其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

ヒマシ油

2014-02-27 11:28:49 | 書籍
昔々のお話なのでどんなものかなと買ってみました。「神州日本トンデモ決戦生活 早川タダノリ著 ちくま文庫」です。よく集めたものだと感心しました。この調子で蒐集したならば面白い今様古文書集が出来るのではと思いました。
余談はさておきその中に罌粟の栽培法がありました。そこで微かに思い出したのは、ヒマを玄関先に植えたことです。PCでヒマシ油を調べました。トウゴマの種子から得られる脂肪とあります。トウゴマについてもPCの助力を求めますと、後期高齢者の若いころの昔懐かしい植物であったとあります。現在ヒマシ油は国連決議で非食指定新エネルギーとしての要素が確約されたとあります。さてそれでは?と先を読むと、なんとドイツが誇る高級車ベンツのオイルにはヒマシ油が全車種に採用されているのす。成る程零戦初め我が空軍活躍の一翼を担っていたのは玄関先に植えていたヒマであったのかとおぼろげながら推測しました。
喉元過ぎれば何とやらですねー。

浅井了意

2014-02-22 20:53:48 | 文芸
一休さんの噺を調べていたら江戸時代前期の僧侶浅井了意に行き当たりました。非常に学識のある方で仏書の解説書が多いそうです。ただ私の興味は寛文二年五月一日に京都を襲った 大地震のルポルタージュの記事のことです。仮名手本草子の中の「かなめいし」に記述 があります。
五月一日巳の刻空はかきくもり、塵灰の立おおいたるように見えて、雨気の空でもなく、夕立ちの気配もなかったのだが、「きっと竜が天に登るのではないのだろうか、雲か烟か」 と人々が怪訝に思っていると、北東の方から何とも判らぬが、どうどうと鳴り響く音がして、それに伴って地揺れがし、盛んに揺れ動くので「それこそ、世が滅して今すぐにも泥の?になるぞ」京の人々は上を下へと大騒ぎしました。生まれてこの方、日の目も見ぬほどのやんごとなき女房達も帯は拡げたまま、ざんばら髪、裸足で恥を忘れて駆け出して、うめき叫ぶありさまでした。かなり詳細な記事は東大地震研究所編の当時の事実に基づく記録類と較べて事実にほぼ近いそうです。
ところで私の福岡沖地震の経験からすると、異常時の目撃にはかなり主観が入れ混じるもので、福岡市大名町周辺で目撃した状況を話ても誇張が混じっているといなされたことがあります。
浅井了意の書物は和漢に亘る学識から寛容の精神、遍奇を拒絶する精神があり、しかし施政の悪に対しては激越な発言があったそうです。


亀と浦島さん

2014-02-20 20:50:26 | 文芸
亀と浦島さん
有難いことにこの二、三日暖かい日和が続きました。先日の浦島さんと亀さんはどうなったでしょう。
今むかし住んでいたところを調べるのは難しいものです。建物の規模が違います。私なんぞは十年前に確かに歩いたところさえ間違います。「少々ものを伺いますが」と下手にへりくだります。しかし八年前東京で道を尋ねますと、「昨日新幹線で長崎から来たばかりです」など東京も異邦人が沢山いらっしゃるなと道を尋ねるのに躊躇しました。道を尋ねるのに気兼ねすることはるまいとは思うのですが。浦島氏ももと居た家も知る辺もない、そんな境遇の不安は誰にもあると思います。
固く禁じられた箱の蓋を開いたのはそんな不安からでしょう。中からは煙が立ちのぼります。一度に翁つまり後期高齢者になってしまいます。けれどもがっかりしてはいけません。浦島サンは鶴に生まれ変わり亀女と毎日遊び戯れて暮らしました。二人を寿ぐ歌は
君が代は千代に八千代をさざれ石の巌となりて
苔のむすまで
作り事ではありませんヨ。

むかしむかし

2014-02-19 19:51:05 | 文芸
浦島太郎という人がおいでした。ある日のこと釣り糸をたれておりますと、大きな間抜けな亀が 腹も減らぬのにチョイチョイと釣り針にちょっかいを出しました。釣り針の方でも煩いとは思うんだけどまア辛抱しとくヨとうっちゃいて我慢していたのですが、あんまりしつこいのでガブリと食いつくとこれが大間違い、浦島サン(近くに似たような海苔屋さんがありますけど)釣り上げてはみましたが、生来お酒も嫌い従ってお肴も嫌いのお方ですから、困り果てて海面に投げやります。
それから然々の後、浦島太郎が浜に出ていますと、沖合いから船がこちに向かってやってきます。見れば船上の美しい女性が声を掛けます。もしや先日お助け下さったお方ではございませんか?
その後はご存知の筋書きになるのです。ところが室町物語の詳細とは多少食い違っております。浦島さんを竜宮へとお誘いして亀に乗せたのではななく、ちゃんとした船であり、誘を掛けたのは美しいお姫様だったのです。いくら浜育ちの男でも亀公の口車には乗らないでしょう。
むかし噺とはいえ辻褄を合わせたいのが人情のようですね。

ものぐさ太郎

2014-02-18 17:49:18 | 文芸
ナマケモノ(樹懶)と言う動物はゆったりした動作からそう呼ばれていますが、泳ぎは達者です。樹上生活ですから遠目には樹皮と見まがうこともあるそうです。更に念がいって苔も生えます。ピューマやジャガーそして猛禽類最大のオウギワシから身を守って生きていくためです。生きていくには無精や怠惰ではならないのがこの世の定めのようです。
ものぐさ太郎は思いは豪壮な邸宅贅を凝らした庭園で暮らしているつもりですが、四本の竹柱に薦をかけ、常住に頓着せず、世にもあらぬ住まいです。情けある人から与えられた転げた餅を拾うことさえせず、たまたま通りがかの地頭に拾わせる始末。
しかしそれほどの無精者でも京都はでよき女房をば連れて戻るとの一念を思い立ます。それからは人が変わったような獅子奮迅な行動です。やっと得たよき知恵者の女房と下女は七日がかりで太郎を湯風呂で磨き上げます。男ぶりもさることながら、連歌にも優れ、公卿殿上人に劣るところはありません。あとは目出度し目出度しであります。
ただこのお話はものぐさの教訓ではないのは残念ですね。

電線音頭

2014-02-17 20:04:24 | 身辺雑記
という歌がありました。成る程と思います。五羽の雀で慌て驚くのは一羽だけでしょうか。怠け者は寝床の中で四羽の行方を捜します。年金生活者のありがたさでしょうか。
それは別として電線の数は多いモノですね。
近ごろは穏やかに世を過ごしておりますが、とはいってもたまには穏やかならぬ気分にもなります。
九州は豪雪に見舞われずにすみました。九州でも寒い冬もあったんですよ。
家族団欒という言葉が切実さをはもたなくなったのは親子兄弟が一部屋に固まって寒さを凌いだ時代から遠くなったせいでしょうか。卑近な拙宅の例で申し訳ないのですが、以前は経済理由があったにしろ暖のある一部屋に集まり、一つの炬燵に足を投げだし、一つのラジオに耳を傾けました。
決して安楽に暮らせるからといって電車のなかが公衆電話の箱になって良いとは思えません。
お風呂は内風呂で、床のなかは家鴨の羽毛に包まれて眠ります。アア アリガタヤ節です。

2014-02-15 17:11:37 | 日常雑記
「日本人の数のしきたり 飯倉晴武著」という本があります。しきたりと言えばしきたりとも言えますが、拘りとも思えます。しかし母は暮れの二十九日には餅を突くことをしませんでしたし、一夜飾りはよくない、また元旦には掃除をしませんでした。目次を見るとそのほかに数多くの数のしきたりが述べられています。
恐らくは世界各国にも同様な気分の縛りが有ることでしょう。どうもよいことへの偏りよりも好ましくない連想が人間の気分を誘うようです。どちらかかと言えば結婚式よりもお葬式に関しての禁厭のほうが多いのであるまいか思います。
時代劇で見たわずかな記憶ですが、京都のお公家さんが玄関口を左足で出るか右足で出るかを思案されていたシーンを見たことがあります。スポーツにもジンクスがあります。容易に無視できないし、また伝統や信心が絡みますから理屈ではどうにもならないようですね。


竹取物語

2014-02-14 13:54:10 | 日常雑記
一昨日川そばを歩いていましたら三羽ほど燕が舞うように飛んでいました。軒先に燕が巣掛けるのは春の景物として縁起担ぐお方には好ましいようです。私が見た燕が暖かい南からの個体であるか越冬した個体であるかは判りませんが、西日本で冬を越す燕はかなりいるそうです。筑紫野市の高速ガード付近でまだ寒いころかなりの燕の群れが盛んに飛び回っているのを見ました。そのあたりに集団ねぐらがあるのかも知りません。
燕に子安貝といえば「かぐや姫」の翁は竹藪の光る筒なかの姫を育て上げます。月へ帰る口実としか思えない難題に取り組んだ石上麻呂は子安貝を取り損ねます。その上吊った籠の綱は切れ頓死します。記録によるとモデルの石上麻呂はごく真面目な人柄だったとあります。
高松塚古墳の被葬者は未だに判らないそうですが、あるいは彼ではあるまいかという説があるそうです。

地下貯蔵庫

2014-02-12 15:10:16 | 生き物
山沿いの小高い処で思いがけないほどの場所が竹林になっていたのを見ました。昔は藩命によって厳しく伐採を禁じた事例も多くありました。なにしろ治山治水は領主の石高の基である農業用地の保全のため揺るがせにできません。当今でも水害による山崩れ・崖崩れの一つの原因には山林の放置が挙げられています。
竹は地下茎により地上植物のように幹の表面の乾燥を樹皮で覆う必要はありません。また地下茎による繁殖のため種子搬送の要もありません。地下茎には節があり、そこから地上に稈(タケノコになる)が伸びて増殖するそうです。地下は温度差が小さいのと貯水も生育の場として竹に充分な営養の便宜を与えています。山火事の際にも地下貯蔵庫には受ける被害が少ないのだそうです。神社境内などの老樹には樹そのものと更には人力による保全がなされています。野放図に自然の営林に任せられないようです。
竹は筍以外に存外働いているのですね。

狸の教訓

2014-02-11 12:40:24 | 江戸随筆より
昨日の建長寺の狸和尚に私も少々幻惑されたようです。早速訂正を致しました。そもそもこの話の基は「甲子夜話」によるものです。布袋の絵と漢文の講釈があるのですが、もとより珍文漢文は敬遠、「怪を見て怪となさざれば怪自ずと消ゆ」のみで以下は省略としておきます。
勤勉な狸和尚暇をみては書画に励んだためか筆墨紙などがちょいちょい寺院内で紛失していたそうです。