4月も最終日です
お天気はまた崩れそうです
お休みの方も、そうでない方も
雨に濡れる時は一緒です
がんばろう!! 大橋理容室でございます
おかげさまで
この度、寄居町商工会青年部を卒業し
寄居町に戻り、21年目を迎える春
この間
人生最大のイベントも幾つかこなし
現在の「心境」を
まさに、僕のぶろぐ。のスタンスである"記録"とし
今回、纏めてみようと思います。
これは、青年部を卒業する45歳の「節目」として
以前より考えていたことであり
『エンディングノート』としての意味合いも持つぶろぐ。である以上
だいたい
皆さんも、すでにご存知の通り
これまでも、真実・事実や
心の叫びを記してきました。
SNSのマナーとして
第三者への個人名での誹謗中傷などは一切書いたつもりもありません
また、行政批判を今さらする訳でもなく
あくまでも僕が感じた20数年を纏めたものであり
心当たりのある方がいらしたら
勝手に該当しているというだけのことです
僕にそういった印象を与え続けてきたことも
また、その事実であるということです。
僕が纏め書きをするだけであり
実は誰もが解っていながら
どうにも出来ず
ここまで来てしまったことのツケだと
そう、ご理解戴きたい。
今から30年くらい前までは
町の中心市街地は、商店で隙間なくひしめき合い
町内の人、近隣町村からも
お買い物のお客様や
各商店、3人くらいは人を雇用していましたから
それだけ盛大にお祭りも
店主が羽振りをきかせることも出来た時代がありました。
「商店主」や「商店の数」こそが町の中での力の象徴であり
市街地の中でも、町会の力関係や
同じ町会の中でも「表通り」「裏通り」「駅の北側・南側」といった
居住区によって、ある主の"ステイタス"があったようです。
おまけに町の真ん中を流れる「荒川」によって
なぜか、町が一つに感じられない気持ちは
先の田舎者特有のステイタスが余計に邪魔をしておりました。
両親は、縁もゆかりもないこの土地に移り、27・20歳の若さで
市街地商店街のど真ん中・表通りの「居抜き」の場所に店を構えました。
父親は新潟の山の中の末っ子なので
家を継ぎたくないと、誰よりも先に上京
なので、現在でも兄弟仲は悪いです。
東京は田園調布に叔母が美容室と理容室を経営していたため
そこに住み込みで修行することに
今思えば、叔母が甘やかしたのではないかと思います。
後に堀切菖蒲園~最後は浅草で仕上がり
そこで店長として、独立を考えていた時に
当時のスタッフであった茨城出身の母親を連れて
道具屋さんの紹介で寄居町に。
夜になると「いつまで仕事してるんだ!酒が不味くなる!」と
近所の方からよく怒鳴り込まれたそうです。
「東京から来た若いのが最近、町の真ん中で堂々と商売してるみたいだが」と
組合でもすぐに叩かれたそうです。
元々、都内のホテル・ラウンジのバンドマンやら
そういった方々がお客様として通っていただき
今でも半数は町外のお客様が多いのも
そんなことからです。
近所でも親分肌に
組合でも親分肌に
食って掛かった両親は、この町が嫌いでした。
それを小さい頃から見て
聞いて育った大橋少年の人生を懸けた闘いは
このあとから始まるのです-。
つづく
がんばろう 田舎者のステイタス
☆町の情報ジャンクション・大橋理容室☆
お天気はまた崩れそうです
お休みの方も、そうでない方も
雨に濡れる時は一緒です
がんばろう!! 大橋理容室でございます
おかげさまで
この度、寄居町商工会青年部を卒業し
寄居町に戻り、21年目を迎える春
この間
人生最大のイベントも幾つかこなし
現在の「心境」を
まさに、僕のぶろぐ。のスタンスである"記録"とし
今回、纏めてみようと思います。
これは、青年部を卒業する45歳の「節目」として
以前より考えていたことであり
『エンディングノート』としての意味合いも持つぶろぐ。である以上
だいたい
皆さんも、すでにご存知の通り
これまでも、真実・事実や
心の叫びを記してきました。
SNSのマナーとして
第三者への個人名での誹謗中傷などは一切書いたつもりもありません
また、行政批判を今さらする訳でもなく
あくまでも僕が感じた20数年を纏めたものであり
心当たりのある方がいらしたら
勝手に該当しているというだけのことです
僕にそういった印象を与え続けてきたことも
また、その事実であるということです。
僕が纏め書きをするだけであり
実は誰もが解っていながら
どうにも出来ず
ここまで来てしまったことのツケだと
そう、ご理解戴きたい。
今から30年くらい前までは
町の中心市街地は、商店で隙間なくひしめき合い
町内の人、近隣町村からも
お買い物のお客様や
各商店、3人くらいは人を雇用していましたから
それだけ盛大にお祭りも
店主が羽振りをきかせることも出来た時代がありました。
「商店主」や「商店の数」こそが町の中での力の象徴であり
市街地の中でも、町会の力関係や
同じ町会の中でも「表通り」「裏通り」「駅の北側・南側」といった
居住区によって、ある主の"ステイタス"があったようです。
おまけに町の真ん中を流れる「荒川」によって
なぜか、町が一つに感じられない気持ちは
先の田舎者特有のステイタスが余計に邪魔をしておりました。
両親は、縁もゆかりもないこの土地に移り、27・20歳の若さで
市街地商店街のど真ん中・表通りの「居抜き」の場所に店を構えました。
父親は新潟の山の中の末っ子なので
家を継ぎたくないと、誰よりも先に上京
なので、現在でも兄弟仲は悪いです。
東京は田園調布に叔母が美容室と理容室を経営していたため
そこに住み込みで修行することに
今思えば、叔母が甘やかしたのではないかと思います。
後に堀切菖蒲園~最後は浅草で仕上がり
そこで店長として、独立を考えていた時に
当時のスタッフであった茨城出身の母親を連れて
道具屋さんの紹介で寄居町に。
夜になると「いつまで仕事してるんだ!酒が不味くなる!」と
近所の方からよく怒鳴り込まれたそうです。
「東京から来た若いのが最近、町の真ん中で堂々と商売してるみたいだが」と
組合でもすぐに叩かれたそうです。
元々、都内のホテル・ラウンジのバンドマンやら
そういった方々がお客様として通っていただき
今でも半数は町外のお客様が多いのも
そんなことからです。
近所でも親分肌に
組合でも親分肌に
食って掛かった両親は、この町が嫌いでした。
それを小さい頃から見て
聞いて育った大橋少年の人生を懸けた闘いは
このあとから始まるのです-。
つづく
がんばろう 田舎者のステイタス
☆町の情報ジャンクション・大橋理容室☆