経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

日本人のための政治思想(4) 万葉集

2014-06-08 14:26:57 | Weblog
(4)万葉集
 和歌は万葉集に始まります。万はヨロズノ、葉は言ノ葉を意味します。そこには5-7-5-7-7の短歌を主として長歌、更に施道歌、仏足足跡歌など約4500首の歌が採録されています。8世紀の中頃孝謙天皇の命で作られました。万葉集はただ勅撰というわけではありません。長い時間をかけて創られています。編者は大伴家持と言われ、大体の骨格は8世紀後半にできました。同時に大伴家の私家集という性格も強いのです。ですから万葉集は民間で創られ採録されたという傾向をも持ちます。従って準勅撰集と言われています。冒頭第一番の歌は、籠もよみ籠持ち、で始まる雄略天皇の歌です。この歌は天皇がある日、野で菜をつむ乙女を見て求愛するという内容ですが、ここでの求愛は同時にこの乙女の一族が支配する地を天皇が統治するという意味を持ちます。ですから万葉集は王権の正当性を歌う寿ぐという性格をもちます。事実万葉集の前1/3では天皇や皇族そして高級貴族の歌が多いのです。
 しかし万葉集の最大の特徴はまず、作品が極めて多数なことです。以後続く古今集以下の勅撰集ではせいぜい1000首くらいです。作品が多いのみならず、作者は階層縦断的で、つまりかみ天皇からしも下級官人や庶民まで、極めて多彩です。しかも庶民の名前も解っています。農民や防人の作者が多数います。この点については地方に下った官人による代作という意見もありますが、一農民でも詩作できるという地盤があったからこそ代作も可能になったのでしょう。あるいは官人達が農民の心情を汲みうる立場にあったとも言えます。全く共感がなければ代作などできません。私は代作もあったであろうが、農民防人自身にも詩作能力はあったとみています。彼らが創った歌はあまりにも実感がありすぎます。ですから万葉集は官民共同の作成という性格を持ちます。
 万葉集は有名歌人という層で数えれば女性の比率は非常に高いと言えます。ただ日本での女流歌人の高い地位は万葉集以後も続きますからこのことが万葉集の特徴とは一概には言えません。しかし万葉集がそのような傾向を創始したとは言えるでしょう。そもそも万葉集は万葉仮名といわれる特殊な仮名文字を使っています。万葉仮名は仮名文字の先祖です。仮名は、女文字ともいわれます。ですから万葉集は仮名文字を使うことによって国民文学あるいわ大衆文学になり、そうして同時に女性を文学の世界に引き入れたとはいえましょう。この事は源氏物語と枕草子を筆頭とする平安女流文学の興隆と密接に関係してきます。ここでも女性の地位は暗黙のうちに高いのです。
 万葉集は以後の歌集に比べて歌の主題材料が豊富です。古今集以後の歌集の主題はだいたい、四季、恋、旅、別れ、くらいにしぼられ歌語も定型化されますが、万葉集では歌材は生活一般に広がります。しゃれや冗談も多く以後の歌集ほど見栄っ張りでくそまじめではありません。また万葉集では思想や社会的関心も読まれています。なによりも万葉集では性に関する歌が多いのです。和歌の主題の一つは恋愛ですから、あたり前といえばあたり前なのですが、万葉集では恋愛感情の表出は直截です。猥雑といってもいい歌もたくさんあります。万葉における性愛の研究、という論文もありました。恋愛を通り越して性愛を直接読む歌もたくさんあります。歌材が生活一般そして直截な性愛さらにしゃれ冗談にまで広がるということは歌を非常に詠みやすくします。同時に感情を率直に表現することを可能にします。万葉集では和歌を例に取れば5-7-5-7-7の形式以外の約束作法はありません。万葉集の歌では他の歌集の歌に比べて感情が直接に表出されていることは周知の事実です。古今集以下の歌のように行儀よい歌ばかりではありません。笠郎女の燃えるような恋愛歌や大伴旅人の酒を誉める歌などはその代表です。
 万葉集の意外なそして重要な特徴は男性の同性愛を歌った歌が非常に多いことです。代表が大伴家持です。同性愛をあからさまに歌った歌は以後の歌集にはありません。万葉で歌われる同性愛は、友人同志か主君と臣下の間で詠まれています。同性愛は戦士軍人の間で多いのです。ですから万葉が同性愛をよく詠むということは万葉が古来の戦士の感情をよく保持していることを意味します。戦士とは厳密な意味で同胞です。大伴氏は古代の軍事氏族です。家持の有名な、海行かば、の長歌も見方によっては家持の聖武天皇への恋歌とも取ることができます。戦う同胞とは完全に平等な友人です。万葉に同性愛の歌が多いということは、戦う友人としての戦士、ですから兵士一般さらに庶民にまで歌人の感情が及ぶことを意味します。そして兵士庶民も歌を詠むことになります。
 万葉集のもう一つの特徴は、この歌集が大伴氏の私歌集であるとともに、衰退する古代の名族大伴氏の挽歌という性格を持つことです。軍事氏族大友氏は律令制の整備と併行して衰退してゆきます。万葉集で最後の歌は759年家持が因幡守の時新年を寿ぐ歌が最後です。以後20有余年この有名な歌人は一首も詠んでいません。759年とは大伴古麻呂達が反逆罪で処刑された年の直後です。大伴氏の多くが処罰され家持にも嫌疑がかけられました。家持は780年代初頭に死にますが、死後陰謀加担の容疑で地位を剥奪されています。大伴家持という人物は秀逸な歌人であると同時にしたたかな陰謀家(反藤原氏)でもあったようです。ですから家持編集の万葉集にはどうしても敗者への同情ひいては下層階級への共感が伴います。成功した貴族として上からの目線だけで見るという態度は希薄になります。
 膨大な歌の数、女流歌人の活躍、階層縦断的な歌人の存在、官民共同の制作、歌材の豊富さ、性愛の直截な表出、同性愛を主題とした歌が多いこと、大伴氏の挽歌という性格、などなどの特徴は、万葉集が極めて(他国には例が無いという意味で)大衆的庶民的な文学である事を意味しています。また万葉集がその表記法に仮名(万葉仮名という特殊なものですが)を採用しているという事は、女性、庶民も歌作詩作に容易に参加できるという事を意味します。換言すれば当時としても日本人の識字率は非常に高かったのではないかと想像されます。識字率の高さは民度のつまり生活程度の高さ、更に国民間の平等性を推定させます。ともかく天皇の命令で創られた国民文学に一般大衆が自ら名を連ねて、編集に参加する投稿するような事例は他の国にはないのです。公式の漢字伝来から万葉仮名まで約300年かかっています。この間に日本人は自らの文学を自らの文字で書く事を可能にしました。万葉集の編纂終了後約一世紀たって、現在我々が使っている仮名で書かれた物語や歌集が出現します。
 私は万葉集をべた褒めしましたが、多くの研究者は、日本には長詩英雄詩がない、それだけ小ぶりだと卑下したものの見方をしています。日本にも長詩英雄詩はあります。平家物語や太平記は英雄詩長詩ではないでしょうか。見方によっては源氏物語だって英雄詩とみなせます。他国の英雄詩は民族征服の記録です。日本にはそういう歴史がないので、残酷な英雄が活躍する長詩が無かっただけです。また和歌という短詩は短い分簡単に詠めるという特性をもちます。加えてその表記はイロハという50前後の文字で可能です。口語で表現することもできるのです。という事は万人が詩人になりうることを意味します。この事は日本人の感情表現を容易にし感情交流を円滑なものにし識字率を高め、それによって日本人の思索能力をも高めそして国民間の平等性を従って集団帰属性を強化することを結果します。後年和歌から連歌がそして俳諧俳句が出現しますが、この事も同様の意味を持ちます。江戸時代の天保年間江戸で俳句が懸賞つきで募集されました。10万句集まりました。当時の欧米諸国ではこんなことは不可能でした。


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