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夢の後さき(その2)

2006-01-22 03:31:20 | 亭主独白
無味乾燥な出来事の連続になってしまった、夢の「イパネマの娘」セッションを救い出すために、日本の誇る知の巨人・南方熊楠に登場してもらう事にしましょう。南方熊楠は明治期に和歌山県で生れ、大英博物館の調査部員をやっていたこともあり、後に粘菌の研究者としても世界的に有名になりました。しかし、熊楠の知識は生物学だけにとどまらず、多岐に広がっています。南方曼荼羅と呼ばれる、こんなものも書いています。
詳細は、このあたり
 http://www.aikis.or.jp/~kumagusu/books/jiten.html
を読んでいただいたほうが良いと思います。

その熊楠が「縁」と「起」というものを説明しています。
一つの因果律で結ばれた事象と、別の因果律で結ばれた事象が交差することを「縁」、お互いの事象が影響しあて何かが始まる事を「起」と呼びました。中沢新一は「森のバロック」の中では、たしかこんな説明をしていました。
 山の中を東から西に向かって歩く人と、同じ山の中を南から北に向かって歩く人がいる。
 この二人が山の中で出会って別れるのが「縁」
 二人が出会う事により、二人そろってどちらかの家に行く事を「起」
この考えが夢の「イパネマの娘」セッションを救ってくれないでしょうか。

1)nakapageさんが夢を見る
2)同じ時間にoimizuがコメントを書く
これだけだと「縁」。
1)nakapageさんが夢を見る
2)同じ時間にoimizuがコメントを書く
3)nakapageさんがブログに夢の話を書く
4)それに対してoimizuがコメントを書く
これが「起」。
たとえば
1)oimizuがブログに「イパネマの娘」の事を書く
2)だれか知らない人が夢の中で「イパネマの娘」のセッションを行う。
これもなにかの「縁」かもしれませんが、これを機会に何かが始まる「起」には成りえません。
つまり、夢の「イパネマの娘」セッションに関して言えば、偶然の出来事の中でnakapageさんとoimizuが出会う。そしてnakapageさんとoimizuでプログでの話しを盛り上げていく。偶然の中出であった二人の意志が一つの方向に向かう事により「縁」を「起」に変える事ができたのではないでしょうか。

こう考えると、出会いというものはとても不思議なものに思えてきます。
もしかしたらnakapageさんとoimizuはどこかで出会っても、それだけで通り過ぎてしまっていたかもしれません(つまり「縁」はあっても「起」には至らない)。ところが、同じような背景を持っていたり、同じような考え方をしていたりというこれまた偶然の一致があったからこそただ通り過ぎず、お互いを知りあう事ができるようになった(つまり「縁」から「起」に変わった)
夢の「イパネマの娘」セッションに関して、nakapageさんとoimizuを結びつけたのは、得体のしれない精霊の力ではなくて、nakapageさんとoimizuが持っていた共通の考え方とか、共通の理解なのではないかと思います。

大きな事を言えば、宇宙。ひとりの人間から見れば、永遠とも無限とも思えるこの時空の中で、またまた同じときに同じ場所でお互いが出会えたという事、これはとても重要な出来事のように思えないですか。

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