今朝は少し風があり
気温は昨日よりも下がります
桜も、早くもピークを過ぎ
プレミアムな「お花見」もチャンスですね
がんばろう!! 大橋理容室でございます
「新年度」も間近になり
新たに、夢と希望を抱いた″真っ白″な若者が
社会へと旅立つ季節となりました
メディアでは相変わらず
実社会で生き抜いてゆくためには
「組織に歯向かう者は干されるぞ」と教えてくれております
悪い大人について行く列に並ぶのか
自分で「信じられるもの」を探して
頑張っていただきたいと思います
「組織」には、良い組織と悪い組織とがあり
もしも″選択権″があるならば
良い方の組織を選ぶことが一番であって
生まれた場所や、親は残念ながら選べません
ましてや「自営業」ともなると最悪で
その業界も大保守の古典ともなると
それこそ、人生摘んでしまいます
もともとの″設定″が悪いのならば
唯一「継がない」といった選択権があったはずなのですが
やはり責任感の強い世代の仇と
ここまで酷いとは思わずに「自分が変えてやる」といった
自分自身の″甘さ″を後悔するばかり
なので、あくまでも僕の場合は
ずっと書いてきた通り「最初から二足のわらじ」を貫いてきたわけです
自分という「個人」を外へと発信してこなければ
僕の″現在″が無いことくらいは
30年以上前から薄々勘づいていたので
家の中の改革(親との確執)と、地域の改革(旧態依然)を軸に
「そういった床屋さん」という姿を外へと敢えて発信し続け
理解者(自分のお客様含む)で外堀を埋めて
″内の意識改革″(仲間作り)へと繋げてゆこうと考えたからであり
業界へのアウトプットも求められましたが
それは「ヒゲ」だけでたくさんであって
僕にとっては
本来″ベース″となる、家と地域の改革が最優先だったわけです
床屋さん業界のことよりも
地域づくりの方に、25年もの時間を費やしてきました
人が来ない(居なくなる)レストランで
毎日、食材を用意して待っていることよりも
地域に人が残る土壌改良を選んだからであり
あくまでも僕にとっては、床屋さんは「一職業」
地域や身の回りの環境を変えることが
自分の使命(志事)だと、ずっと当初より捉えております
いちばん悪いことは
悪いものを変えようとする人間こそを「悪」とする傾向であって
「自分の親を悪く言う」「住んでる地域を悪く言う」
そこだけで、第三者が判断してしまうことにこそ
問題の本質があるわけです
共通点は「異論を唱える者は排除」
複数の人間で共存してゆく以上
様々な人の意見をまず聴きながら
その都度、最良な手法を議論して
結論づけてゆくことこそが望ましいわけですが
僕が居る場所では、全てが年寄りが大声出して終了
つまり、いつまでも問題が解決されることの無いまま
無駄なことを間違った遣り方で強要させられるだけ
それに対して陰で悪口を言うだけで
僕以外テーブルで誰も異論を唱えない「体質」が
性格上、黙っていられないわけです
家と地域のWでなかったら、別の手段を考えたのですが
子供の成長時期を視て「禁じ手」を行使
いずれにしろ、早いか遅いかの違いだけなので
″真っ白なうちに″家族のカタチを対応型にし
単身に戻って、ヒール転向の道を10年前に
日本では、本当の事を言う者が「ワルモノ」とされますので
腐った場所に自分だって居たくはないのに
ましてや、自分の最愛の家族を置いておけるはずもなく
僕の子供たちですから
僕のように、いずれは気づいて此処を後にするのは解っているので
それならば
悪い印象の無いうちに、彼等の故郷として残したかったというのが本音です
「人生」の残り時間を、勝負に出るタイミングこそが
その後の環境を左右することくらいはイメージが浮かび
ましてや、この時代なわけですから
いつまでも民度の低いことに
薄ら笑いしながら付き合っては居られないのです
なんにでも、中に入らないと判らない事はあるわけで
その人間の言動には
やはり何らかの「理由」が存在するもの
日本の自殺率や、鬱病の発症率(若年層)の高さは
生きづらい社会をみんなで作り上げ
必死に守っているからであって
一部の旨い汁を吸う奴に気に入られようと
本来の自分を圧し殺しているからです
ロックは聴くけど、生き方がロックじゃない奴
龍馬は好きだけど、龍馬のように生きてない奴
自分を貫く「春」は、すぐそこまで
がんばろう 自分持ってる
町の情報ジャンクション・大橋理容室