カレル・チャペックの「長い長いお医者さんの話 岩波少年文庫」は、むかし知り合いの小学生へのプレゼントのつもりのでした。ところが、面白かったので、いまも持っています。勿論五十年ほど前の本ではありません。中野好夫訳ですが、その後に買ったものです。この童話集は、1931年つまり私が生まれた年に、出版されました。
今読んでいるのは、「カレル・チャペックのごあいさつ 田才益夫訳」です。「お医者さんの話」でもそうですが、挿絵も又よろしいのです。これは童話でなく、エセッイ集です。
夢という言葉は、曖昧な使われ方をしていると思います。夢と希望は、前途への良き期待をする場合に使われますが、希望はいいのですが、人類の夢などの表現には、首を傾げます。
「ごあいさつ」のなかに、「夢について」があります。
チャペクの言い分です。
○一二年の間に二つか三つの夢なら思い出すことかできるし、思い出すに値するが、それ以外の夢はありふれた、つまらない、通り一遍の、笑止千万な、なんの役にも立だない、愚かでいやらしい、破廉恥な、無細工な、くだらない、俗悪な夢ばかり。
○夢はすごくつじつまの合わないもので、普通はあなたか一日中やっているのと同じ仕事の夢を見るもの。
○夢について最も不愉快きわまりないのは、夢のなかで私たちがまったく受身であるということ。どんなに意思や知性や積極性を働かせても夢の筋を変えることはできず、それがどんなに私たちに意地悪なものであっても、それが(少なくともわれわれ男性にとっては)最大の恥は、つまり受身でなければならないということ。
など、彼一流の具体的で軽妙な言いまわしで述べてあります。しかし、言いたいのは、次以下のことではないかと思います。
○目覚めているということは、本当は、夢を見ることよりも面白いのです。それは充実していて、緊張感かあり、創造的です。最もファンタジックなことを私は現実のなかで経験しました。
かれのエセッイは、肩が凝らない柔軟な語り口の文章です。
今読んでいるのは、「カレル・チャペックのごあいさつ 田才益夫訳」です。「お医者さんの話」でもそうですが、挿絵も又よろしいのです。これは童話でなく、エセッイ集です。
夢という言葉は、曖昧な使われ方をしていると思います。夢と希望は、前途への良き期待をする場合に使われますが、希望はいいのですが、人類の夢などの表現には、首を傾げます。
「ごあいさつ」のなかに、「夢について」があります。
チャペクの言い分です。
○一二年の間に二つか三つの夢なら思い出すことかできるし、思い出すに値するが、それ以外の夢はありふれた、つまらない、通り一遍の、笑止千万な、なんの役にも立だない、愚かでいやらしい、破廉恥な、無細工な、くだらない、俗悪な夢ばかり。
○夢はすごくつじつまの合わないもので、普通はあなたか一日中やっているのと同じ仕事の夢を見るもの。
○夢について最も不愉快きわまりないのは、夢のなかで私たちがまったく受身であるということ。どんなに意思や知性や積極性を働かせても夢の筋を変えることはできず、それがどんなに私たちに意地悪なものであっても、それが(少なくともわれわれ男性にとっては)最大の恥は、つまり受身でなければならないということ。
など、彼一流の具体的で軽妙な言いまわしで述べてあります。しかし、言いたいのは、次以下のことではないかと思います。
○目覚めているということは、本当は、夢を見ることよりも面白いのです。それは充実していて、緊張感かあり、創造的です。最もファンタジックなことを私は現実のなかで経験しました。
かれのエセッイは、肩が凝らない柔軟な語り口の文章です。