「牧神の午後」


画像はニジンスキー。
これは、もしかすると日々深化しているのかも・・・。
昨日もすでに完璧!と息を呑んだ舞台でしたが、この日は井脇さんのニンフとのシーンで、2人の間に何かが起きた、と思える瞬間がありました。
ジュドの牧神の強い視線に昨日は凛と受け流す感じでその様式美に酔わされたのですが、この日は視線にたじろぎ、一瞬心揺るぎながらも、でも凛と受け止めている、というように、より濃密な交流が感じ取られ・・・。
真っ直ぐに通り過ぎる視線にこめられた感情が、この短い10分足らずの演目に満ちていて、満喫させていただきました。
また、3人ずつ現れるニンフたちに、井脇さんニンフの落としたスカーフを弄んで楽しんでいるときに見咎められるシーンの呼吸も、14日の方が、良かったように思います。
このシーンも含め、かなりユーモラスな部分もあるのですが、圧倒的な濃い男性的な魅力と高雅な力強さで、全体に流れる古典的な品格を一瞬たりとも落とさないジュドの舞台支配力に感嘆しました。
日曜日に庭園美術館で、1990年ディアギレフ・プロでのパリオペ映像を観ましたが、同じシャルル・ジュドのシルエットが若々しく力強くなんら変化がないのに改めて驚くとともに、映像と生の舞台の違いはあるかもしれませんが、存在感・威厳などのオーラは今の方が増しているかも・・・と。
冒頭の牧神が目覚めて果物を口に運ぶシーンは、17年前の方が伸びやかでけだるい夏の午後のひと時・・という感じが出ていたかもしれません。今はこのシーンからあまりのオーラに観客が硬直してしまっていて緊張感がすでに漲ってしまっているせいでしょうか?
恐ろしく高い位置でキープされたドゥミポアントで一挙手一投足たりともおろそかにせず、顔を反対側に向けるだけでも3段階のギアがきれいに入るような牧神ならではのアルカイックな動作の極みがすばらしい。
この作品が彼の代表作の一つといわれる由縁が良くわかりました。
終演後お会いした井脇さんがジュドさまの眼力について、”吸い込まれそうな黄金色に輝くグリーンの瞳”、とおっしゃっていましたが、さもあらんと。


舞台を降りてもお美しい井脇さんと。
「ペトルーシュカ」
配役が、ペトルーシュカが中島周さん、バレリーナが小出領子さんに変わりました。
うーん。主役が変わるだけでこんなに作品のニュアンスが変わるのか、と驚かされました。
中島さんのペトは所謂、アグリーなメイク・・・白塗りの上に、グレーで影が落とされて、素顔の可愛らしい美男ぶりが全くわからない、淋しく貧しげな佇まい。
感情の出し方は、人間的、と思わせたイレ-ルより更に感情表現がダイレクトで、とりわけ、哀しみ、よりも怒りややるせなさ、悔しさといった感情が迸る、人間臭い哀れを誘うペトでした。これはこれで、”中島ペトルーシュカ”として極めていくと面白い役作りだと思います。
ただ、テクニック的にはすばらしい彼の踊りに、所謂人形振りのぎこちなさは希薄で、イレールがどこまでも激しく踊ってもそれは自立したものではなくどこか踊らされている観を崩さなかったのに対して、人間が動いているかのよう(そうなのですけれどもね・笑)。
・・となると、ゆったりとした道化の衣装は寧ろ動きを煩雑に見せるばかりで、悲しみの中に明瞭さが浮かび上がって輪郭がくっきりとしていたイレールの踊りと比べると(って分が悪くて中島さんには気の毒ですが)整理しきれていないもどかしさが残りました。
まだ初役ですし、これからが楽しみ、とも言えますが、わたくしの中には、もう一度、イレールでペトルーシュカを観たい・・という渇望が芽生えたのもまた事実です。


画像はニジンスキー。
これは、もしかすると日々深化しているのかも・・・。
昨日もすでに完璧!と息を呑んだ舞台でしたが、この日は井脇さんのニンフとのシーンで、2人の間に何かが起きた、と思える瞬間がありました。
ジュドの牧神の強い視線に昨日は凛と受け流す感じでその様式美に酔わされたのですが、この日は視線にたじろぎ、一瞬心揺るぎながらも、でも凛と受け止めている、というように、より濃密な交流が感じ取られ・・・。
真っ直ぐに通り過ぎる視線にこめられた感情が、この短い10分足らずの演目に満ちていて、満喫させていただきました。
また、3人ずつ現れるニンフたちに、井脇さんニンフの落としたスカーフを弄んで楽しんでいるときに見咎められるシーンの呼吸も、14日の方が、良かったように思います。
このシーンも含め、かなりユーモラスな部分もあるのですが、圧倒的な濃い男性的な魅力と高雅な力強さで、全体に流れる古典的な品格を一瞬たりとも落とさないジュドの舞台支配力に感嘆しました。
日曜日に庭園美術館で、1990年ディアギレフ・プロでのパリオペ映像を観ましたが、同じシャルル・ジュドのシルエットが若々しく力強くなんら変化がないのに改めて驚くとともに、映像と生の舞台の違いはあるかもしれませんが、存在感・威厳などのオーラは今の方が増しているかも・・・と。
冒頭の牧神が目覚めて果物を口に運ぶシーンは、17年前の方が伸びやかでけだるい夏の午後のひと時・・という感じが出ていたかもしれません。今はこのシーンからあまりのオーラに観客が硬直してしまっていて緊張感がすでに漲ってしまっているせいでしょうか?
恐ろしく高い位置でキープされたドゥミポアントで一挙手一投足たりともおろそかにせず、顔を反対側に向けるだけでも3段階のギアがきれいに入るような牧神ならではのアルカイックな動作の極みがすばらしい。
この作品が彼の代表作の一つといわれる由縁が良くわかりました。
終演後お会いした井脇さんがジュドさまの眼力について、”吸い込まれそうな黄金色に輝くグリーンの瞳”、とおっしゃっていましたが、さもあらんと。


舞台を降りてもお美しい井脇さんと。
「ペトルーシュカ」
配役が、ペトルーシュカが中島周さん、バレリーナが小出領子さんに変わりました。
うーん。主役が変わるだけでこんなに作品のニュアンスが変わるのか、と驚かされました。
中島さんのペトは所謂、アグリーなメイク・・・白塗りの上に、グレーで影が落とされて、素顔の可愛らしい美男ぶりが全くわからない、淋しく貧しげな佇まい。
感情の出し方は、人間的、と思わせたイレ-ルより更に感情表現がダイレクトで、とりわけ、哀しみ、よりも怒りややるせなさ、悔しさといった感情が迸る、人間臭い哀れを誘うペトでした。これはこれで、”中島ペトルーシュカ”として極めていくと面白い役作りだと思います。
ただ、テクニック的にはすばらしい彼の踊りに、所謂人形振りのぎこちなさは希薄で、イレールがどこまでも激しく踊ってもそれは自立したものではなくどこか踊らされている観を崩さなかったのに対して、人間が動いているかのよう(そうなのですけれどもね・笑)。
・・となると、ゆったりとした道化の衣装は寧ろ動きを煩雑に見せるばかりで、悲しみの中に明瞭さが浮かび上がって輪郭がくっきりとしていたイレールの踊りと比べると(って分が悪くて中島さんには気の毒ですが)整理しきれていないもどかしさが残りました。
まだ初役ですし、これからが楽しみ、とも言えますが、わたくしの中には、もう一度、イレールでペトルーシュカを観たい・・という渇望が芽生えたのもまた事実です。
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