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松本さんの絵 第434◎ 頼りないバイクでしたが、うしろに妹を乗せて帰路をはしりました。

2015年02月23日 10時55分27秒 | 日記






 図534       夏の暗闇

 記憶はその場の事象と何の関連もなさそうですが、ある拍子によみがえり、あんがいはっきりと風景まで思い出します。真冬の朝起きて、あまりに寒いので、夏ならするようにシャワーをあびました。、最初の寒さは我慢して、温度設定を高くして、湯けむりが出てくると、体が温まり短時間で、真冬とは思えない気分になります。そんなときに真夏の夜道をバイクで走ったことを思いだしました。ずいぶんまえのことです。成田新空港建設に地主が反対した三里塚闘争で中核が支援するデモの激しい時期でした。中核のデモについて見物している若者が多くいました。武闘派の筋金入りはいますが、かなりは、その友達か、そのまた知り合いか、そんな見物目的の若者だったとおもいます。警備するのは機動隊ですから、囲まれると、一気に捕獲されてしまいます。闘争のシンボルタワーが機動隊によって放水で無人になり、やがて綱をかけて倒されました。45度に傾いた団結小屋のタワーが崩れ落ちそうになると、がっかりして切なくなります。このあたりはピーナツ畑で、畦にはノビルが生えていて、学生たちは、引き抜いて暇つぶしに食べています。うすい皮をむくと白いラッキョウのような香りの球根が現れます。食べみるとそれほど味は悪くないです。甘味噌があれば、酒のつまみによさそうです。そのご成田新国際空港の建設が始まりました。そんなころに三里塚近くの富里村に何度か通いました。なつの夕立が止むのを待って、我孫子に向かいます。夜の闇がまとわりついてきます。黒い雲のせいで月も星もなく、空は墨をこぼしたような暗さです。成田から我孫子まで数時間かかります。80ccの頼りないバイクでしたが、うしろに妹を乗せて帰路をはしりました。


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