みなさん「お盆休み」でしょうか
涼しいお盆となりましたが
サービス業にお盆の習慣は無いので
「店、忙しいから悪いな!」と同業者だった両親の遺影に
がんばろう‼ 大橋理容室でございます
ネットで見かけた炎上記事
一部、言いたいことも解らなくもないので
この日、こんなことをSNSに書いてみた
「例えば、サメがいる海に自分が落ちたとして
近くの唯一の7人乗りボートに自分の家族や推しが乗ってる
一緒に猫や犯罪者、知らないおっさんも乗ってる
俺はみんなを助けるために黙って喰われる(良い発信の仕方←でもイヤラシイ)
忖度せずに、犯罪者を引き摺り落として助かる(炎上パターン←でも本音)。
この様子を安全な陸からネット中継で親族やら
動物愛護団体、人権擁護団体が見守るのが現在のわかり易い日本。」
このツイートには続きがあって
「俺がいなくなった後、犯罪者から家族を守らないといけないので
迷わずまずは犯罪者にサメの犠牲になってもらう
その際、もしも知らないおっさんが俺に手を差し伸べたか否かで
その後のおっさんの運命も俺の中で決まる」
そして
「俺がボートに乗り込む代わりに、猫を海に投げなければならないとしたら
その時は猫に“家族を頼むな”と言ってサメに向かって行く」
その後、全米が泣いた! 感動の“映画化決定!!”となるのだが
もう一つのパターンを書き表すとしたならば
「例えば、サメがいる海に自分が落ちたとして
近くの唯一の7人乗りボートに自分の家族や推しが乗ってる
一緒に犬や政治家、知らない大金持ちも乗ってる
俺は迷わず、政治家か知らない大金持ちを落っことす。」
つまり何が言いたいかというと
「俺は何よりもまず、家族を最優先に助けないといけない
個人の価値観として迷わずその行動を取る
犯罪者だから要らない、政治家だから必要という話では無く
“自分が守りたい者の命”が最優先されるということ。」
それが、おそらくは彼の場合は猫の方が上だっただけのこと。
もし「犯罪者と政治家をゴッチャにするな!」という人がいたら
それこそが命の差別であって、彼のことを責めることは出来ないと思う。
僕は仮に、自分の親と家族が乗っていても
迷わず親に犠牲になってもらうのが自分のすべき立場だと考える。
彼のことを別にかばうつもりは無いが
この『選択・選別の時代』
普段からそういった感覚で生きていなければいけないし
自分の考えを発信できるのがSNSなので
“そんな風に考えている者もいる”ということを
彼は発信したのではないか、とさえ思っています。
普段からよく書いてますが
「選ばれるために選ぶ、選ばせないためにも発信する」
もう、そういう時代なのです。
人は残念ながら平等はあり得ません
必ず、ギリギリのシチュエーションになった時
“本音”が自然と出ます。
自分にとって、悪影響を及ぼす人よりも
互いにプラスとなる人を残したい・付き合いたいのです。
全く知らない人からのSNS申請は
その人が誰と友達であるかで判断する他ないのです
人や場所は選ばないと、昔とは違うので
それこそ命取りになってしまう時代なんだということこそが
「誰でも助けてもらえる、もうそんな余裕のある時代ではないんだよ」といった
答えの核心に繋がるのではないでしょうか
あと2日
がんばろう ルーティン
町の情報ジャンクション・大橋理容室