其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

鰯の頭も信心から

2010-12-28 20:46:30 | 日常雑記
暮も迫ってくると、お寺にお餅を上げに行かねばと言う気持ちになります。今日二十八日、気持ちを落着けるため菩提寺に行きました。
元々「鰯の頭も」というのは、節分に鰯の頭を串にさし、柊の枝と一緒に門口や戸口にさす、鬼遺らいの行事が本来の意味でしょうが、「何かもっともらしい事をやっておけばそれなりの功徳があるだろう」との意味で私は安直に使っております。
それは根っこのところで大いに違うのでしょうが、確たる信念を持ち合わせないので気の済むまゝにやり過ごしています。
私の本棚にはことわざ・俗信・俚諺に拘わる本があり、時によっては熱心に読んでおります。それらの警句を含む言葉として日本のみでなくまん丸な地球全体で幅広く通用しているようです。宗教ですら教示(理屈)に類似することわざを利用しているようです。
中国の同様な本を読みますと、特に解釈に苦しむものは少なく、主義主張より昔からの世俗なやりとりから生まれた慣習、それに添った建前と本音の違いを俚諺などで表現しているようです。法律や慣習は世俗の強制力を持っています。ですがこれらもいずれは「時よ時節よ」であることを世知は承知しているのではないでしょうか。

人生余熱あり

2010-12-27 14:00:27 | 日常雑記
しばらく気持ちが落ち着かずブログを休載しておりました。
実は十二月の始にソニーの新製品リーダーを買いました。大変便利な器具です。取り込んだ城山三郎「人生余熱あり」に感心しました。私は城山三郎氏の作品は全く読んでおりませんが、真摯な余生の過ごし方に殆ど一気に読み通しました。「ボートの三人」は睡魔を誘う滑稽小説でした。
わたしは寝床での読書が最適であり、好みます。その点この器具は実に便宜なものです。ただ不足な点は後述します。
既に時機を失していますが、雑本の処理に困り、古本屋に見て貰いましたが、選別に際して書物に対する見方が違うので残念に思いました。
書籍の電子化は趨勢であり、古本屋も掴み得ない価値のある本がいたずらに紙屑化してしまうのを防ぐのではなかろうかと思います。
既に電子化書籍(大袈裟な表現ですが、スキャンでPCに取り込むだけのこと)として用意した本が二十あまりあります。ところがリーダーは取り込むことは出来ますが、表示文字が甚だ細微なのです(カタログには記載されてはいます)。その記載は、*PDFファイルでは文字サイズは固定されていますとあって、xsサイズ表示(原寸)となっています。ソニー商品としてはいささか狭量な手配りではないでしょうか?カタログの読みが浅かった、新製品を買う態度に甘かったと反省しています。
翻って自作電子書籍でもって書架に加える蔵書家は今後増えるのではないかと推測します。
便法として二万円足らずの中古PC(ダイナブックJ40)を転用しました。アドビーは表示が回転しますし、フルスクリーンで見れば、文字は拡大します。また選択箇所によって印刷も可能です。
しかし前に述べたように寝転んでの読書が快適な私はやはり携帯でPDF文字が拡大できるリーダー型の器具を待ち望んでいます。