其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

バクと夢

2006-11-27 20:34:05 | 生き物
先日は動物園で、ぼんやりバクを眺めていました。バクは中国では、想像上の動物であり、その皮を敷いて寝ると邪気を避けることが出来ると信じられていました。
悪い夢を見たとき、「夕べの夢はバクにあげます」と唱え、天井に三度息を吹きかけるといいそうです。
いやな夢を見ることがありますよね。むかし「君には君の夢がある。僕には僕の夢がある」という歌謡曲がありました。
しかし、歳を取ると、重苦しい夢ばかりを見ます。夢とは、希望を希求する言葉ではありましたが、おおむね、バクに「夕べの夢はバクに差し上げます」と幾度も大声で叫びたい、朝の寝覚めに,そう思うことがしばしばあります。

動物の孤独

2006-11-22 20:56:02 | 生き物
近頃読んだ本で感銘を受けたのは、もと上野動物園園長中川志郎氏の著「動物から教わったこと」です。読みすごせない挿話がいくつもあります。
ペンギンの子育てやら、病気に耐えている同棟の象を支える話やら、あのあまり気安くなれそうにもないニシキヘビの愛と子育ての母性愛などです。
勿論動物の行動から教訓めいた事例を引き出すのは、見当違いな誤りがあるでしょう。けれども少しは己を省みる何かを見出すことに吝かであるのは、傲慢な人間の自己満足と思うのです。
この一月に三度ほど動物園に行きました。両親や祖父母に付き添われた幼子を見て、素直に動物好きであるのは何故だろうか、と思いました。
やがてこの素直な動物に対する関心が少しずつ変化します。幼子のときに感じた動物へ気持ちが、好き好みの強弱によって変わるのです。いわく臭い、いわく汚い、キレイでないなどです。情感の包容力には幅があります。当人はなかなかそれに気づきません。わたくしにもそういう弱点があります。

川は流れる

2006-11-19 16:11:48 | 日常雑記
甘木発の都市高速バスが博多区に入ると、右に板付空港、左に御笠川の改修工事が見下ろせます。そして、聖福寺裏あたりに作業中の浚渫船をよく見かけます。
五、六年前、博多駅付近のビル街で浸水騒動があり、地下店舗から、逃げ遅れて亡くなられたご婦人もありました。例年の株主総会開催日ではなかったかと思います。
福岡市などの行政としては、あまりの無様な体たらくでしたので、現在はかなり補修工事が進捗しているようです。
海が塩辛いのは、雨水が上流から押し流す土砂に含まれたナトリウムなどによるのだそうです。ただ河口に堆積する土砂があり、放置はできません。
福岡市には、那珂川・多々良川・室見川・御笠川・金屑川などの流れがあります。近年汚れが目立たなくなりました。江戸時代ですら博多にも川に塵埃を棄てることを禁じた町触れがありました。各河川上流の自治体にしても、電気器具・プラスチック類・あまつさえ自転車やバイクなどを河床に放り込む不埒者に対する厳重な注意の喚起が必要でしょう。

菊華の候

2006-11-15 20:23:56 | 江戸随筆より
太宰府天満宮の境内では、例年の菊花展が開かれています。熱心甲斐あってのいつも見事な花が並んでいます。
宝暦二年(1752)十月十四日、博多古門戸町の左官職正兵衛が身柄を拘束されました。倅も同様だったのですが、脇に仕事で出かけており、当初は父親だけでした。詮議の筋は、正兵衛さんが丹精している裏庭の菊花のことです。菊の名は、誰に貰ったのかなど強く詰問されました。
正兵衛さんは、今年二月初めに藩公御新宅の左官工事に伺った折、お塀の際に仮植えしてあった二寸ほどの芽二本を軽い気持ちで持ち帰り、裏庭に植えて丹精しました。倅は家職のため日々出払っており、また花作りなど好まず、全く係わりはございません、と申し上げました。
正兵衛さんはそのまま留め置かれ、倅はその月十七日に戻されました。十二月二十五日、正兵衛さんは宗像の大島への流罪が決まり、菊はすべて御花段方役人らによって焼却されました。「玉のかんざし」と「羅綾の袂」がその罪つくりな菊の名であります。 
幸いにも翌年の宝暦三年三月十九日崇福寺で黒田孝高公(如水)の法要が執り行われ、その仏前で名代倅源七は正兵衛さんが大赦されたことを聞きます。 博多津要録によったものです。



笑い話

2006-11-11 20:48:39 | 生き物
わたしは犬からの被害を受けたことはありません。むしろ犬に被害を与えたことになるのかもしれません。飼い犬を二度過ちとは言え天寿を全うさせることができませんでした。一度は交通事故、一度はジステンバーの注射を怠ったためです。弁解がましいのですが、飼うというよりは、飼うことを余儀なくされたと云ってよい状況でした。それはともかく、次を文章を読んで戴ければと思います。

私は、犬に就いては自信がある。いつの日か、必ず喰ひっかれるであらうといふ自信である。
私は、きっと噛まれるにちがひない。自信があるのである。よくぞ、けふまで喰ひっかれもせず無事に過して来たものだと不思議な気さへしてゐるのである。諸君、犬は猛獣である。馬を斃し、たまさかには獅子と戦ってさへ之を征服するとかいふではないか。さもありなむと私はひとり淋しく首肯してゐるのだ。あの犬の、鋭い牙を見るがよい。ただものでは無い。いまは、あのやうに街路で無心のふうを装ひ、とるに足らぬものの如く自ら卑下して、芥箱を覗きまはったりなどして見せてゐるが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。
以上は、「畜犬談―伊馬鵜平君に与える。」の冒頭部分であります。愛犬家の方々の誤解を免れるため、いささか過剰な表現を重ねた文章の作者が桜桃忌で多数の崇拝者・愛好者に香華を手向けられる太宰治と書いておきます。
全くこの猛獣に心をゆるし、エスや、エスやなど、気楽に呼んで、さながら家族の一員の如く身辺に近づかしめ、三歳のわが愛子をして、その猛獣の耳をぐいと引っぱらせて大笑ひしてゐる図にいたっては、戦慄、眼を蓋はざるを得ないのである。不意に、わんと言って喰ひついたら、どうする気だらう。
と続きますが、ノモンハン事件の起こった昭和14年10月の「文学者」に載った文章です。




水清ければ魚住まず

2006-11-10 19:50:37 | 日常雑記
水道の水が全く不味くて飲めないときがありました。
かって私の住んでいたところは、福岡市でも山つきの場所でしたので、友人がやってきては「うまい水だ」と言い、ついでにお茶やコーヒーなどの立て方の講釈を散々聞かされました。
しかし、毎日飲んでいるので、旨いとも不味いとも判断は出来ません。どうやら仕事にありついて、仕事場で飲む水道の水が不味いどころか、薬品臭いのには驚きました。
安全と水は只だと日本人は思っていると、心ならずも叱責を受けたことがありました。安全は別として、飲料水は天からの貰いものだとの気持ちは変わりません。今も同様です。
つい近頃までは、容器入りの水なりお茶なりにお金を払うのは、不経済の極みだと思っておりました。ところが最近我が家の冷蔵庫にもペットポトルが鎮座しております。
容器入りのミネラルウーターとは、EUの定義によれば、地下水層または鉱床を水源として自然にわきでていて有害な微生物を含んでいない水とされています。この容器入りの水の消費が世界で毎年一パーセントほど増え続けているそうです。
あるいは見損じかもしれませんが、スナックで水道の水を瓶に詰めているのを瞥見しました。別段咎めるような事でもありませんし、気にもなりませんでした。むしろ地球環境に対する余分な負担を除いた処理だったのでは思います。

獅子身中の蟲

2006-11-08 20:46:20 | 生き物
獅子身中の虫という言葉があります。身中の虫など今は気にする事はあるまいと、思っておりました。ところが、現在もかなり蟲駆除のお薬が市販されています。
有機栽培が環境保全のためと、喧伝されています。数年前指宿から枕崎までバスで廻った折、開聞岳あたりで漂う牛糞の臭いを充分堪能しました。
戦中、戦後は僅かでありましたが、狭い庭裡で栽培されている芋・トマト・かぼちゃ・豆類等の有機肥料は、ご想像におまかせしましょう。
寄生虫も植物に寄生して身中の虫と闖入する機会を狙っている蟲もおりますが、生の牛肉にもサナダムシという名うての蟲がおります。いずれともなかよく共存したいものです。
このライオンは大分の自然動物パークからやってきたのだそうです。共連れの雌はコンクリートの陰にいるのでしょう。

磁石が果実を甘くする?

2006-11-07 20:23:57 | 日常雑記
図書館の児童向けの棚にこの本がありました。愛知県刈谷市富士松中学校理科部共同研究です。面白そうです。そこで、借りて読むことにしました。
ことのおこりは、読売新聞の「エレキバンをはったら、ビワの実が甘くなった(1988年7月23日夕刊)」という2年前の記事でした。ビワの木では大変なので、理科部の諸君は6月2日、ミニトマトを植えることで実験を始めました。磁石をトマトに貼りつける工夫もいります。
そして、ともかく7月6日、糖度を調べることになりした。糖度は、磁石なし6.4パーセント、エレキバン7.0パーセント、大きな磁石(エレキバンの40倍の磁力)7.0パーセント、磁石をはった方が0.6パーセントだけ糖度が上がりました。
理科部の諸君のなかには農家である人もいます。スイカでもチャレンジしました。エレキバンの会社の人に尋ねるなどいろいろ研究を重ねました。結論などの詳細は、童心社出版の表題の本にあります。
この中学校の校区は、農業に親しい地域のように思えます。だから、理科部の諸君がこのような疑問をつきつめてみたいと思ったのではないでしょうか。

動物サポーターになりました

2006-11-05 20:16:19 | 生き物
友人は福岡市のシルバー手帳を持っているので、入園料が要りません。中学生になって初めて国鉄のパス券を使うようになり、なんだか得をした気分にもなりました。もっともその分の対価は親が払ったのですから、多少は得をしたことになってはいたのでしょうが。

動物サポーターのカードは一年間有効です。カードのコピーをブログにのせようと思いましたが、有価証券並みの扱いを受けている代物でしょうから遠慮しました。

サポーターになると、園内の動物がいかにも身内のように思えます。寝転んだサイ君も他人とは思えません。彼ばかりでなく、チンパー君もキリン君もマレーバク君もなんとも親しげに見えます。

かつては数千万頭もいたといわれるサイが現在では、せいぜい一万頭ぐらいに減少しているそうです。角が漢方薬の材料として高価なための密漁によるわけです。アフリカのある保護区では、保護官が角を切ってしまいました。まさか角の粉末が、龍角散になったためでもありますまい。角を失った犀。牙を失った象。そういえば、高村光太郎に駝鳥を材にした詩がありましたね。