其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

われ鍋に綴蓋

2011-06-30 10:37:01 | 日常雑記
日本のことわざ「金子武雄著」のどん尻のことわざである。自虐の意味合い(そのような解釈もある)が、近年齢を加えるにつれ強ちそう解釈することもあるまいと思うようになった。
われ鍋と綴蓋で双方日常差し障りなく暮らしている。
出来のいい陶磁器のように身と蓋とが寸分ぴったりも窮屈だろう。とかく外見ではわからないようだ。
破れ鍋と綴じ蓋故、脂ぎった調理も懐古となった。うしろを振り向く思いを忘れたわけでもないが。

念起是病

2011-06-28 19:55:41 | 書籍
病は気からという言葉がある。そうかもしれないが、そうでないのかも知れない。
一遍上人についての歴史的事実としてのお話を聞いた。そこで――縁あってと言うべきだろうが、岩波文庫「一遍上人語録」を開いてみた。九九頁にあった文字である。
これに続くのは、不続是薬云云である。解釈は如何。
一遍上人は貴賤男女の別なく往生できるとして、念仏札を配って生涯各地を遊行した。
民衆を対象とした上人の教化から、時宗が次第に守護大名を頂点とする武士層に教化の対象を移したときを境に、次第に衰退し始めたそうである。

多賀城市

2011-06-27 12:06:01 | 歴史
先日友好都市多賀城市に応援のため派遣された当市職員の方の講話を伺った。本筋は一遍上人の話であったが、被災地についての生々しい現況を聞き、今後の在り方について困難な問題が山積している事の認識を深くした。
仙台市北部に位置する多賀城市は、近々まで蝦夷征討の軍事拠点としてのみの歴史的認識にあった。蝦夷に対する誤った国史観が長く尾を引いた結果であろう。
天平十二年大野東人は藤原広嗣の乱を鎮圧した。その前東北の多賀柵を拠点にしていた。多賀城碑には「神亀元年按察使兼鎮守将軍大野朝臣東人が此処に城を置いた」と書かれている。
古代史において両市は存外係わり深いのであった。


金平糖の角

2011-06-26 13:57:05 | 日常雑記
特に懐かしいという意味合いで買ってきたのではない。無印の店に置いてあっただけの話である。以前TVで金平糖の角について説明があった。飴やキャンデー類はガリガリ嚙むものではないような気がする。セッカチなのかつい噛み砕く。
口中で角を愛おしむように舐めまわすのが本筋のようだ。そう思いながら製造元のホームページを覘いた。すると、簡略次のような説明があった。
角をきれいに造るためには、工場内の気温、回転釜の温度・傾斜角度・回転速度、そして回し掛ける糖蜜の量といった条件と、熟練した職人の勘が必要であるそうだ。なかなかの職人技のようだ。しかも安価で美麗、後味も結構である。




思案のほか

2011-06-25 20:28:43 | 日常雑記
青空文庫は便利なもので、村井弦斎の「食道楽」なども読むことができる。私は食い物と着物には支出を嫌うのである。そこで縁のない読み物であるから見送りの敬遠ですますところであったが、支出に心配りをしないですむのでちょっと覗いた。その第百八十二に交際法というのがあって、近々の人生相談以上に裨益するところが多いのである。
古来イザナギ・イザナミの昔から、単純でありながら人に問うこともできず、当事者を悩ますのが相方への歓喜の呼びかけである。
そこまでに相迫っていてもそうであるから、手順を踏まない前の相互の選択もまたなかなか難儀だ。ましてや世知に長けた両親の思案や如何と思う。「食道楽秋の巻」はその点何かのたしになるのではなかろうか。


お酒菜談義

2011-06-20 13:11:09 | 日常雑記
昨日は父の日ということで、娘二人から「越の松露と鮭の酒びたし」を貰った。辛口でよかった。越後村上は「鮭の町」と知られているそうだが、地図で初めて所在を知った。「酒びたし」は燻製のような味であった。
今時分の魚屋の店先には剣先烏賊が勢ぞろいする。烏賊は一匹、二匹でなく、イッパイ、ニハイと数える。別に理屈はないものと思う。烏賊には生産地としてベトナムの表示もある。あまり知られていないが、鯣もそうだ。ベトナムの街角で自転車の荷台に烏賊の干物を積んだ光景を写真雑誌で見たことがある。
お酒菜談義という本には、サトウハチロウをはじめとする錚々たる文人連が酒と肴についての談義を述べている。ことに吉田健一の話は贅沢のきわみである。洋ものについては口をさしはさむ身分ではない。
琵琶湖の鮒鮨、福井の生雲丹、広島の広島菜、岩国のうるか、烏賊の墨づくりなど機会は稀だが、巡り遭えるものかもしれない。しかし、うるかは好みでなく、墨づくりはさほどとは思わない。
いまでも鯣生産地北海道の方は或いは賞味されているかもしれない珍味がある。烏賊の卵の蒲鉾である。烏賊を裂いた際に出る卵だ。擂鉢で捏ね、茹でて、生姜醤油で食うのだ。烏賊の卵と思えぬ別段の味わいである。

むかしの話

2011-06-18 20:07:10 | 日常雑記
一度電車で誤解を受けたことがある。詳細は一方的であるからあえて述べない。今朝の朝日新聞の「be」に職場の「異臭問題」に解決策をという「Q&A」があったが、住みにくい世間となったものだと思った。
私たちの生活環境は時代のながれに左右されている。自然に還れなど叫んでも到底無理である。いくさの最中時代のことは語りたくない。ただ腹を空かしていたことは不思議に忘れない。
狭い庭に甘藷や南瓜を作った。肥料はそれぞれの家から自然に発生する人糞である。
それで生き延びた回顧譚を祖父母も語ることはしないであろう。不明に首を傾げるのは平成の御代の綺羅を飾った紳士淑女の方々である。





















う。
















































シエスタ

2011-06-17 14:23:10 | 日常雑記
毎日のんべんだらりとしていると、「頑張ろう」の掛け声を見聞きするたびに気が重くなる。財布をはたいて、贅沢な外食や旅行などを思い立てば、幾分かの気の休まりともなるであろうが、当然金銭の支出が先立つから意のままにはならない。
過渡的ではあったが、田舎の商売屋で働いた。上方あたりの商売人の習慣というか吝嗇な感覚を真似たのか、使用人が食事に時間をかけるのを嫌った。
以前番頭どんと丁稚たちという滑稽劇がテレビで放映され、なかなかの人気番組だった。いささか泥臭い筋廻しだったが、そのころ聞いた話である。
番頭丁稚の生活経験があれば軍隊生活はさほどの苦労でなかったという。食費衣服費はお上持ち、勤務時間も日曜祭日まで拘束されることはない。まあいくさがなければの話だが。
シエスタという言葉と習慣がラテン系の国々にあるそうだ。戦後でも地方都市の商店や小企業では労働時間(拘束時間というべきか)の観念が曖昧であった。都合のいい身内意識だったかも知れない。
頑張らねばならない人は端から掛け声をかけられなくても腹を据えねばならない。



最 悪 !

2011-06-03 10:50:44 | 書籍
最悪!という本がある。外国人は妙な執念めいた収集家がいて珍奇な本を出す。たとえば「愚説珍説辞典」だの「万国奇人博物館」などがある。勿論日本人の作にも似たようなものもあるが、世界中から渉猟したもののほうが外国語に不得手なものにとって便宜である。
最悪!は2006年2月28日に発行されたものである。統計数字が使われているから、その点は考慮し、またなるほどと半面で感じ入る。
世界で起こったマグニチュウド8.5以上の地震を10あげている。1、1960年チリ9.5 2、1964年アラスカ州プリンス・ウィリアム湾9.2 3、1957年アラスカ州アンドレアノフ諸島9.1 4、1952年カムチャッカ半島9.0(以下略)
さしずめ2011年3月11日も肩を並べる。泰平の夢ばかりのこの世ではないようだ。
原子力発電所の事故についても史上最悪の原子力災害7の例が挙げられている。
1、1952年チョークリバー(カナダ オタワ近郊)2、1957年ウインズケール・パイル1号炉(イギリス リヴァプール北部)3、1957年 南ウラルキシティム近郊)4、東ドイツグライフスヴァルト5、スリースマイル島6、1986年チェルノブイ7、1999年日本 東海村
東海村の事故については次のような注がある。日本での最悪の原子力事故。ウラン加工施設で高濃度の放射性物質が吹き出し、作業員2名が死亡し、他一名が負傷した。
嗚呼無知と言おうか無関心と言おうか。