おいみず亭 Family & Friends

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雪の花

2006-01-22 05:14:40 | 庭の草花
雪国の方には、大変申し訳ないのですが、
今日(もう昨日ですね)東京にも雪が降りました。
屋根も庭もそして庭の木も、白く染まりました。
電車の窓から見た、井の頭公園の、葉を落とした木々の枝には
どこもかしこも白い花が咲いていました。
久々に見た、美しい雪景色でした。

夢の後さき(その2)

2006-01-22 03:31:20 | 亭主独白
無味乾燥な出来事の連続になってしまった、夢の「イパネマの娘」セッションを救い出すために、日本の誇る知の巨人・南方熊楠に登場してもらう事にしましょう。南方熊楠は明治期に和歌山県で生れ、大英博物館の調査部員をやっていたこともあり、後に粘菌の研究者としても世界的に有名になりました。しかし、熊楠の知識は生物学だけにとどまらず、多岐に広がっています。南方曼荼羅と呼ばれる、こんなものも書いています。
詳細は、このあたり
 http://www.aikis.or.jp/~kumagusu/books/jiten.html
を読んでいただいたほうが良いと思います。

その熊楠が「縁」と「起」というものを説明しています。
一つの因果律で結ばれた事象と、別の因果律で結ばれた事象が交差することを「縁」、お互いの事象が影響しあて何かが始まる事を「起」と呼びました。中沢新一は「森のバロック」の中では、たしかこんな説明をしていました。
 山の中を東から西に向かって歩く人と、同じ山の中を南から北に向かって歩く人がいる。
 この二人が山の中で出会って別れるのが「縁」
 二人が出会う事により、二人そろってどちらかの家に行く事を「起」
この考えが夢の「イパネマの娘」セッションを救ってくれないでしょうか。

1)nakapageさんが夢を見る
2)同じ時間にoimizuがコメントを書く
これだけだと「縁」。
1)nakapageさんが夢を見る
2)同じ時間にoimizuがコメントを書く
3)nakapageさんがブログに夢の話を書く
4)それに対してoimizuがコメントを書く
これが「起」。
たとえば
1)oimizuがブログに「イパネマの娘」の事を書く
2)だれか知らない人が夢の中で「イパネマの娘」のセッションを行う。
これもなにかの「縁」かもしれませんが、これを機会に何かが始まる「起」には成りえません。
つまり、夢の「イパネマの娘」セッションに関して言えば、偶然の出来事の中でnakapageさんとoimizuが出会う。そしてnakapageさんとoimizuでプログでの話しを盛り上げていく。偶然の中出であった二人の意志が一つの方向に向かう事により「縁」を「起」に変える事ができたのではないでしょうか。

こう考えると、出会いというものはとても不思議なものに思えてきます。
もしかしたらnakapageさんとoimizuはどこかで出会っても、それだけで通り過ぎてしまっていたかもしれません(つまり「縁」はあっても「起」には至らない)。ところが、同じような背景を持っていたり、同じような考え方をしていたりというこれまた偶然の一致があったからこそただ通り過ぎず、お互いを知りあう事ができるようになった(つまり「縁」から「起」に変わった)
夢の「イパネマの娘」セッションに関して、nakapageさんとoimizuを結びつけたのは、得体のしれない精霊の力ではなくて、nakapageさんとoimizuが持っていた共通の考え方とか、共通の理解なのではないかと思います。

大きな事を言えば、宇宙。ひとりの人間から見れば、永遠とも無限とも思えるこの時空の中で、またまた同じときに同じ場所でお互いが出会えたという事、これはとても重要な出来事のように思えないですか。

夢の後さき(その1) / シンクロニシティ

2006-01-22 02:50:11 | 亭主独白
nakapageさんから、1月18日のブログに謎のコメントをいただきました、
nakapageさんの1月19日のブログ
 http://diary.jp.aol.com/j8ghr4/302.html
を読んで、謎が解けました。どうやら、夢の中でoimizuとnakapageさんが「イパネマの娘」をセッションしたようです。
出来事を簡単にまとめると
事象1.oimizuが14日明け方にnakapageさんのブログにコメントをつけた事をnakapageさんが感じ取って、nakapageさんの夢の中にoimizuを登場させた。
事象2.oimizuがnakapageさんのブログに「イパネマの娘」に関するコメントを書きかけた(結局キャンセルしてしまった)その日(18日)のoimizuのブログに、nakapageさんが「イパネマの娘」セッションのコメントを書いた。
ユングは、科学では説明できないような偶然、因果関係を持たない複数の「事象」が「同時」に発生する事をシンクロニシティ(共時性)と呼びました。上に述べた二つの事象は、まさに共時性を示しているように見えます。

ところで、この夢に関する一連の出来事の中にいくつの「事象」があるでしょうか? 上では「2つ」と書いていますが
 事象1.oimizuが14日明け方にnakapageさんのブログにコメントをつけた
 事象2.nakapageさんがoimizuと夢の「イパネマの娘」セッションを行った
 事象3.18日にoimizuがnakapageさんのブログに「イパネマの娘」のコメントを書きかけた。
 事象4.oimizuが18日にブログを書いた。
 事象5.nakapageさんが19日にoimizuのブログに夢の「イパネマの娘」セッションのコメントを書いた。
5つになりました。
やりかたによっては、もっと別の事象に分ける事ができるでしょう。つまり共時性をもって起こるとされる「事象」とは、最初から「事象」として独立したものではなくて、人の見かたによって、いくつにも分ける事ができます。つまり一連の出来事の中から「これが事象だ!」と切り出す事ができるのは、実はそれを見ていた人間の解釈によるものであり、決して解釈に先立って純粋な「事象」がころがっているわけではありません。
さらに「同時」に起きるというのは、どれぐらいの時間差があっても「同時」と呼べるのでしょうか? この「イパネマの娘」に関する一連の出来事は、1月14日の明け方から、19日の未明まで続いています。これも、見かたによっては、別の区切りかたができるかもしれませんが5日間を「同時」と呼ぶのは長いような気がします。では同時に起きていたものは何かというと・・・
 事象1.oimizuが14日明け方にnakapageさんのブログにコメントをつけた
 事象2.nakapageさんがoimizuと夢の「イパネマの娘」セッションを行った
この二つは同時に起きていたかもしれません。でもoimizuがnakapageさんのブログにコメントつけたのはこのときが最初ではないし、コメント書くたびに夢の中にもお邪魔しているとは限りません。つまり、14日は「たまたま」nakapageさんの夢にoimizuが登場しただけと考えたほうがよいのではないでしょうか。

oimizuとnakapageさんが、スピリチュアルな強い絆を持っていて、その力によって夢の「イパネマの娘」セッションを行ったという解釈は大変ロマンチックなものだと思います。
しかし、これはいくつかの事象を意図的に結びつけて、約5日間という時間を「同時」と言ってしまう、恣意的な解釈だと思います。
14日から19日の間に「たまたま」起きた事象を何か一連の「意味がある事」のようにひと括りにして見ただけです。

何故、たまたま起きた事象を、あたかも関連性のあるもののように解釈してしまうのでしょうか。
そりは、多分人間が、物事に対して後から意味を与えているからだと思います。
つまり、一連の出来事に何らかの関連性があるかのように見えているのは、人間がそのように解釈しているから、であって、そこで起きている事象はお互いが無関係に存在しているだけなのだと思います。
つまり、人がそのように見たいから、そのように見えるだけであって、「事象」の中に「意味」なんて存在していないのです。

え、なに? つまり、夢の「イパネマの娘」セッションというのは二人の間のスピリチュアルな絆によるロマンチックな話しではなくて、無味乾燥な事実の偶然の重なり合いだったというわけ? nakapageさんとoimizuの関係も、ただの無味乾燥な偶然ということになってしまうの? それはなんだか寂しくないですか? これではnakapageさんとの人間関係も悪くなってしまうし、やはりこの解釈はoimizuの心にも伝わってこない。なにかもう少し心に響くような解釈はできないものでしょうか・・・
(ということで、続きます)