其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

釣客伝(2)

2006-05-31 17:48:23 | 生き物

「釣師気質」については、石井研堂には「明治事物起源」の著述があり、序文は五重塔の露伴、経国美談の矢田龍渓と僅に知るのみです。上巻の釣遊文章の語りは巧みで飽かせませんが、釣の技法については全く口を挟む余地もありません。
「九州の釣第一号―第6号」についても釣の技法などはこれまた理解の及ぶところでありません。しかし事は近辺の釣り場が話題ですし、戦後は混沌期の昭和二十三年五月五日創刊であるため、福岡労働基準局の「労働基準法を御存知ですか!」や福岡地方経済安定局・石炭局の「石炭3600万トンを完遂しましょう」などの広告の掲載など興味は魚釣に限定されません。趣味の雑誌としてはなかなか貴重な本だと思います。勿論九州各地の釣り場の紹介記事あります。釣り場案内の詳細図や国鉄・西鉄の時間表の記載があり親切だし、滄海桑田の変わりようを教えられもします。
写真は創刊号裏表紙の広告です。

釣客伝(1)

2006-05-27 20:58:30 | 生き物
魚釣りには殆ど興味はなかったのですが、魚釣りの本が三冊ともなると妙に拘りができました。
江戸物は黒田五柳の「釣客伝」、明治物で石井研堂の「釣遊秘術 釣師気質」、敗戦後直ぐの「九州の釣 創刊号昭和23年5月号から昭和24年1月号までの合本 九州の釣発行所 定価300円」であります。いずれも好き者の書いた逸品だと思います。

「釣客伝」の目録一、には、時候 場所 勘 手廻 根之事など懇切に述べられています。時候とは天気の予報です。最後の根之事とは、根気よく、油断なく、退屈せず、釣は風流の道だから、おのれの工夫で、魚は余慶に釣れるものだとしています。この余慶という言葉に滋味があります。もしも、江戸名所図会などを手繰って部屋住みか道楽息子の気分で、のんびり竿と魚篭を手にすることができれば釣りもいいなと思いました。いまどきの魚釣道楽は一財産抱えてお出かけのようです。
それにしても、贅沢なお客に泉水で真鯛・鱸・黒鯛・鯖などを釣らせるお茶屋があったようで、筆者黒田五柳は釣れるのはいいが、値は高いので心して釣るがよかろうよ、と言っています。


燕の巣

2006-05-25 16:50:06 | 生き物
 先日甘木のバス停に居合わせた時、丁度燕が餌を運んで来ました。バス待ちの間幾度も親鳥は餌を運びます。都度二羽の雛は黄色の口を大きく拡げました。
この待合所は商店や食堂などある相応のバスターミナルでしたが、いまは雨露を凌ぐだけの間に合わせの建物となりました。隣のスーパーも解体されてしまいました。更には近くのアーケイド商店街にはシャッターの閉まった店も並んでいます。店のご主人は勿論この町の人々も快い気分にはなれないでしょう。
 わたしは一度だけ中国料理の最高級珍味として知られるツバメの巣を戴きました。美食に馴れないせいか、初めのフカヒレのスープがより美味しく思えました。原料は海鳥アナツバメの巣。材料は海辺に打ち上げられた海草などで、一つの巣をアナツバメが唾液で固めて拵えるのにおよそ一月かかるそうです。
 フカヒレ・スルメ・ナマコなどが俵物として長崎や神戸から中国に輸出され、外貨を稼いでいました。フカのヒレは長崎県の五島産が多かったと聞いたことがあります。



柿の若葉とアブッテカモ

2006-05-13 17:18:56 | 生き物
写真の魚は、名を「アブッテカモ」と申します。つまり単刀直入、「炙って噛む」の意であります。
魚大図鑑(週間釣りサンデー)の説明によると、本名スズメダイは「岩礁の中~下層に数多く群がり、プランクトンを食べる。スズメダイ中もっとも北方性で日本海でも越冬する。食味評価は、マイワシが★★★に対しスズメダイ★」となっています。昔は下種な部類に属し惣菜屋の漬物樽の傍で塩漬けが売られていたそうですが、今では鮮魚店に栄転しております。
仄聞と推測ですが、福岡の柳橋連合市場近くに贅沢な筋の料亭がありました。そこの口の奢ったお客さんが市場を覗いて懐かしいのか気まぐれなのか板場さんに炙らせてみたのではないでしょうか。贅沢なお料理に熟れた舌先にアブッテカモが上手に取り入つたのでしょう。その高名な料亭で使われ、その上に小魚はお客様用の煙草の箱にまで刷り込まれました。今ではあれほど塩辛かったのが、冷凍のためか甘塩となっています。
子どものころの北九州ではメンタイをタイノマコと呼び、小倉の旦過市場には塩漬けが漬物樽詰めで店先に並んでいました。ものの不足した時代でしたが、韓国に近かったせいかタイノマコはかなりのころまで潤沢でしたね。焼かれたタイノマコと塩昆布が交代で弁当のおかずの定番となっていました。
なんでもない食べ物が妙に持ち上げられ、飛んだ値上がりすることがあるのは面白い現象ですね。



パソコンの手引書

2006-05-09 14:20:50 | 日常雑記
昭和56年ごろキャノワードを買いました。悪筆に悩んでいたので飛びついた次第です。たしか20万円を超えていたと記憶します。表示画面は20字くらいで、テープコーダーで記憶する代物です。マニュアルは相当な厚さでした。およそ25年前のことになります。以来パソコンの進歩は著しく、家庭用電気器具としての普及は目覚しいものです。
 ところが未だにパソコンの手引き書の初歩的な類書の購入とは縁が切れません。闇夜に手探りの状態でなんとか遣り繰りできるのはパソコンの性能がよくなったおかげです。ブログも楽しんでいますが、その手引書もまたパソコン同様幾冊も買っております。「できるブログ」はその終着駅にいたいものです。
 それにつけても画面表示が縦書きに出来ないものか、そして下へではなく、右から左に流れ、つまり巻紙式画面にならないものかと思います。和歌俳句などある日本文の横書きは風趣を損ない、更には国語の将来にもよくないのではないでしょうか。
 欲を言えば「旧かな遣いが無理なく打てるソフト」をこれほど巧みになったパソコン技術で製作できないのかと思います。いまさら「新かな遣い」の愚を改めることは無理でしょうから。



万霊鯨鯢成仏

2006-05-04 16:13:04 | 
先日ある旧家の仏壇に「万霊鯨鯢成仏」と書かれた紙片のあるのを見ました。江戸の昔、捕鯨で生計を立てていたことをその家の者より聞いておりましたので、以来長らく鯨の霊が祭り続けてられていたことをあらためて知ったわけです。
その後偶然に唐津藩士木崎盛標が「気鬱の徒然を晴らさんとのみ、他見の譫を顧ず我が家の小童児女に与えて翫とするの外、全く余儀なし」として、六十二歳から七十三歳(1773~1783)までの間に書いた挿絵入りの「肥前州物産図考」を読むことが出来ました。鯨鯢の万霊のおかげかも知れません。
ところがおかげはそれだけではありません。昨日は、中園茂生氏著「くじら取りの系譜 概説日本捕鯨史  長崎新聞新書」を読む幸運も得ました。
その終わりには、小川島・呼子・鎮西町を基地にしたミンク鯨を対象にする小型沿岸砲殺捕鯨について記述があります。一度だけですが、呼子湾内を曳かれて行くミンク鯨を見、現在のバス停付近で引き上げられ、更には解体された鯨肉から白い湯気の上がるまでの始終を見物することが出来ました。驚くほど迅速に作業が済んだように記憶します。 しかし当時は船首にノルウェー式捕鯨砲が据えられている程度の知識しか持ちませんでした。この本によって特に「カンダラ」が江戸のころよりの習慣であったなどに驚きました。

「感情的なナショナリズムでもなく・・・感情的な自然保護でもなく・・・」と本書の帯にあるのが極めて好感のもてるものでした。