相手の領域、自分の領域というものがあるんだ。
その人が決めて、その人が責任をとるならば、それはその人の自由なんだ。
あれこれ口出しすると、トラブルになるんだ。
例えば、
あいつらについて、ちっとも知ろうともしない人がいるとする。教えてあげても、うるさいなー、なに言ってんだ?という顔をされる。
そしたら、もうやめたほうがいいんだ。
それがその人の選択だから。その人の自由だから。言いすぎると、その方の自由な意志を侵害してしまう。
例えば、子どもが勉強をしない。不良仲間と遊んでいる。とか、いろいろ心配になることがたくさんある。けど、ムリに言い聞かせてもムダだ。
「お母さんから見たら、おまえそのうち困ることになると思うけど、自分で決めなさい。その責任は自分がとるんだよ」
と言って、離れる。
それで親自身が自分の欲求や感情を大切に生きることだ。それをしなかったから、子どもが引きこもりになったり、問題を起こしたりするのだ。
我慢して家族に尽くすのが美徳と教えられた。またそうしなければならない現状もある。
しかしそのなかでも、親がなるべく自分の欲求と感情を大切にする。まずはそういう時間をとってみる。親だって遊んでよい。
実は子どもの問題の原因はほとんどこれだ。
こどもは全部感じている。
親が自分自身をいじめていて、だからこどもの私のことも支配するんだ、と深い所で分かっているよ。
子どもを見るんじゃない。見るべきは自分だ。
そうやって自分を大切にし、相手を尊重して離れてあげると、
こうなる。少し離れた状態だ。相手を侵害していない。尊重している。自分のことも。
この状態が愛だ。
過干渉して支配してる状態は
相手に入っている。自分もまた入られている。激しい親子関係ならば、子どももまた親にずかずか入っていく。この状態だと争う。トラブルが起きる。平和に発展、成長していかない。愛ではないから。互いに破壊しあっている。厳しい言い方をすると、子の人生の破壊だ。
相手の自由を認める。私もまた自由。
我々はつい相手のためを思って、つい、自由を侵害してしまうってことをやりがちだ。
例えばおせっかいな親。おせっかいな妻。あれこれうるさい上から目線の同僚、先輩。
これは、愛ではない。愛と似て非なるもの。おまえのためを思って、というけれど、それは支配なんだ。
また、逆に、私の視点で。
他人がずかずか侵入してきたら、どうする?
私は、まずは「いやだ」という感情を感じる。これを否定してはならない。多少顔に出てもいい。
そして離れる。ひとこということもある。
断りもなく人の部屋に入ってくるヤツ、私が作業してるのに、やたらとキッチンに入ってくるヤツ、私が仕事してるのに、どうでもいい話を勝手に始めるヤツ。
一言いうか、黙って離れる。
「今、これやってるから、あとにしてくれる?」
冷たいような、厳しいような、コワいような気がするかもしれないが、それが愛を守るということだ。自分の領域を守る=相手の領域も守る、ことになる。
言えない人、いるか?
我慢しなきゃって思っちゃうか?
相手に付き合ってやらなきゃって思う人、いるか?相手によるか?
私は自分が不快なら、相手が誰であろうと、絶対、離れる。えらい人でも差別はしない。だっていやなんだもん。
冷たいようだけど、そういうスタンスでいたほうが実は愛で、心通じ合うことができる。
そんなふうに、自分の自由の領域を守れると、相手の領域も守れるようになるんだ。つまり、人を支配しなくなるんだ。まずは自分を守ることからスタート!勝手に相手も守ることになっているから、自分を守れればそれで大丈夫なんだ。
相手の領域に入るときは、ひとこと、同意をとる必要がある。
べつに絶対部屋に入ってはいけないわけではない。作業中に絶対に話しかけてはいけないわけではない。ひとこと、ちょっと今いい?と相手にきいてみて、いいよ、といえばいいのだ。こんなふうに同意をとりあうことが愛だ。
日ごろからこんなふうに相手に入らないであげる。入るときは同意をとってあげる。そんな関係ならば、心から安全だと認識しているから、その相手と近い距離で付き合っても大丈夫だ、となる。幸せだ。この状態ではじめて、人と愛し合うことができる。
今は、核家族化がすすんでいる。それはおそらくこういったことができていなかったから、みんなしんどくなってしまったんだ。
都会に出ないと仕事がないなどと言うけれど、じつは根底に人々のこんな意識がある。そうでなければ、こういう世の中にはなっていない。
現実は、全部心が作っている。
社会とは、我々の集合意識そのものである。
大家族が近い距離で、互いの自由の領域に、同意をとることなく、勝手にずかずか入ってくる。嫁姑バトルなど、全部これだ。一緒に住んでいなくても、相手にダメ出ししたりしているならば仲は悪いだろう。相手の領域を侵害しまくっているわけだから。嫁がおバカさんに見えたとしても。
「わたしはこう思うけど。でもあなたたちの自由を心から認めている。仮に失敗したといても、あなたたちの人生で、経験で、全部大切な学びだからね」っていう気持ちでいたらおバカ(に見えるだけかも?)なお嫁さんとも仲良しだ。
そもそも年長者の考えが絶対正しいとは限らない。違う時代を生きている。彼らの現実は彼らが一番分かっている。若い夫婦は年寄り夫婦のときのような日本を生きていない。上り調子で経済的に恵まれた状態ではない(これもあいつらによるまやかしであったけどね)。みんなそれぞれなのだ。
またお嫁さんのほうも「わたしはこう思うんだ、こうしたいんだ」と言っていいのだ。てゆうか言ってくれ。ただそれだけだ。犠牲者タイプの人はなかなかこれができない。最初はちょっと怖いかもしれないけれど、自分の感情を感じながら、ぜひ言ってみてほしい。案外、その感情がちゃんと通じるのだ。それであっさり認めてくれたりする。(ムリな人もいる。その場合は距離をおいたほうがいい)
あ、こわくない!とわかる。それどころか、相手のやさしさが感じられてうれしくなったりする。
そういう経験が増えてくると、もしかしたら、いじわるな姑というのは、自分の心がつくった幻なのではないか、と気づくんだ。(仕事の上司などもいっしょだ。もちろんムリな人もいる)
そして自分の実の母親のほうもまた同じように、姑に自分の思いを言えなくて支配されて苦しんできたのだなと気づく。あー、これか、こういうことか、こうやって意識が先祖代々受け継がれてきたのかーとわかる。わたし、親とおんなじことしてるんだと気づく。こんな感覚が一家の歴史までも作っている。
この意識、感覚がすべての「ひながた」、である。
これは嫁姑に限らず、会社の人間関係でも、親子でも友人でも、全部一緒だ。
犠牲者から抜けられないと、逆に自分が年長者や強い立場になったとき、支配者となる。こどもも虐待するかもしれない。虐待する親はみんな、こどものとき虐待されて育ったというのは有名な話だ。
自分が相手に支配されることを許しているならば、自分も誰かを支配している。
そういう仕組み。犠牲者は、じつは支配者でもある。支配者は、じつは犠牲者でもある。
犠牲者だけの人はいない。
また支配者だけの人もいない。
おばさんの母はものすごい犠牲者であると同時に、ものすごい支配者でもある。
筋金入りだから、いってあげてもムリだ。おばさん、彼女の自由の領域を認めたんだ。もう気のすむまでやってほしいと思っている。私は付き合えない。ふつうに付き合っていたら病気になってしまったのだ。こんなふうに支配エネルギーは自分や相手を病気にすることも可能だ。
よく、宗教の人や霊能者が、病気の原因は霊的なことだと言ったり、先祖の霊が苦しいからだと言ったりするけど、それはある意味当たり前だ。先祖代々同じパターンで生きてきてるからな。それだけだ。へんなツボや印鑑を買う必要はない。それはたぶん、、、
こいつら↑だw
カモにされてはならない。
引きこもりの人は、そんなふうに親から過干渉という支配をされてきた人だ。
その母は支配者ということになるが、夫の前では犠牲者であったりする。またその母はそのまた親(子どもから見たらおばあちゃん)から支配、虐待されて育っている。父もまたしかり。
(精神的虐待はほとんどの人がやっている&やられている)
この連続だ。その先祖代々繰り返しているパターンを、今少し変えることだ。
過去の親への憎しみなどはこんなふうなことが原因だ。自分の領域を守れなかった、守りかたを知らなかった。守っていいとも思ってなかった。だって言うことを聞かなければならないと、しつけられてきたんだもん。
親以外の人への憎しみも、親子関係で培った支配、依存性が根っこにある。
親子関係が自分の成長後の人間関係のひな形になっている。
おばさんは、親への憎しみに何年も苦しんだ。
やったことはただひとつ。
自分の自由を守ること。
これが、すべての根本的な問題の解決だ。
べつに怒りながら「やめてよ!」といわなくともよい。あっさりといえるようになる。相手の隠れた目的を暴くことも軽くできるようになる。「
憂さ晴らしはやめてくれ」とか軽く言えるようになる。
だから、おばさんの親は、最近おばさんに近寄らない。会うと気まずいんだろう。己のエゴが暴かれるからw
それでよい。支配者に気に入られ、近寄られても困る。ちゃんと支配者を卒業してから来てほしい。
ここが解消されてくると、仕事などの具体的な建設的な問題の解決もできるようになる。
ここができないと、いつまでたっても、どんなにお勉強ができても、資格とか持ってても
おバカなことをしてしまったりする。
あいつらみたいに。そして、悔やむ。心の底で。
おばさんが、声を大にして、言ってやる!
自分の自由の領域をちゃんと守んなさい!
断んなさい、一言いってやんなさい、あんたの愚痴聞きたくないんだって。
きついの。ごめんねーって。
言えないなら、トイレ行ってくると嘘でもいいから言って逃げちゃいなさい。
母親やともだちの愚痴とか。つきあわなくてよろしい!電話も「宅急便来た」とか何とか言って切っちゃいな。
あんたの自由と幸せがなによりも大切なの。
自分の感情を感じながら、「私はこうしたいんだ」っていってごらん。
伝わる人にはちゃんと伝わるよ。自分を大切にしていることが、相手のことも大切にしているように見えるの。じっさい、そうなの。
自分を愛する=相手を愛する、だから。根底ではひとつなの❤️自分も他人も。
過去の憎しみ、失敗、感情のわだかまりの原因はそんなところにある。
過去の失敗の原因も、戦いすぎが原因かもしれない。
こんな状態で戦っている人は自分の自由の領域、相手の自由の領域を守れない、侵害しあい、くっつきすぎている状態だ。支配関係。依存関係。
それだと当然、トラブル多発。能力も発揮できない。だから、失敗する。
結局崩壊する。
だからディープステートや中国共産党が崩壊するよ、と私が言うのは、国際情勢からいっているのもあるけれど、こういったきついピラミッド支配の状態なんて、いずれ崩壊すると結果は決まっているからなのだ。マイナスが極まれば崩壊する。
陰極まれば陽となる。
崩壊と再生を延々と繰り返す。
やりすぎたね、あいつら。極端な人たちだからw
あれ?こういう思想、あんたの国から生まれたのではなかったか?
一番極端なおまえ!やっぱり、中国共産党≠中国 だなw
こういうわけだ。
今、気づいて、今、自分の自由を守る。そしたら、自動的に相手の自由の領域も尊重できてる。
もう他者やトラブル解決にエネルギーを使う必要がなく、自分のプラスの方面にエネルギーを集中的に使えるようになる。
勝手に自分能力も伸びて、その状態が長期間続けば成功する。
焦ってはいけない。時間をかけるつもりで。なにしろ長年マイナスパターンを続けてきたからな。すこーしずつ+を増やしていくことだ。
これができるようになると、いつの間にか、過去の憎しみなどのマイナス感情も消えている。
そしてもう未来も大丈夫だ!原因わかったから!
だから、現在も幸せ!トラブルもなくなっちゃう♪
過去、現在、未来。一挙に解決。本当は時間も幻なのかもしれない。
だって今、自分を守る、愛することができるようになると、過去も未来も大丈夫、っていうふうに変わっちゃうから。
ステキな人は、じつは無意識に、これができている。だから、スムーズに事がすすみ、人間関係も愛にあふれ、幸せそうだ。
おばさんの想像だけど、Dr.Yさんはステキだから、そんなこと、きっと当たり前にご存知な、愛にあふれた先生なのだろうと思っている。
自分自身が支配の黒いエネルギーにまみれて苦しく生きてる人は、先生みたいにみんなのために無償の愛に生きるなどという芸当は不可能だ。
それはおばさんのブログに登場するディープステート連中を見れば、一目瞭然!w
実はおばさん、こんなふうにあいつらのしもべとステキな方を見極めている。
まったく地球とは、極端が同時に存在している星だ。
あんな汚いヤツラもいる。それなのにこんなステキな人もいる。
動画説明欄より転載。赤、リンク、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。***************************
世の中には、気持ちの切り替えが上手くできずに、過去の失敗をいつまでもクヨクヨ悩んでいる人がいます。また、他人から受けた屈辱をいつまでも根に持っていたり、またチャンスを逃してしまったことを悔やみ続けていたりと、過去の出来事が頭の中でグルグル渦巻いて離れない人がいます。
また、果たして試験に合格できるだろうか?仕事が上手くいくだろうか?旅行に行った先で事故に合わないだろうか?と自分の将来の出来事を心配をする人がいます。親が子離れができないでいるために、自立している子供の余計な心配をし続けたりする場合もあります。このように、将来の不安を、どうなるのだろうと心配し続けたり、心配しても仕方なの無い将来のことが、頭の中に浮かんでは消え、また浮かんでは消え、自分ではとうしたら良いのか分からずに、苦しんでいる人がいます。
人間は体調やその日の気分で、落ち込んでみたり、元気になったりするものです。せっかく気分良く生活していても、他人の愚痴を聴いてあげたり、不機嫌な人が側にいたりすると、自分も引きずられて、不機嫌になってしまうことが多いのです。一度気分が落ち込むと、中々這い上がることが出来ずに、一日中うずうずしているいる人もいます。
心配したり、落ち込んで居ても、誰も得をしませんし、自分が辛いだけです。そんな時には、できるだけ早く気持ちを切り替えるようにしないと、時間とエネルギーを無駄遣いしてしまうことになります。
本日は、気持ちの切り替えを早くする方法についてお話しします。 世の中で最も大切なものは何か?という問いに対して、人の生命であるという答えに異論を唱える人はいないと思います。それにもかかわらず、大切な人生の時間を無駄に過ごしていたとしても、その事を全く気に留めない人が大勢います。
今自分が心の中で考えていることや実際に行動している内容に関して、本当にそのことに意味があることなのか?それとも無意味ではあるけれど、そうしないと気が済まないからそうしているのか?ということを、その都度確認しながら生きる習慣を、身につけなければなりません。 自分の考えている内容が、有意義なのか?それとも無駄なことなのか?ということを判断するためには、自分の頭の中を分かりやすく整理することが必要です。
〈おばつぶやき〉
じつはね、人間はしばしば思考にとらわれる。左脳タイプ、右脳タイプの人はとくに要注意だ。おばさんも右脳タイプだから、思考にとらわれやすいタイプだ。 ぐるぐる考えすぎていて、その思考から感情が生まれる。無駄な思考から生まれるマイナス感情は意味がないからな。
あ、思考にとらわれている、と気づくことが大切だ。
とくに、上記で述べたような自分の領域を守れていないとき、不快だから、あれこれ他者に対して思考が止まらなくなる。そこからジャンプして、自分の欲求、感情を優先する。そうすると、ぐるぐる思考からも抜けられる。感情を感じながらノーを言う。離れる。→自分を守れる。相手も守れる。
このことからも、思考全開の状態はあまりおりこうさんではないといえる。
感情と欲求が主役。その目的を達成するだめに思考を使う。このくらいでちょうどいい。
それでは、頭の中の整理整頓カンバスを起動させて見ましょう。自分の頭の中をグルグル回っている心配事や不満や落ち込みの原因となるテーマを、青色で示した過去の事柄、赤色で示した未来の事柄、黄色で示した今の事柄の6項目に分類してみましょう。貴方のテーマは恐らくこの中のどれかに入ると思います。
まず、過去の自分の失敗についてです。 あの時に、私が失敗したせいで、皆んなに迷惑をかけてしまった。どうして私はヘマばっかりするのだろう!もう嫌になっちゃう! 失敗したことをいくら悔やんでも、事態は何も変わりません。かえってストレスで自分の身体を傷めるだけです。
あの時に失敗して皆んなに迷惑をかけたけれど、失敗したことにより、そこから大切な教訓を学び、私自身が成長できました。同じようなことがあったとしたら、次は必ず上手くやりますので、皆さんご安心ください。そう考えて胸を張って生きれば良いのです。
〈おばつぶやき〉
せめなくてよいのだ。相手に迷惑をかけているとき、おそらく
こうなっていることが多いかと思う。
自分も相手に入っているが相手もまた自分に入っている。つまりお互いさまだ。互いに侵害しあっていたりする。
自分ひとりが100%悪いことはまれだ。実はすべては相手との関係性で起きている。そう見えなかったとしても。不調和な関係性が先にあったりする。
だから自分を責めなくてよい。(相手もね)
それよりこの状態からどうやって抜けようかなと考えた方がいい。
過去の失敗は、そこから教訓を学び、また失敗を繰り返さないための知恵を身につけたら、後は全て水に流してしまわなければなりません。失敗という貴重な体験をしたおかげで、自分は成長することができた。そう考えることで、クヨクヨする後悔は消え去ります。
次に、過去の他人からの屈辱についてです。 あの人のせいで私はとても辛い思いをさせられた。だからあの人のことを許すことはできない。いつかその人に対して、どれだけ私が傷ついたのかを、思いしらせてやらないと気が済まない。 このように、他人のことを怨み、許せない気持ちを持ち続けても、相手は痛くも痒くも無く、相手は遠い過去のこととして既に忘れ去っています。ストレスを抱えることで、自分で自分の首を絞めているようなものです。
〈おばつぶやき〉
これはまさにおばさんの母への感情だ。おばさんはこの状態から抜けるのに5年以上かかった。自分の自由の領域を大切に守るということを始めてから5年だ。ようやく楽になった。でもこんなふうにプラスに方向転換ができれば、死ぬほど苦しい状態からも抜けられるのだ。
あの人のせいで随分と嫌な思いをさせられたけれど、そんなどうしようもない人に振り回されていた自分が、恥ずかしくて仕方ありません。今後同じような人に出会った時には、気にする時間が無駄なので、困った人だなぁ!そう思って笑い飛ばします!そんな風に笑顔で答えられるようになれれば最高です。
貴方が他人から屈辱を受けても、屈辱を与えた相手は、貴方に対して犯した不義理を既に忘れてしまっています。どんなに相手を恨んでも、相手は何とも思っていないし、辛いのは自分だけであり、自分が損をしているだけだということに気付がなければなりません。
次に、将来の自分の心配です。
上手くいくかなぁ?上手くいかなかったらどうしよう!困ったなぁ!心配で心配でどうしようもない!いったいどうしたら良いのだろう!心配性の人は、頭の中で心配事がぐるぐる回り続けます。心配しても、問題は解決されず、先には進めません。心配しても自分が辛い思いをするだけで、誰も得をしません。
さあ、どうしたら上手くいくだろうか?こうしたらどうかな?いや、こっちの方が良いかも知れない。でも、こんな問題も起こりそうだから、こっちの方が良さそうだ!取り敢えずそうして見よう!今できる最高の選択をして、後は気にしない。それが、最もスマートな生き方なのです。 賢明な人は、じっくりと考えることはしますが、あれこれ心配したり悩んだりするようなことはしません。起こりうる事態を想定し、それに対する可能な限りの対策を練り、それ以上は考えないという生き方をします。そして状況が変化した際には、このままで良いのか?それとも、計画を修正して変更するのか?対策を考え、それ以上は気にせずに平穏に生活します。
〈おばつぶやき〉
だからわたしは、平気でブログに絶望的なことを書いたりする。しかし、現状を分析すると、自分の頭ではこのようなことが想定されるからな、しかたない。
暗い内容でごめんねと思いつつ書く。
でもそのとおり最悪の状態になることは、まれだ。私の経験上、ない。予想通り最悪が起こったということは。
それで私は、自分の気の持ち方と対策と、これまで生き延びてきた経験を書く。
それは自分自身の頭と心の整理のためだ。
もし、見てくださった方の参考に少しでもなる部分があればうれしい。
けれど押し付けることはしたくない。
みなさんにとっては、みなさんの思うことが一番正しい。
少なくとも自分自身にとってはそうなんだ。
それが、愛だ。
次に、将来の他人の心配です。 二十歳を過ぎた子供が、一日中何もせずに家の中に引きこもっています。将来どうなるのだろう?周りの人達に迷惑をかけずに、自立して生きていけるだろうか?将来を考えると、心配で心配で仕方ありません。 親がどんなに心配しても、お子さんは何も変わりません。親が心配する程度に比例して子供が成長するのであれば、心配のし甲斐もありますが、心配することは時間とエネルギーの無駄でしかありません。 子供に対して、今できる最高のことは何なのだろう?常にそれを考えます。自立させるためのチャンスはどこかに無いだろうか?アドバイスをしたいけれど、今忠告しても拒絶されるでしょうから、どのタイミングでアドバイスをするのが良いのか?を冷静に考えることが大切です。じっと見守りながら、チャンスが来るのを待ち、子供の成長を祈りましょう。今は、それしかできませんし、それが今できる最高のことなのです。
〈おばつぶやき〉
同感です。引きこもりに関してのおばさんの考えも上記で述べた通り。
次に、現在のイライラです。 思い通りにいかないとイライラする人が大勢います。イライラしても、楽しくないし、良い考えも浮かんできません。イライラするのは、現実に対して不満の気持ちがあるからです。不満の気持ちを捨てて、現実を受け入れてしまえば、不満は無くなり、イライラも消え去ってしまいます。 「ならほど!現実は厳しいねぇ!上手くいかないものだなぁ!さあ、どうしたら良いのかな?」そのように考えて、現実を受け入れ、笑顔を取り戻して、冷静に対策を考えてみましょう。
〈おばつぶやき〉
思い通りにならなくて、現在の状況が、悪い、問題だ、と考えイライラしたりする。
けど本当にそうだろうか?おばさん、今まで、最悪だ、死ぬとまで思える状況に遭遇したことがある。けど、今思うとそれも必然というか必要だから起きて、今のこの状態に導くために起きたんだね、ということが判明している。
だから、いい、悪いという判断も、本当は意味ない。というか人間が勝手に決めているだけで、本当はそんなのないんじゃないかなって思うの。全部最善しか起きてないんじゃないの?
崩壊したら必ず再生するし。
勝手にダメだと思いこんでヤケを起こすのが一番もったいないからね。
だからイライラ、くよくよしなさんな、って思うの。
とりあえずどっしり構えて良いと思われる対策をしとけばいいの。
若いときはそうは思えなかった。年をとるのも悪くないね?先生?♡
次に、現在の落ち込みです。 思い通りにいかないと悲しくなり、落ち込んでしまう人もいます。でも、落ち込んでも、楽しくないし、良い考えも浮かんできません。 現実を受け入れて、理不尽な現実を笑い飛ばすことで、目の前に明るい世界が広がります。「ならほど!現実は厳しいものだ!上手くいかないものだ!さあ、どうしたら良いのか、私の腕の見せどころた!」現実を受け入れて、笑顔を取り戻して、楽しみながら冷静に対策を考えてみましょう。 不機嫌な人がいるために、その場の雰囲気が落ち込んでいる時にこそ、ユーモアを口にして、それを吹き飛ばすくらいのポジティブな人間にならなければなりません。周りの影響を受けて落ち込んでしまう人間から、周りに影響を与えてその場を明るくするパワフルな人間でありたいものです。
〈おばつぶやき〉
おばさんなんかは、KYでいたいと思っている。
とはいっても自分のハートを感じて、それを言うだけ、表現するだけだ。
がんばってみんなのために明るくするためにユーモアを言おうなどとは思っていない。
マイナスエネルギーを他人様に撒き散らしすぎると、
こう↓なるからさ。
するとだんだん元気になってくる。
それで世の中が暗くても自分があいつらをおちょくりたい気分のときは、いじりたおしてやろうと思っている。
全部自然が一番いいのさ。
要するに、過去のことからは教訓を学び、あとは気にしない。未来のことと今のことに関しては、今できる最高の対策を練って、あとは気にしない。「しっかり考えてあとは気にしない」これを実践することが大切なのです。
これ以上考えても時間の無駄であると判断したら、「無駄だからもう考えるのをやめます!」そのように宇宙に向かって宣言することです。
あとは、気分転換をする為に、セルフケアを実施してみましょう。 気分転換すると申しましても、煙草、飲酒、暴飲暴食はお勧めできません。健全で身体に優しい方法を7つ上げます。
①散歩、ショッピング ②スポーツ、ジョギング、ハイキング ③シャワー、サウナ ④ベッドマッサージ、全身マッサージ ⑤カラオケ、楽器演奏 ⑥紅茶とチョコ、コーヒーとアイス ⑦炭酸飲料水
健全で心と身体に優しいセルフケアの1番は、季節の移り変わりを楽しみながら、ゆったりとした気分での散歩、そして雑貨屋さんやブティックなどのショッピングです。ワクワク感がモヤモヤを吹き飛ばしてくれます。
2番は、全身に汗をかく程度のスポーツをすることです。身体を動かすと、交感神経系が緊張し、脳血流も増加し、新陳代謝が盛んになり、モヤモヤが吹き飛びます。その後シャワーを浴びてリラックスできれば最高です。
3番目は、シャワーやサウナで、顔や頭を熱いお湯や熱気で刺激することで、脳神経が刺激されるので意識が覚醒し、スッキリします。
4番目は、全身マッサージ、特にベッドマッサージです。全身リラックスすることでリラックスでき、ベッドマッサージで脳神経を刺激することで覚醒して頭はスッキリします。
5番目は、カラオケや楽器演奏など、腹式呼吸をしながら、何かに熱中することで、気分転換ができます。お稽古事に熱中するのが理想的だと思います。バイクや車で一走りするのも気分転換になるかも知れませんが、交通安全上お勧めしません。
6番目は、音楽を聴きながら、ソファにもたれて、リラックスしましょう。紅茶やコーヒー、チョコやアイスをチョッピリたべて、美味しいなぁ!幸せだなぁ!と思える至福の時間を持つことも大切です。頑張っている自分に対するご褒美も、お忘れなく。
7番目は、ドリンク剤などの炭酸飲料水を飲むことで、気分が変わります。咽頭粘膜への炭酸の刺激は、頭や顔への熱いシャワーやヘッドマッサージと同じように、脳神経を直接刺激するので、効果的に爽快感を得られます。時間に余裕があれば、シャワーが効果的ですが、短時間にスカッとしたい時には、炭酸飲料水をお勧めします。Dr.Yもカロリーフリーの炭酸水を時々飲みます。
〈おばつぶやき〉
そうなんだよね。思考にとらわれている状態から抜けるには、自分を大切に、五感を感じることにシフトするのが一番さ!
人間だから。体の感覚を気持ちよくしてあげることは、とっても大切さ!
電灯をつけっぱなしにすると勿体ないと感じるのに、人生の大切な時間を余計な考えを思い巡らせて無駄にしても勿体ないと思えないのは、自分の心の状態を自分でチェックしていないからです。 外出する前に鏡を見て、着衣に乱れが無いかどうか?をチェックするように、時々自分の心の状態をチェックして、無駄な考えに囚われていないかどうか?をチェックすることができるようになると、無駄なことを考えなくなり、頭の切り替えが早くなります。 まさに、時は金也、時間はお金と同じように非常に貴重なものなので無駄に浪費してしまうことなく、できる限り有意義に使いましょう。 本日は、気持ちの切り替えを早くする方法についてお話ししました。 また、皆さまのお役に立てるようなお話しをしたいと思います。 Dr.Yでした。
#頭の切り替え #気分転換 #上機嫌 #賢く生きる
先生、いつもありがとうございます♡
思考にとらわれないで、自分の領域、自由、感情、欲求を大切に♡
今日は土曜日。ゆっくりしたいとおもいまーす♪
わたしは動画でDr.Yさんのお元気なご様子を拝見するたびにうれしくなります♡