おいみず亭 Family & Friends

美味しい食べ物と知的好奇心、そして楽しい仲間!!

続・福島行 / けさらんぱさらん

2007-11-30 01:08:24 | 亭主独白
今回の福島行、お昼をいただいたのは、お婆ちゃんの兄弟の娘さんの家。
お婆ぁちゃんの姪。我々にとっては、本家。

このお宅の「玄関前」に車を止めて降りたとき、徒然目の前にケサランパサランが現れました。

何かの樹木の綿毛でしょうか、中心に種子のようなものを持っています。
風にあおられてふわりふわり。
手を伸ばせば捕まえられようなゆっくりした動きだったので、
手を出してつまんでみようとしたのですが、
そこは流石にケサランパサラン。
風を呼んで、スルリと手元をすり抜けて、空高く舞い上がっていきました。

この ケサランパサラン 見たときに、今回福島まできて良かったなぁと思いました。
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ということを、ブログに書こうかな、と思いながら、
昼休みにパンを買いに出た帰り、
ふと気がつくと、目の前に小型のケサランパサランが浮かんでいました。

福島行

2007-11-27 08:55:19 | 亭主独白
環八を通って外環道へ。
そして川口から東北道。
我家のルーツは福島の日和田。何度も通った東北道なのですが、実はこれが苦手。
というか、飽きちゃうんですよね。
平坦な関東平野を、3車線の東北道で走っていると、佐野辺りで飽きてきちゃうんですね、正直な話。
で、いつも佐野のSAで休んで、ラーメンとかで腹ごしらえするのですが・・・

今回は、ちょっと気張って那須高原まで行ってみました。
宇都宮を過ぎた辺りから、次第に山道になるのですが、これが美しい。
緑のまだ残る中、赤や黄色に色づいた木々か、まさに綾錦。
運転しながらだったので、見とれている余裕はないのですが、それでも紅葉の山々を堪能することが出来ました。

昼食時が、既に14:30過ぎ。
夏ならば、まだ真昼なのですが、この季節日は西に傾き、目的地の猪苗代のペンションに着く頃は日が沈んでるに違いないと確信しました。

郡山で東北道から、磐越道へとはいる。
その手前に「気候急変。冬タイヤ装着」のサイン。
こちらはノーマル。チェーンは持っているものの、心細いことこのうえなし。
磐梯熱海からトンネルを抜けたところで、景色は一変。
こんなところに湖があったすかいな? と目を凝らすと、湖と見えたのは、雪に覆われた田圃。
あまりの唐突な景色の変化に、とまどっていたものの、改めて辺りを見回すと、一面の雪景色。
ノーマルタイヤで来たことを後悔しました。
後は、根拠の無い自分腕を頼るしかありません・・・。アア、心細い。

猪苗代の出口を出たところで、宿に電話。
道路状況の確認です。
途中の国道と県道は雪が無いものの、ペンションまでの登り約500m。止まらないで一気に昇れば大丈夫でしょうとのこと。
ええい、ままよと、チェーンを付けずに国道115号から県道7号へ入る。
猪苗代スキー場を通過として目的地のペンションへと向かうその坂道。
途中で先行した車が路肩に停車。
仕方なく轍を踏み越えると途端にタイヤが空回り。
ここで止まってなるモノかと、やっとの思いで抜け出したもののペンションへは脇道に入らないとたどり着けない。辺りは暗くなり、その分岐が見つけられない。
ようやく、雪の内路面を発見して停車。
地図と辺りを見比べると、丁度その分岐に当たるのがここ。
右折してペンションへ。しかし、この暗い道へ踏み込むにはかなり勇気がいりました。

一夜開けると快晴。
ペンションの周りはこんな景色でした。







今回宿泊したのは「森林浴」というペンション。
決め手は、源泉かけながしの温泉。
翌朝入ったお風呂で、木立の間から昇る朝日を見たときは、とても清々しい気分になりました。

さて、夜が明けてから今度は下り坂。
昨日装着したチェーンのおかげで滑らずに坂道を県道まで下ることが出来ましだが、明るくなってから路面は、前日暗くなってから想像したよりもはるかに悲惨なものでした。
よくぞここで止まらずにのぼれたものだ。実際の路面を見ていたら、坂の下で諦めていたかもしれません。





翌日は、午前中法事、午後は親戚の家での昼食。
いやいや、まぁなんとも盛りだくさんのおもてなしに、みんなびっくり。
そういえば、お婆ちゃんも両親も、とにかく料理をてんこ盛りでもてなす、というのが流儀でした。
未だに、そういう流儀が生きているんですね。。。。
その親戚の家はお婆ちゃんの姪にあたるのですが、ご主人も姪にあたる奥さんもうリタイヤ状態。
生計は子の世代に任せて、菊の花作りと、ちょっとした畑仕事を楽しみにしているようです。
お昼ご飯にも、「庭」でとれた野菜と菊の花の酢の物のサラダがありました。
新鮮で、味の濃い野菜と菊の花が、何よりのご馳走でした。
帰りがけには、車に積み切れないほどの野菜を頂き、もう幸せ。




そてさて、帰り道。
丁度、沈みかけた夕陽に向かってのドライブ。
刻々と変って行く景色と空の色。
とても美しいのですが、なにしろ目の前に太陽を見据えてのドライブ。
美しさ半分、まぶしさ半分でしたが、





秋の日はつるべ落とし。
ましてやもうすぐ師走というこの時期。
美しい夕暮れも、あっという間に暗やみに変っていきました。
宇都宮の少し手前。手前というかまだ那須の山中。
このまま100キロ以上を暗い高速に乗ってのドライブ。
暗い山道も走り難いですが、3車線のテールライトの川を追いかけるドライブもなかなか辛いものがありました。
東北道、本当に苦手なんです。




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ベタが・・・

2007-11-27 00:50:07 | 亭主独白
暫く前から、尻びれの輝きが衰えたな、と思っていたのですが、福島から帰ってみたらベタが死んでいました。
死んでしまうと、色が抜けちゃうんですね。
灰色の塊、なんだろうと思ったら、ベタが水槽の底に沈んでいました。

共存していた、ヌマエビにちょっかい出したりして、なんだか様子が変だなとは思っていたのですが。。。

猪苗代

2007-11-23 20:38:10 | ケータイからの投稿
猪苗代に来ました。
東北道~磐越道で、猪苗代からおりて、国道・県道は雪無かったんですが、県道からペンションまでの500m程の上り坂に雪が残ってました。坂道なので止まると、発進がきつい。でも、宿を探すためには止まらないといけない。。。
しかもペンションは更に枝分かれした細い道をはいらなくてはなりません。

明日の朝は下り。おくさんに手伝ってもらって、はやばやとチェーン付けました。おくさん曰く、ケーキ入刀以来の協同作業だ。

今のところ車は無事です。

雪だそうで・・・

2007-11-23 00:41:10 | 亭主独白
明後日は、福島で法事。
ここのところの冷え込みが、凄く気になっていたのですが、
今日、宿泊を予定していたペンションから電話があったそうで、
雪が20cm位(!!)積っているとの事。
専用タイヤかチェーン持ってこないと滑るって・・・
チェーン持っていくけど、車ボコボコにならずに無事帰ってこれますように。
豊川稲荷さんを信じましょう。

散歩

2007-11-21 00:00:05 | 亭主独白
昨年に引き続き、お散歩企画第2回目です。

赤坂見附での打ち合わせが早く終わったので、久しぶりに青山通り沿いを歩いてみました。
片側3車線の青山通りと東宮御所のおかげで、都内では珍しく開けた空が見えるので、赤坂見附~青山一丁目まで歩くのは、結構好きなんです。

赤坂見附の坂を昇ると、青山通りの反対側に豊川稲荷があります、
通り反対側なのでいつもは行かないのですが、今日は時間があったので寄ってみました。
塀1毎へだてた向こうは大通りなのに、境内は静かです。
大樹が残っているためか、気温も周りより低いようです。
連休に福島に行くので、おさい銭をあげて拝んできました。
事故に遭いませんように、渋滞しませんように、良い天気でありますように。

豊川稲荷の脇の久郎九坂を下ります。
豊川稲荷の脇をぐるっと回って、裏手に出るような通りです。
坂の途中から、クリスマスツリーのライトアップした赤坂プリンスホテルが見えました。
ちょっと得した気分。
久郎九坂は途中から弾正坂と合流して、そのまま東宮御所の脇を通り、弁慶堀へと続きます。
ここで左折すると、坂を上って迎賓館の前に出るのですが、そうすると帰るのが面倒なので、そのまま東宮御所に沿って引き返します。
青山通りの角にある門の前に警備の人が数人出ていたので、皇族の車が帰って来るのかと思っていたら、青山通りを外交官ナンバー付けた黒塗りの車が曲がってきました。
これか、と思って振り返ったら、件の車はそのまま門の前を通り過ぎてしまいました。

さて、青山通りに戻って、通りの反対側に行こうとしたのですが、横断歩道がありません。
ある事はあるのですが、コの字型になっていて、向こうに行くには信号待ちを2回しなくてはならなかったので、そのまま東宮御所の脇のポプラの落ち葉を踏みしめながら、青山一丁目の方へと歩いていきました。
通りの反対側には不思議な形のビルが見えます・・・草月会館でしょうか。
その隣には高橋是清翁記念公園、その隣には大きな屋根のカナダ大使館が見えます。
さらに向こうには、六本木の東京ミッドタウンと六本木ヒルズのアークタワーが見えます。
煌々とついた明かりの中で、まだみんな仕事してるんですよね。
でも、こんなに明るい塔を作る必要があったんでしょうか・・・
この二つの塔は不夜城なんでしょうね。。。

結局青山一丁目の交差点まで横断歩道が無かったので、そのまま東宮脇を歩き続けました。
青山一丁目で地下鉄に乗ろうかと思ったのですが、まだ時間が早かったので、もうちょっと、とまた歩き始めました。

青山一丁目の角のホンダで、ウィンドウ越にあたらしいフィットを見ました。
マツダデミオと似てる。。。
少し歩くとベントレーのショウルーム。
ここは昔の英恵森ビル?
この脇の道を入ると、落合恵子のクレヨンハウス。
今日は絵本見ないのでここはパス。

青山二丁目の交差点で、再び青山通りを渡り、神宮絵画館前のイチョウ並木を歩きます。
青山通りから離れるに従って、車の音も静かになります。
ここのイチョウは、下の方は枝が広がっているのですが、上の方は細く刈り込まれていて、それが神宮球場のナイターに照らされて、ちょっと面白い景色になっていました。

絵画館前の周回道路のところで左折。
ライトアップされた絵画館まで行ってみたかったのですが、ちょっと距離がありそうなので止めました。
昨年、会社のみんなとナイターを見にきた神宮球場とゴルフ練習場の間を通って、日本青年館の前へ。
もっと先まで歩いていきたかったのですが、地下鉄に乗りたかったので、ここから銀座線外苑前の方向に進みます。
秩父宮ラグビー場ではなにかイベントをやっているのでしょうか、駐車場の前にコートを着た人が立ち、来場者を案内していました。
隣の東京女子医大青山病院の裏口には、黒塗りの車が沢山止まっていました。
誰か入院しているのでしょうか・・・

そして外苑前の交差点。
ここまで来れば、表参道は目と鼻の先。
表参道までたどり着けば青学前をとおって、宮益坂を下り渋谷駅。
なのですが、この宮益坂下った辺りのゴミゴミした雰囲気があんまり好きじゃありません。
なので、今日の散歩はここまで。
外苑前から銀座線に乗って帰ってきました。



[Noom Akasaka]



[Akasaka Tree]


付近の地図




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木枯らし

2007-11-18 22:24:49 | 季節のしるし
近くのスーパーのBGMがクリスマスソングになったと思ったら、今日は東京に木枯らしが吹きました。昨年より6日遅いそうです。

夕方から庭に出て、夕やみの中でツツジやら笹やらを適当に刈り込みました。
例の、ヘクソカズラの蔓が何本も走っていたので、出るだけむしり取りました。

今年も夏場は暑くて庭の手入れを怠っていたせいか、今年は笹に毛虫が発生しました。
初夏に笹をかなりイジメタので、弱っていたのでしょうか。
こんなに毛虫がついたのは、初めてでした。10月になってから発生したんですが、寒くなってどこに消えたのやら・・・

それから、ダチュラは2m近く(以上?)に伸びて、花は30個ぐらい付けてるのではないでしょうか。とても良い香りを漂わせています。

Blue Oyster Cult

2007-11-18 16:08:34 | 最近聞いた音楽
短期集中連載のヘビーメタル三部作、いよいよ最終回です。

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最初にBlue Oyster Cult(BOC)の名前を知ったのは、高一の頃。
同級生のT君がファンで、話をいろいろ聞かされていました。
でも、その時は、音は聞いていませんでした。
なにしろ、プログレに走っていて、それ以外のジャンルまで手が出せませんでしたから。

それから暫くしてFMから素晴らしい曲が流れてきました。
それがBOC「死神/(Don't Fear) The Reaper)」。
76年発売の「タロットの呪い」からの曲です。

当時、BOCのライブアルバムが発売されて、メンバー全員がギター持って演奏する、というME262が話題になりました。

それから、随分時が過ぎて、そうだ「死神」が聞きたい、と思ったのはCDの時代の初期の頃。
タワーレコードでBOCコーナーを見たけど、生憎オリジナルアルバムは置いて無くて、「死神」の入っているベスト版
(これだったか)
を購入。
ただ、残念なのはライブの演奏だったんです。
スタジオ版よりコーラスがちょっと粗っぽいのが残念。
オリジナルは74年発売の「Agents of Fortune / タロットの呪い」


1. This Ain't the Summer of Love
2. True Confessions
3. (Don't Fear) The Reaper
4. E.T.I. (Extra Terrestrial Intelligence)
5. Revenge of Vera Gemini
6. Sinful Love
7. Tattoo Vampire
8. Morning Final
9. Tenderloin
10. Debbie Denise

全体的にゴリゴリとしたハードロック(これがヘビーメタルなのかな?)。
この中で、やはり(Don't Fear) The Reaperは出色の出来ですね。
YouTubeの映像です
Don't Fear the Reaper live


前述のベスト版の中で「う!! これはすごい!!」と思ったのが「Hearvester of Eyes」と切れ目無く続く「Flaming Telepathy」。
いったいどのアルバムの曲だろうと、と探してみたら、冒頭のT君が進めていた「Secret Treaties/オカルト宣言」

1. Career of Evil
2. Subhuman
3. Dominance and Submission
4. ME 262
5. Cagey Cretins
6. Harvester of Eyes
7. Flaming Telepaths
8. Astronomy

全体を通して聞いたのは今回が初めてですが、流れるようなアルバム構成は見事です。
先に述べた「ME 262」はLPでいうとA面の締めだったんですね。カッコいいです。
(ジャケットのジェット戦闘機がME262ですね)
他の曲もギターの流れるようなフレーズといい、ボーカルのハーモニーといい、「華」があります。
このアルバムは、何度も繰り返して聞いてしまいそうです(今も繰り返して聞いています)
「タロット」に「死神」という名曲がありましたが、このアルバムにもまけず劣らぬ名曲「Astronomy」があります。

Astronomy

[おまけ]
アマゾンでブルーオイスターカルトを調べたら、若き日のアーノルド・シュワちゃんのエクササイズCDが見つかりました。
いったいどの曲聞きながらエクササイズしたのでしょう。







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ヘビーメタル探し

2007-11-17 12:33:29 | 亭主独白
昨日のTommyさんのコメントにもありましたが、Heavy Metalの語源は、ウィリアム・バロウズの「裸のランチ」の様です。
バロウズ、「裸のランチ」書いたときにはパリに住んでいたのかな? でも、個人的には、ビートニックの一員としてニューヨークのアンダーグラウンドのイメージがあります。
ブルー・オイスター・カルト(BOC)も、「死神」でメジャーになりましたが、ニューヨークのアンダーグラウンドで活動していたバンド。
その辺りの共通点から「ヘビー・メタル」というキャッチコピー(?)に結びついたのでしょうか。

でも、バロウズというと、サブカルチャーのスターで、ルー・リードとかデビッド・ボウィなんかとも付合いがあったようで、なんだかこの人自体が当時のニューヨークロックそのものではないか。なんだか、そんな気がしてなりません。

「裸のランチ」については、松岡正剛さんのサイトに詳しく書いてあります。
「裸のランチ」誕生の影には、ニューヨークとは海を隔てた対岸のモロッコが関係しているそうです。

Wikiで紹介されているもう一つの説は、ステッペンウルフの「ワイルドで行こう」の歌詞。
ここで、オートバイの音をHeavy Metal Thunderと表現しています。
で、BOCもこの曲をカバーしています。
もしかしてこれはHeavy Metal繋がり?

さて、Opethを聞いていて、何故だかクリムゾンの「ProzaKc Blues」を聞きたくなりました。
そういえばヌーボ・メタルなるジャンルを名乗っていましたね。
エイドリアン・ブリューのボーカルも、ちょっとだけデス声???
で、
iPodで曲を眺めていたら4曲下に「The World's My Oyster Soup Kitchen Floor Wax Museum 」を発見。
こんなところにもBOCの影が・・・

「ジャズ界でメタルというとこれかな?」と聞いてみたのが、マイルスのDark Magus
Mojaのギター乱立状態といい、ベースのホップ感といい、これはロックですね。
Jack Johnsonで、カッコいいロックを演奏してみせたマイルスですが、Mojaでは混沌としたロックサウンドを聴かせています。
マイルスからメタルへの、早すぎる回答、かもしれないですね。
マイルス自身、ジミヘンとの共演を夢見ていたという事です。
この夢のタッグが形成されていたら、ヘビー・メタル・ブームの到来はもっと早まっていたかもしれません。

さてさて、ヘビーメタルで検索していたら2chにこんなスレッドを発見しました。
ヘビーメタルの元祖について
いきなり111から始まるので、この前がある様ですが、ヘビー・メタルのご先祖様探し。
ブラック・サバスというところが無難なセンということでしょうか。
しかし、いろいろ出てきます。
フー。
モッズの元祖で、パンクのご先祖さまで、ここでまたメタルの源流として揚げられています。
ビートルズの「ヘルタースケルター」。
ハードロック特集ではかならず出できますね、この曲。
であればフロイドの「ナイルソング」もメタルですね。
川って遡ると、枝分かれしていて、源流はなかなか見つけ難いものですよね。


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Opeth

2007-11-16 01:39:40 | 最近聞いた音楽
かねてから疑問に思っていたのですが、ハードロックとかヘビーロックと呼ばれていたものが、ヘビメタに成ったのはいつの事でしょうか?
ジャンル分けなんて、どうやっても境界線がブレるものなのですが、個人的な思いとしては、パンクによって一端は絶滅したかに思われたオールドウェーブが復活した80年代、ジューダス・プリーストとかアイアン・メイデンとかデフ・レパードあたりがメタル化の原点なのではないでしょうか。
こういうときは、教えてWikiな人、ということでWikipediaでひいてみましたが、明確な回答はありませんでした。

再び、かねてから思っていた事ですが、ヘビメタというのは、それまでのハードロックと違い、ブルースを直接のルーツとしていないのではないかと思っています。
では、ヘビメタのルーツは何かというと、一つはパンク。
ピストルのたまに倒れたオールドウェーブが復活する際に、自分を倒したパンクそのものを取り込んだのではないかと思います。
そして、もう一つがプログレ。
ヨーロッパをヘビメタと呼ぶのかどうかわかりませんが、ファイナル・カウント・ダウンを聞いたとき、「あ、これはプログレの様式美だ」と思いました。
形容矛盾ではありますが、古きよきプログレを踏襲するエイジアとヨーロッパが重なって見えたんです。
プログレという奴も、コレマタ、ブルースをルーツにしていないという事で、ヘビメタと重なるような気がします。

さて。
tommyさん推薦のOpethを聞いてみました。
昨日聞いて、今日レビューというのもなんですが、結構気に入ってます。

Tommyさんから出された課題はこちら


[Damnation]

1. Windowpane
2. In My Time of Need
3. Death Whispered a Lullaby
4. Closure
5. Hope Leaves
6. To Rid the Disease
7. Ending Credits
8. Weakness

全編メロトロンとギルモア風あるいはラティマー風タメと引っ張りのギター。
ちょっとばかりメイソン風ドラムと合わせて、これはプログレバンドといっても過言ではありません。
詳細は、Tommyさんのブログを参照してください。

もう一枚聞いたのがこちら


[Deliverance]

1. Wreath
2. Deliverance
3. A Fair Judgement
4. For Absent Friends
5. Master's Apprentices
6. By The Pain I See In Others

こちらは典型的なヘビメタ。
グワーとのどの奥から出てくるようなデスボイスもあれば、普通の声のボーカルもあります。
Damnationが全編プログレであるのに対して、こちらはデスあり、プログレありで、どちらかというこ、こちらのアルバムの方が、今、気に入ってます。

それで、Opethを聞いただけで偉そうなこといいますが、プログレとヘビメタの共通点を幾つか発見しました。
 1.曲が長くて、構成が複雑。
 2.ブルース臭くない。
 3.意外と叙情性に流れる。
 4.ドラムが結構マイケル・ジャイルスしてる。
なんだか、決め所のメロディーがどちらも叙情的ですよね。

ヘビメタとプログレの相違点というと、やはりヘビメタの方がリズム感は良いですね。

プログレというと、かなり「何でもアリ」の世界で間口広いのですが、ヘビメタはそれよりも入り口は限られた広さしか持っていないと思います。
というか、プログレは広すぎ、ですね。
だから、なのか、ヘビメタ聞くと、どこかに「理想的なヘビメタ像」というのがあるような気がします。
どこかにヘビメタの天国があって、ヘビメタバンドはヘビメタ天国の音を実現するために音を出しているような気がします。

で、そのヘビメタの理想像ってなんだろう、って考えたんですか・・・意外なところに行き着きました。

ヘビメタって、意外とサービス精神満点ですね。
アルバム一枚聞くと、その世界に浸れますよね。
で、結構マッチョかと思いきや、意外と事情的でリリカル。
しても、ブルース臭くなくて、様式美を意識していた。
そういうバンドありましたよね。
そう、Queenです。

Queenて後期はかなりシットリしたポップロックでしたが、デビューしたての頃は、新鮮なヘビーロックバンドでした。
ちょっと少女趣味かかっていましたし。。。

ヘビメタバンドが目指す、究極的なヘビメタの天国って、実は意外やデビュー当時のQueenだったのではないか。。。
なんだか、意外なところに行き着いたのですが、どうでしょう。





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月光値千金

2007-11-15 01:54:55 | 亭主独白
sonareさんから教えてもらいました。
フェアポートコンベンションの「麗しき月の出」でも聞きながらみたいなと思って、渋谷のツタヤにいったのですがありませんでした。HMVは、もう閉まっていました。

JAXAのサイト

地球の出は広角でとっているので、地球がとても小さく見えます。
こんな小さな地球の上に、みんなで乗っているんだよ。
肩組まなくちゃ、こぼれ落ちちゃう。

地球の入りは、望遠でとっているので、地球も大きく見えます。
でも、地球が月の影に隠れて見えなくなると、
やっぱり、寂しいですね。
普段気がつかないけど、
掛替えのない存在なんですね。






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1984

2007-11-14 02:17:03 | 亭主独白
最初のMacを買ったのは、転職前の会社を退職したとき。
丁度HyperCardが標準として付いたときです。
HyperCardが使いたくてMacを買いました。
1988年の事です。

1984

さらに遡ること4年、1984の年の1月に最初のMacが世に出ました。
このCMは、その年のスーパーボウルで流されたときに、全米に衝撃が走った、といわれています。

で、コチラは、そのメイキング映像付きだそうです。
ん!? 大沢監督・・・じゃないですね。






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今度は1983年

2007-11-12 17:39:48 | 最近読んだ本
おくさんが、アレルギー性の喘息らしくて、ダウン。
しかも、腹痛(喘息との因果関係は不明)も起こして、身動きとれず状態なので、会社を早く退社して病院へ連れていきました。

待っている間に読む本を・・・と本棚をのぞいたら、ミュージックマガジン/1987年10月号の隣に「SFの本」誌の4号を発見。
発行が1983年。就職した翌年だ。学生時代に買ったと思ったのですが・・・

特集は「摩訶不思議的イギリスSF」と「追悼 寺山修司 -イメージの狩人-」「速報1983年ファンジン大賞」。
特集はともかくパラパラとページをめくっていたら、音楽ネタを発見。

その1
イベントレビューで「ブライアン・イーノ ビデオアートと環境音楽の世界」が取上げられていました。
赤坂の国際フォーラムで、イーノの環境音楽とビデオのイベントがあったようです。
イーノ自身、もっと大きなモニターがあれば、もっと面白いものになる、と語っていたようですが、レビュワーの感想としては「うーん、いまいち」みたい感じでした。
しかし、こんなイベントがあったんですね。
全然知りませんでした。

その2
またまたイーノもの。
SFファンはイーノ好きなのか?
こちらは編集長の志賀隆生さんの「かたい時、やわらかい時」と題したコラムで、タイトルが「ブライアン・イーノから大江健三郎へ」。
俎上にのせられたのはイーノの「アポロ」と大江健三郎の「「雨の木」を聞く女たち」。
大江健三郎は3-4冊ぐらい読みかけて、全て挫折しました。
大江健三郎、朝日新聞のコラムは、時間があるとき読んでいて、これは読めるので、どうも小説のあの独特の文体が合わないのかもしれません。
で、レイントゥリーも挫折したうちの1冊。
3段組4ページという長いコラム(コラムというには長すぎ?)なので斜め読みなのですが、どうやら・・・
 近代科学によって容認された、均一で連続的な時間がかたい時間(つまり、一定の時間というのは常に同じ長さということか?)
 かたや「アポロ」のような身体感覚に基づいた不均質で連続的な時間が柔らかい時間。
だからそれがどうした、というところまで読み込んでませんが、どうやら、近代文学が作り出した、切り取って持ち出し可能な「かたい時間」に基づいた作品から、大江健三郎は逸脱して、身体的で連続的なやわらかい時間を生み出しつつある、ということでしょうか?
いや、だから「だから、どうした?」というところまでは読み込んでいません。

その3
映画紹介もあります。
スターウォーズ初期3部作の完結、という話題の「前」にヘルツォークの「アギーレ・神の怒り」と「フィッツカラルド」が紹介されています。
記憶の中の「アギーレ」は、密林密林また密林。その奥にあるであろう夢の王国に向かっていざ進め。(あまりにも表面的な紹介だ・・・)


雨と恐怖の中で、人間の業を描いた、とても疲れる映画でした。
音楽はもちろんポポロブフ。

「フィッツカラルド」。
こちらも「アギーレ」と同じくヘルツオーグ/クラウスキンスキーの組み合わせ。
この二人が組むと、とてつもなくコワイ映画に仕上がりますね。
クラキンのあの迫力のある顔が・・・


老水的記憶の中にある「フィッツカラルド」は、船頭多くして船山を登る、のお話。
アマゾンの山奥にゴム園を作る事を夢見たフィッツカラルド。現地に行くには、凶暴な原住民のいる密林沿いの川を蒸気船で上る必要があります。
しかも、なんの手違い(じゃなかったかも)か、その原住民の住むまっただ中を船ごと山越えしなくてはならなくなりました。
敵対するとおもわれた原住民は、快くフィッツカラルドに力を貸して、船は順調に山を登ります。
ところが、山を下って、まもなく反対側の川に船を浮かべる事ができる、というときに原住民は船を激流に流してしまいました。
原住民にとって船は川を鎮めるための生贄代わりだったのでした。
全てを失ったフィッツカラルドは、ただ笑うしかない。。。
というのが、私の記憶の中のストーリー。
本当かどうかは、もう一度映画みないとわからないです。
(webで調べてみたら、かなりちがっていました。従ってネタばれになっていないから安心して)
音楽はもちろんポポロブフ。

「SFの本」誌の紹介だというのに、SFの話が一つも出てきませんでした。


[追記]
ニューウェーブSFについて述べてある記事に、マイケル・ムアコックの名前を発見しました。
ちょっとSFな話題も載せてみました。




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ウエストサイド物語

2007-11-12 01:22:26 | 最近見た映画
劇団四季好きの次女が学校のメディアセンターから、「ウェストサイド物語」の映画のビデオを借りてきました。

オープニングは、ニューヨークの町を俯瞰した映像で、次第にジェット団がたむろする屋上に近づいていきます。
流石に舞台と違って、映画はダイナミックですね。
でも、舞台のような特別な空間では、劇とダンスが入り交じっていても不思議ではなかったのですが、映画では、普通に街の中を歩いてるのにいきなり踊り出す・・・というあたりは、ちょっとばかり見ていて恥ずかしい感じありますね。
映像の方は、かなり強烈な特殊効果がかかっていたりして、なんだか時代を感じてしまいました。

出演者では、ナタリー・ウッドも良いですが、ジョージ・チャキリスが演じるシャーク団のリーダー・ベルナルドがとてもカッコいいですね。

曲はバーンスタイン。
どの曲も良いですね。




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20年

2007-11-11 00:09:04 | 最近読んだ本
本棚の中に、中村とうようさんの「ミュージック・マガジン」を発見。
その昔は「ニュー・ミュージック・マガジン」といってたが、ニューミュージックという分野ができ上がってから、いつしか雑誌のタイトルから「ニュー」が外れました。
高校の頃良く読んでいたのは「ニュー・ミュージック・マガジン」のころ。
記事の内容もそれなりに読んでいましたが、輸入盤屋の広告が多かったので、それが目当てでもありました。
ちなみに、当時は中村氏の仇敵である渋谷陽一氏のロッキング・オンはかかさず読んでいました。

さて、何気なく手に取ってみた本棚の中の「ミュージック・マガジン」はトッド・ラングレンの特集。
多分、この記事が読みたくて、買ったのだと思います。
何気なく表紙を見ると1987年10月号。
へえ、丁度20年前だ、と思ってパラパラとめくってみました。

巻頭特集はCDマガジン(ミュージックマガジン内にCDマガジンを含んでいました)の特集で、「ビートルズをCDで聞く」の5回目。
中井戸麗一がホワイトアルバムを、大鷹俊一がイエローサブマリンを、それぞれ1トラックずつ感想を述べています。
そもそも「CDマガジン」というのが時代を感じさせますね。

当時の音楽シーンはどんなだったかいな、という興味であちこち記事を拾い読みしました。
海外のニュースではスティングが「ナッシング・ライク・ザ・サン」のレコーディングを終わりツアーにでるとか、フリートウド・マックからリンジー・バッキンガムが脱退したとか、ジョン・エントウィスルがリンゴ・スターの息子とザ・ロックというバンドを組んだのと書いてありました。
国内はというと、エルビス・コステロが来日したり、クラプトンが若手(?)の黒人ブルースバンド引き連れて来日したりしています。
そして、この年の夏、二つの大きなイベントがあったようです。
一つはHIROSHIMA 1987-1997。
平和をテーマにしたコンサートで出演者が再結成したツイスト、安全地帯、ハウンド・ドッグ、渡辺美里、尾崎豊。
尾崎豊が活躍していた時代だったんですね。
そしてもう一つが、台風の中南阿蘇で開かれたBeat Child。
嵐の中で、機材は壊れるし、観客は倒れて救急車で運ばれるはと、大変なコンサートだったようです。
こちらの出演者はBOOWY、ストリート・スライダースと書いてあります。
フジロックフェスが始まる10年前の話です。

さて、新譜はというと、ザ・スミスの「ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム」、ミック・ジャガーのソロの2枚目、P.I.L.の「Happy?」カーズの「ドア・トゥ・ドア」等が紹介されています。
で、これが全てLPの時代。
曲の紹介にA1とかB2とか書いてあります。

新譜紹介の中で小さく取上げられているのがガンズ・アンド・ローゼズの「アペタイト・フォー・ディストラクション」。
ガンズのデビューアルバムですね。
評者の小倉エージさんは「これから伸びそうなバンドである」として8点をつけています。

そしてCDマガジンの方でも紹介されているのが、デッドの「イン・ザ・ダーク」。
こちらでは「日本発売がCDだけなんて時代は変ったもんだ」と書いてあります。
つまり、ちょうど「アルバム」がLPからCDに切り替わる時代だったという事でしょうか。
レコード会社の広告を見ても、CDでの再発ものが半分(マデイッテナイカナ?)ぐらい。
この頃から。過去の遺産がぞくぞくとCD化されはじめたというとところでしょうか。

たまたま、この月だけがそうなのかもしれませんが、あるいは雑誌のカラーなのかもしれませんが、この月の「ミュージックマガジン」読み返した限りでは、なにか新しい方向への動きって感じられないですね。
むしろ、レコード会社はCD化による過去の遺産で食っていけるでも思ったのでしょうか、今の時代に起きている新しい事や面白いことが、マスコミの網の目からスルリと抜け落ちている、そんな感じもします。

さて、「ミュージック・マガジン」では、国内の歌謡曲にも目を向けていたようです。9月7日付けのオリコン・シングルチャートが載っていました。
1位は話題の光GENJIの「Star Light」で2位はおニャン子クラブの「ウェディングドレス」。
20年前って、そうだったのか・・・
「歌は世に連れ、世は歌に連れ」とは良く言ったものです。

広告の中に、WAVEを発見。
ネットで調べたら六本木のWAVEの開店は1983年。
ちなみに、タワーレコードは札幌店が1980年で渋谷店は1981年。
HMV渋谷はというと1990年だそうです。
大型店舗の進出。
1987年というと、丁度バブル景気のまっただ中だったんですね。






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