おいみず亭 Family & Friends

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SAYURI (映画三昧その2)

2006-01-04 02:58:08 | 最近見た映画
「Always・・・」から一日明けて、再び同じ映画館で話題の「SAYURI」を見てきました。

惜しかった事は、桃井かおり。この人の台詞は日本語で聞きたかった。
英語でも桃井調のしゃべり方しているのですが、やはり日本語で聞きたかった。Koji Yakusho、Ken Watanabe、Yuki Kudoは英語でも良いけど、やはり桃井かおりは日本語が似合う。

映画見ながら、いろいろ突っ込みを入れていました。
「Always・・・」がCG使って、丁寧に昭和33年を作り上げていたのに、「SAYURI」は、いったい、いつの時代なのか? と首をかしげてしまいました。ひょっとしてブレードランナーの世界?なのかとさえ思えてしまいました。もう少し、時代考証をちゃんとしましょうよ。最初の方に出てくる蒸気機関車は、西部劇の蒸気機関車のようです。昭和初期の日本の機関車はあんな格好してません。置屋さんの台所にある「かまど」もまるで西部開拓史のよう。あれじゃお釜で米炊けないでしょ。と、画面の隅々が突っ込みどころ豊富で、そんなところばかり気になって困りました。

そういう細かなところが、西部開拓史しているせいもあってか、映画はとても無国籍な感じがしました。日本のようでもあり、中国のようでもある。時々京都(らしき)風景も映るのですが、全体的に「やっぱりアメリカ人の見た日本だよなぁ」と言う感は否めませんでした。
どうも、ストーリーも芸者という存在のはかなさと侘・寂・無情というものを重ね合わそうとしているようなのですが、なんだかそれは表層的な一致に過ぎないよね、と思ってしまいました。

ストーリーは、とある芸者さんの生い立ちから、苦労して芸者になったあともまだ苦労する。せっかく築き上げた芸者の地位や名誉も戦争によってメチャクチャにされてしまう。それでも「会長様=Ken Watanabe」たちに救われて、最後はいたってアメリカ映画的に終わります。戦争の時代(ここに来てやっといつの時代の話なのかわかりました)ぐらいから後の話では、「この話はどうやって終わらせるのだろう」と気になってしまいました。個人的には戦争が終わって、芸者に復帰してから、崖の上で全てを捨てても芸者としての自己を貫き、強く生きていこうと決意する場面で終わっても良かったのではないかと思います。ただ、それだとHollywood映画として成立しなくなってしまいます。

そこで問題なのが、どうしてこの映画をHollywoodで作ったのか? ということ。国際的な俳優に出演してもらえるという利点はあるかもしれません。確かにチャン・ツィー、コン・リー、ミシェル・ヨーそれぞれ美しいのですが、やはり日本人の俳優を使ってもらいたかったと思います。チャン・ツィイーの踊りは確かにきれいなのですが、そこで日本の美を表現していてどうする? それよりもっと中国の美を表現して見せてよ、とここでも突っ込みを入れてしまいました。
「芸者=魅せる技術を持ったアーティスト」だという解釈は、確かに日本の中からは出てきにくいのかもしれません。わざわざ、こういう解釈をする辺りはアメリカ的な視点で映画を作る上でプラスなのかなとも思いました。でも最後に「芸者=アーティスト」という視点が崩れているような気がしました。先にも書いた崖の上で終わっていれば、ああ、最後までアーティストとして生きていくんだな、とも解釈できると思うのですが・・・

とまぁ、何だか最初から最後まで突っ込んだり、考え込んだりしてばかりいたような気がします。
でも、結論は出ませんでした。