お天気
気温変わらず、土曜日です
頑張る人々の胸に
温かい「春」が訪れますように
がんばろう!! 大橋理容室でございます
あのヘルメットを被り
海での活躍を目指す、希望の16歳
地域を支える、若手の姿を
今朝はネットニュースから
【<東日本大震災3年>南部ダイバー目指す岩手の16歳】
復興を助ける潜水士になる。
そんな夢をかなえようと
東日本大震災で岩手県宮古市田老(たろう)地区の自宅を失った高校1年生、山本拓実さん(16)は
仮設住宅で暮らす母の元を離れ
同県洋野(ひろの)町で下宿生活を送っている。
通学する種市(たねいち)高校は銅製ヘルメットが特徴のダイバー「南部潜り」を育成し
潜水と土木両方の技術を学べる全国唯一の学校だ。
父は仕事を求め、2年前から宮城県女川町に単身赴任する。
離れ離れの家族はそれぞれを思いながら
震災3年を迎えた。
額の前で手ぬぐいを結ぶと表情が引き締まる。
2月初めの潜水実習。
空気を送るホースの付いた20キロのヘルメットがずしりと重い。
最深10メートルのプールに身を沈める。
時間を忘れるような静けさが山本さんの前に広がった。
父は田老のアワビ育成場で働く潜水士。
山本さんが生まれる前に亡くなった母方の祖父も
漁師だったと聞いた。
それでも夢は調理師だった。
海に生きるつもりはなかった山本さんを変えたのは、震災だった。
3年前の津波で自宅を流された。
避難先では行方不明者を捜す潜水士の映像が流れていた。
その姿は仮設住宅に移ってからも
頭から離れなかった。
震災から1年後。
職場を流された父の光広さん(54)が
女川町で働くことになった。
その夏、母の運転する車で6時間かけて父を訪ねた。
新しい海でウニ漁に汗を流す父の姿は、輝いて見えた。
「いつか父さんと一緒に潜りたい」。
思いが膨らんだ。
種市高の体験入学に行ってみた。
深さ10メートルから見上げた水面はきらめいていた。
母の裕子さん(40)に「潜水士になろうかな」と打ち明けると
母は祖父のことを語り始めた。
30年前、漁に出て行方不明になったこと。
1週間が過ぎて捜索が打ち切られる寸前に
潜水士が遺体を見つけてくれたこと…。
初めて聞く話だった。
当時小学生だった裕子さんは今も、遭難の前夜を覚えている。
雨がやまず
嫌な予感がした。
離したくなくて父にしがみついて寝た。
それが父との最後の記憶になった。
海の怖さを知っている。
息子の決心には反対だった。
でも、続く一言が胸に迫った。
「僕が潜水士になって、みんなを見つけたい」
父を1週間待つのも苦しかった。
今、多くの人が3年も家族の帰りを待ち続けている。
思いを受け入れた。
南部(旧南部藩)に伝わるヘルメット式の潜水実習が始まったのはこの冬からだ。
空気をうまく抜かないと体が水中で回転してしまい、難しい。
父の光広さんには電話で「まだ宇宙遊泳みたいだべ」とからかわれるが
「潜りの基本だから頑張れ」と励ましてくれる。
潜水士が復興のためにできることは幅広い。
漁や捜索だけではなく
港の復旧やサルベージにも人が必要だ。
自分にやれることを、これからじっくり考えたい。
伝統の「南部ダイバー」を目指して。
この夏、潜水士の試験に臨む。
(15日 毎日新聞)
素晴らしい
以前、久慈市の
「高校生 海女クラブ」の女の子たちの話題をご紹介したが
今度は、なんと
あの「南部ダイバー」を目指す男子生徒
NHKドラマ『あまちゃん』の舞台にも登場した
「北三陸高校」内、"潜水プール・シーン"でお馴染み
岩手県立種市高等学校さん
(その他、校内シーンの撮影は
埼玉県立寄居城北高等学校さんが協力)
なぜか、ドラマの縁もあってか
勝手に他人事でなく気になる
山本君には
ぜひ、夢を実現して活躍してほしい。
がんばろう 粘り
☆町の情報ジャンクション・大橋理容室☆
気温変わらず、土曜日です
頑張る人々の胸に
温かい「春」が訪れますように
がんばろう!! 大橋理容室でございます
あのヘルメットを被り
海での活躍を目指す、希望の16歳
地域を支える、若手の姿を
今朝はネットニュースから
【<東日本大震災3年>南部ダイバー目指す岩手の16歳】
復興を助ける潜水士になる。
そんな夢をかなえようと
東日本大震災で岩手県宮古市田老(たろう)地区の自宅を失った高校1年生、山本拓実さん(16)は
仮設住宅で暮らす母の元を離れ
同県洋野(ひろの)町で下宿生活を送っている。
通学する種市(たねいち)高校は銅製ヘルメットが特徴のダイバー「南部潜り」を育成し
潜水と土木両方の技術を学べる全国唯一の学校だ。
父は仕事を求め、2年前から宮城県女川町に単身赴任する。
離れ離れの家族はそれぞれを思いながら
震災3年を迎えた。
額の前で手ぬぐいを結ぶと表情が引き締まる。
2月初めの潜水実習。
空気を送るホースの付いた20キロのヘルメットがずしりと重い。
最深10メートルのプールに身を沈める。
時間を忘れるような静けさが山本さんの前に広がった。
父は田老のアワビ育成場で働く潜水士。
山本さんが生まれる前に亡くなった母方の祖父も
漁師だったと聞いた。
それでも夢は調理師だった。
海に生きるつもりはなかった山本さんを変えたのは、震災だった。
3年前の津波で自宅を流された。
避難先では行方不明者を捜す潜水士の映像が流れていた。
その姿は仮設住宅に移ってからも
頭から離れなかった。
震災から1年後。
職場を流された父の光広さん(54)が
女川町で働くことになった。
その夏、母の運転する車で6時間かけて父を訪ねた。
新しい海でウニ漁に汗を流す父の姿は、輝いて見えた。
「いつか父さんと一緒に潜りたい」。
思いが膨らんだ。
種市高の体験入学に行ってみた。
深さ10メートルから見上げた水面はきらめいていた。
母の裕子さん(40)に「潜水士になろうかな」と打ち明けると
母は祖父のことを語り始めた。
30年前、漁に出て行方不明になったこと。
1週間が過ぎて捜索が打ち切られる寸前に
潜水士が遺体を見つけてくれたこと…。
初めて聞く話だった。
当時小学生だった裕子さんは今も、遭難の前夜を覚えている。
雨がやまず
嫌な予感がした。
離したくなくて父にしがみついて寝た。
それが父との最後の記憶になった。
海の怖さを知っている。
息子の決心には反対だった。
でも、続く一言が胸に迫った。
「僕が潜水士になって、みんなを見つけたい」
父を1週間待つのも苦しかった。
今、多くの人が3年も家族の帰りを待ち続けている。
思いを受け入れた。
南部(旧南部藩)に伝わるヘルメット式の潜水実習が始まったのはこの冬からだ。
空気をうまく抜かないと体が水中で回転してしまい、難しい。
父の光広さんには電話で「まだ宇宙遊泳みたいだべ」とからかわれるが
「潜りの基本だから頑張れ」と励ましてくれる。
潜水士が復興のためにできることは幅広い。
漁や捜索だけではなく
港の復旧やサルベージにも人が必要だ。
自分にやれることを、これからじっくり考えたい。
伝統の「南部ダイバー」を目指して。
この夏、潜水士の試験に臨む。
(15日 毎日新聞)
素晴らしい
以前、久慈市の
「高校生 海女クラブ」の女の子たちの話題をご紹介したが
今度は、なんと
あの「南部ダイバー」を目指す男子生徒
NHKドラマ『あまちゃん』の舞台にも登場した
「北三陸高校」内、"潜水プール・シーン"でお馴染み
岩手県立種市高等学校さん
(その他、校内シーンの撮影は
埼玉県立寄居城北高等学校さんが協力)
なぜか、ドラマの縁もあってか
勝手に他人事でなく気になる
山本君には
ぜひ、夢を実現して活躍してほしい。
がんばろう 粘り
☆町の情報ジャンクション・大橋理容室☆