されます。厳しい報道管制で、ひそひその風聞で知るのみでした。
幸いなことに「神州不滅、いまに見ておれ」の必勝の信念が支えになっておりました。
暑い夏には頭の涼しくなるような冷静さが必要ですね。遊びごとではないのですから。

カンダラの話

2010-10-01 15:15:40 | 
先日「呼子町史」の記事からカンダラという習俗があったと書きました。昔のこととはいえ公平さに欠けるようですから、長崎県の禁令を書き加えてみました。
 捕鯨解剖ノ際土人蟻集シテ陽ニ其片肉ヲ掠奪スル旧習ヲ禁ス
各浦漁場ニ於テ鯨鮪獲魚之節カンダラト唱エ老若ヲ不論魚肉ヲ裁奪スル悪弊有之夫々為メ職業之損害ヲ生シ候趣相聞エ慣習トハ乍申掠奪之処業ヲ以テ恬トシテ不恥ハ以之外之事ニ候自今右様之所業有之者ハ取絆之上処置可及候条見当次第取押エ可訴出候尤積年之慣習ニ候得者区戸長ニ於テハ毎戸及懇諭末々迄心得違無之様可致此段掲示並区内無洩布達候事
五日十四日(明治八年)
お上のきついお達しにも積年の慣習だから懇々と説諭してよきに計らえとも読めそうです。
他の捕鯨漁場でも同様な慣習があったのでは、と推察します。