其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

何故かな

2012-03-18 13:49:31 | 科学
近くに病院がある。そして僅かに離れたところに調剤薬局がある。処方箋を手にした患者さんが駆け込む。病院の先生が書いてくださるのだから病院の医局で処方すればすむのではとも思う。患者さんが混み合うのを避けておられるのだろうか?
お薬の時代である。そこで、お薬の生産過程はどうなっているか知りたい。しかし素人は薬の広告のようには簡単に手に入れられる知識ではない。
「知りたがりの質問」という本に「ビタミンのつくり方は?」 という項目があるので読んでみた。
はじめに発見されたビタミン(B)は二〇世紀ののはじめ、玄米を水に漬けて溶け出した成分からから抽出された(日露戦争当時陸軍森鴎外海軍高木名前(失念)の医学的見解に相違があったそうだ)。玄米食により海軍将兵には脚気患者が少なかったという。
栄養成分は水など様々な液体に植物を漬けて出来た溶液を蒸発して抽出することができる。しかし抽出するより工場で生産されている。複雑な化学反応によって精製されたものもあれば、遺伝子操作を受けた微生物でつくりだされたものもあるあるそうだ。
醸造関係の会社が薬の広告によく現れているのに納得した。古代神農は百草をなめて医薬を作ったという。現代製薬業界もそんなところであろう。

来し方行く末

2012-03-12 14:25:25 | 歴史
人類のアフリカ起源説は、遺伝学的にみても、発見された人骨化石の状況からみても現在十分な説得力がある。そしてアフリカからおよそ二百万年前に世界各地に散っていったのである。
樹上生活をしていた人類は約五百万年前二本脚で地上を歩き始めた。手持ちぶさたな二本の手で道具を使うことによって文化文明の今日あらしめた。
しかし分からないのは全身の体毛を未練無くぬぐい去ったかのような裸のカラダにしたのは何故だろうか。私たちモンゴロイド民族は更にサッパリし過ぎている。
メダボといわれる脂肪過多症は脱毛の代償だそうだ。今更樹上から地上に降りた約五百万年前の先見の明あるご先祖にご託を述べても仕方あるまい。
歴史というものは解説すれば出来るが行く末には眼が届かない。

短波放送(日本人論)

2012-03-09 14:48:08 | 日常雑記
  昭和四〇年代にアメリカとの貿易摩擦のためかテレビジョンの輪出の数量が制限された。そのために電機各社は短波ラジオを改良し販売に力を入れた。主に青少年を対象にしたのであろうが、短波ラジオを買って当時盛んだった外国の日本語放送を聴いたものだ。「短波」という月刊雑誌すらあつた。次は昭和五一年八月号に載った記事である。
 日本人は中背のずんぐりした体格をもっている。男子の平均身長は一五八センチ、一般女子の身長は一四五センチで、上流階級の女子の場合は一四七・五センチと少し高い。彼らの皮膚の色は黄味がかつているが、ニュアンスの違いは大きく、ある場合にはヨーロッパ人のはだの色に近いこともあり、中国人やマレー人のように濃い黄色だつたり、茶褐色の人間もいる。毛は黒く縮れていない。
髪の毛は固く、ふさふさしているのに反して他の部分の毛は細くてあまり密生していない。しかし頬から顎にかけて美しい髯を蓄えている日本人を見かけることもある。髪の毛の手入れにかけては、日本人はアイヌと対照的に昔から非常に神経を使ってきた。近頃では西欧風の髪型がますます普及している。
 日本人の精神面における他の東アジア諸国の民族との違いは肉体的よりもはるかにはつきり現れている。賞賛すべき性格として挙げられるのは、きれい好き、天性ともいえるおだやかな性格、礼儀正しく、うちとけた態度、明るい家庭生活、親に対する子供たちの従順な態度、これは目上の者に対する目下の者の態度にも現れている。 七〇年前のドイツ人が書いた日本人であり必ずしも正確とは言えない部分もあるが、評価としてはまアいい線いつているぢやアないかと思う。
さらに遵法精神、精神面で自分を凌駕するものに対する尊敬の念、自然の美を喜ぶ心、教育に対する強い関心、それに愛国精神、これらは日本人のもつ賞賛すべき性格である。
 以上の特質がある反面、日本人は往々にして充分な忍耐力に欠ける場合があり、表面的なことで済ましていることが多い。
 何百年という日本文化を振り返ってみると、日本民族は創造的な力よりも模倣する才能を多分にもっていることがわかる。
 これは七〇年前に出たドイツの有力な大百科辞典マイヤース・グローセス・コングアザツイオーンス・レキシコンの第一〇項記載の日本人像である。ドイチエレ・ヴエレで放送されたのか雑誌記事のみだつたかはいまになっては調べようがない。
 写し間違いも内容の恣意的な取捨もない。

久我美子のこと

2012-03-03 20:29:24 | 書籍
岡田英次という東大卒の俳優がいた。なかかな迫力のある二枚目で悪に強けりゃ善にもという面構えであった。
野口武彦の「幕末伝説」の中の「源氏物語の幕末」があるが、まさしく幕末論これに尽きると私には思える。近頃源氏物語が漫画本として書店に並らぶ。このねばねばした「もののあわれ」といわれる物語が中世以来公家の文学教材として生活の資となった。幕末志士がなぜ学者塙次郎の暗殺したかが幾分わかるような気がする。。
「逃げる公家、媚びる公家 渡邉大門著」によって連綿の続いた公家の生業を知り、戦国時代以来幕末までの鵺的存在に多少についての知識を得た。
更に維新以後四百二十七家もの華族が昭和二十一年十一月三日新憲法公布されるまで七十八年にわたり存在していた事実も重複して知ることが出来た。
久我家は村上源氏の流れを汲む名門であり、彼女が映画界に入ることには名門の末裔として体面を汚すことになると甚だしく抵抗があったそうである。記憶に違いがなければ、「また遭う日まで」で岡田英次と共演していた。