平成徒然草(萩原 希仁)

毎日の喜怒哀楽をストレートに表現してゆく。

初夏の陽気に誘われて。

2011-05-19 18:10:38 | 日記
仙台三越があった当時は、よく買い物に行っていた。

僕は、高校生時代だ。

何の売り場かは思い出せないが、とても素敵な人がいて、

僕は一目で好きになって、でも、言い出せないで、

その人の帰りの時間まで待って、同じバスで、その人が降りるまで、

ドキドキしながら、付いて行ったことがある。

ただただ、告白したかったから。

バスの終点近くで降りて、ちゃんと告白はできた。

舞い上がって、細かいことは覚えていないが、結局は振られた。

でも、優しかった。

ちゃんと話してくれて、帰りのバスを見送ってくれた記憶がある。

その後、付き合うことはできなかったが、僕が、ギター同好会で、

コンサートをすると、見に来てくれた思い出がある。

そうして、武者小路実篤の、詩集を貰った。

今でも、顔は覚えているのだが、名前は思い出せない。

これって、今なら、ストーカーなのだろうか。

ストイックな生き方。

2011-05-18 17:33:17 | 日記
自分に厳しく、ストイックに生きている人が、僕は大好きです。

感動屋の僕は、すぐに涙を流します。

僕自身もそうでした。

いつも、全力疾走、全力投球が信条で、緩みを嫌ってさえいた。

でもね、一昨年、心筋梗塞で倒れて、死線を彷徨った時、

一年位病院のベットに寝ていて、考えました。

僕は、夢の実現と言うよりも、妻が亡くなった後は、

無理に無理を重ねて、やんわり自殺したかったのかも知れません。

それなのに、救急車で病院に着いて、これから手術って時に、

やっぱり死ぬ事が怖かった。

夜中だったので、誰にも連絡はいらないと、強がっていましたが、

本当は母に来て欲しかった位です。

麻酔で眠る時、これで最後かと思ったら、

手術室の天井が、妙に明るくて、ひび割れていた。

運良く助かって、ベットに横たわって暮らしている時、

車椅子で、病院の周りを散歩している時、色々考えました。

大病院には、いつも人が溢れていて、生まれる命も、

死んで行く命も、毎日、まるで、当たり前の様にいっぱいある。

生も死も、すごく近い。

赤ちゃんから、死ぬ間際の老人まで、どちらも、おしめをしていて。

人間って、儚(はかな)いなって。

それで、少し変わりました。

精一杯生きたいのは一緒ですが、空の色や、

木々の緑を愛し、流れる川面に、目を向けようって。

そんな無駄っぽい時間さえ、大切な人生だって。

何でこんな事を考えたかと言うと、僕の周りには、

ストイックな生き方をしている人が多いからです。

もっと近くに居たら、緩みと、遊びと、間の、喜びを伝えたい。


なんてな。

失礼しました。

独白です。

らしさ。

2011-05-17 09:50:27 | 日記
自分らしく生きたり、年齢相応に生きることは、大切だろうが、

言うは易しで、実際に試みると、難しい。

自分らしくとは、一体どういう事なのか。

まず、自分で自分が解らないのだから、困ってしまう。

だから、僕はこう考える。

自分とは、流動的で、決まった型が在る訳では無いから、

その都度、自分が感じ、思った通りに行動する。

言い換えれば、自分に素直に、他人や、多数意見に惑わされないで、

自分の意思を、貫くと言う事だろうか。

時には、一人だけが、自分だけが、集団内で孤立するかもしれないが、

自分らしく生きる為には、致し方無い。

だから、僕は時々、頑固者呼ばわりされてしまう。

年齢相応に生きる、と言う事も、言うは易いが、難しい事である。

まず、年齢とは、実年齢か、自分の感じている年齢か。

これが、結構、開きのある問題なのだ。


実年齢が50歳でも、気持ちは30歳代の、活き活きとした壮年も居るだろうし、

逆に、気持ちだけが病んでしまった、18歳も居るだろう。

社会生活をする以上、周りからの見た目もあるだろう。

時々見かけるが、自分は若い気持ちなのだろうが、

還暦を過ぎたであろう女性が、厚化粧で、

ティーンエイジャーのファッションでは、周りがイタ過ぎる。

そう、モノには限度と言うものが有るのだろう。

困った事に、僕はいつまで経っても、高校生時代の気持ちが抜けないので、

周りから見て、可笑しく成らない様に、気を使っている。

ちょっと、大変だが、こうやって、自分の気持ちに素直に、

自分の感じるこころの年齢に沿って生きていると、毎日が清々しい。

多分、頑固者と思われるが、嫌われる事は無いだろう。

最悪、嫌われても、自分らしく生きていれば、納得もゆく。


安心して歩いて行けるのだ。

これは、一回限りの人生の、お薦めである。

アフリカが呼んでいる。

2011-05-16 15:55:28 | 日記
アフリカは、我々人類の発祥の地である。

アフリカの宗教では、親しい者が死んでしまうと、こう言う。

いつかまた逢える。

でも、まだだ。

天国でまた逢えるが、もう少し僕は生きるよ、と言う意味だろう。

何と素朴で、解りやすい宗教であろうか。

いつかアフリカの大地を歩きに行きたい。

死ななくても、それだけで、誰かに逢えそうである。

そりゃあ、怒りますよ。僕だって。

2011-05-16 15:49:13 | 日記
原子力発電所で、事故が発生した事は、大変な事ではあるが、

今回の大震災は、1000年に一度の規模であり、

事前の対応が追い着かない事は想像に難くない。

平たく言えば、しょうがなかったかも知れない。

しかし、2ヶ月も経過して、今行われている会見には、激怒する。

メルトダウンとは、重大事件であるはずだ。

それなのに、昨日は、震災後16時間後に発生したと言っていたし、

今日になったら、いや、震災の4時間後でした、と言う。

テレビで、公に発表する緊張感が無い。

ただ、部下から上がって来る報告をしゃべっているだけだ。

申し訳無いが、東京電力の様に、巨大な企業の課長さんは、

悪く言えば、事なかれ主義の地方公務員の様だ。

自分達や、極論すれば、自分の保身が第一であって、

国民の立場での報告会見は出来ない。

いつまで、こんな茶番を観なければいけないのだろうか。

僕は、だから、激怒が収まらない。

どうせ、もう、東京電力には、自力で、責任は取れない。

この事件、事故は、国家の問題だ。

政府、内閣が、中長期的な展望と、責任を持って、

会見する以外にどんな方法があるだろうか。

いつまでも、東京電力の責任みたいな顔で、見ていられては困る。

責任は、政府、内閣にある。

あるいは、この国の、戦後65年間の政治に在る。

民主党だけでは無い。

野党だって、同じ責任を帯びているのだ。

今、復興問題で、大同団結しないで、どんな責任が果たせるのか。

国民を助けるのだから、自民党も、共産党だって、

一緒に闘っても良いではないか。


政治家諸氏には、猛烈な反省を求める。

先ずは、専任大臣を任命し、責任有る、会見をして欲しい。

そうして、短期、中長期の対策を、明確にして欲しい。

原発問題の憂鬱。

2011-05-15 21:34:14 | 日記
何も、自慢しようとするのではなくて、僕の知識状態を表現する為に、説明しておくと、

僕は、理科系ではないが、早稲田大学を卒業後、アメリカのハーバード大学にも、

短期ではあるが留学して、人間を学んできた。

だから、哲学や、人間行動学や、マーケティング、エンターテイメントが、

専門分野であるが、自分の趣味もあって、天文学や、地学に関しても、

色々と学んできたつもりであり、原子力発電に関しても、一般常識以上には、

知っていると、自分でタカをくくっていた。

ところが、最近のテレビ報道を観ていると、寒気がする。

トリ肌になる。

一体何処で、僕は騙されてきたのかと。

一体どの文献がウソだったのかと。

3月11日の、大震災直後に、福島原発では、地震の16時間後には、

メルトダウンが、発生していたそうである。

ニュースキャスターも、アナウンサーも、平気な顔で話している。

僕は、背中に冷水を浴びたように、震えが走る。

僕の知識では、メルトダウンが発生すると、地球が割れるくらいの大事件であるはずなのだ。

そんな、2ヶ月も経ってから、実は起こっていましたよ、と言う様な、

軽い話では済まない筈なのだ。

でも、ニュースでは、大丈夫だと言う。

もう、専門家では無い僕には、何も判断できない。

ただ、恐怖が走るだけだ。

何かに騙されて居たのかも知れないと。

本当に、メルトダウンって、そんなに大変な事では無いのだろうか。

正しい基礎知識と、情報が必要だ。

作業員の死亡事故もそうだ。

被曝が原因ではなくて、心筋梗塞で、救急車が遅かったと言うのは、本当なのか。

チェルノブイリの事故の際には、25年前ではあるが、

被曝が原因で、3000人以上が亡くなっているのだ。

政府にもお願いしたい。


一企業の課長さんの様な人の記者会見は、もう観たくない。

一国を代表する首相が、責任を持って記者会見して欲しい。

必要以上に、恐怖心を持ちたくは無いが、

知らない内に、大変な事に巻き込まれるのはもっと嫌だ。

地球規模の大事件には、政府が責任を持って出てきてくれないと、何も始まらない。

小手先の誤魔化しと、ウソにはうんざりしている。


やってます。(-^〇^-)

2011-05-15 09:32:49 | 日記
災害報道番組で、感心したことはなるべくやっています。

東北物産展で、羊羹を30本買った奥さんを、テレビで観たので、

今年の母の日は、お花と、羊羹にしました。

勿論、仙台産で、30本。

母は、昔から、羊羹が好きなのですが、理由を話すまでは、

目を丸くしていました。

今思うと、羊羹は、僕が食べられ無いので、笹かまぼこにすればよかった。

今日はこれから、ミネラルウォーターを、30本買ってきます。

やっと、近くのダイエーで、1本、88円で、山積み状態になったから。

実は、僕はミネラルウォーターが大好きなんです。

料理や、炊飯に使うと、絶対に美味しくなります。

今までは、品不足なので、我慢していました。

被災地の方達は、まだまだご苦労をされていますが、

僕の日常は大分、復活してきました。

朝青龍。

2011-05-14 19:33:26 | 日記
朝青龍の被災地訪問を観て、どんな感想を持つだろうか。

彼は来年、母国、モンゴルで、国政選挙に打って出るそうである。

その為の偽善と見る人もいるだろう。

でも、僕はそうは思わない。

来年の選挙の事前運動ならば、モンゴルの中でも出来るはずだ。

彼の中には、若くして日本に渡り、大相撲の横綱になるまでに、

関わった日本人への愛情があったのだろう。

大相撲の世界からは、国技の真髄が理解されていないからと言って、

寄ってたかって追い出された。

そんな事が恥ずかしくなった。

国技の横綱として、使命感を持っていたのは、朝青龍の方ではなかったか。

彼を批判していた大相撲の協会の人間達は、

国技に携わる者として、一体何をしているのか。

僕は、日本人として、その方が恥ずかしい。

朝青龍が焼きそばを作って、被災者に配っていたら、

みんな、涙ぐんで喜んでいた。

相撲協会の親方達に、この様子を観て考えて欲しい。

テレビ放送もしないで、入場料も無料にして、

隠れる様に、蔵前国技館で、技能検査をしている場合ではないだろう。

朝青龍、あなたは、立派な横綱でしたね。

僕は、そう言いたい。

野菜が美味しい。

2011-05-13 20:44:01 | 日記
春の終わりから夏にかけては、特に野菜が美味しい。

僕は、野菜スープにはまっている。

ベースはコンソメと岩塩。

シンプルな、うす味を、野菜の味で楽しむ。

キャベツは、外側の汚れたかわをむいて、芯はそのまま使用。

大きく4分割して鍋に入れる。

あとはスープの味付けにもなる、完熟トマト。

これは薄皮をむいた、缶詰でOK。

玉ねぎも丸ごと。

僕は、贅沢に一番外側の皮をむいてしまって、二分の一にして、

全体が柔らかくなるようにする。

あとは、人参や、ピーマンや、じゃがいも。

じゃがいもは、主食になるから、溶けて無くなってしまわ無い様に、

小さく切らないで大きいままで入れる。

肉類は、豚の三枚肉でも良いが、僕は、カリカリに炙ったベーコンが好き。


香りと塩気が美味しい。

チョリソーを使っても美味しい。

フランクフルトならば、輪切りにする。

そうして自分のお碗に盛ったときに、好みで、とろけるチーズをのせる。

僕は、最後の仕上げで、タバスコを垂らす。

野菜が美味しくて、馬鹿ウマである。

冷たい白ワインが一番の相棒になる。


人間讃歌。

2011-05-13 15:21:23 | 日記
僕らは、ホモサピエンスである。

今の科学では、地球上に出現した、22番目の人類であると解っている。

あとの、21種類の人類は既に、滅亡しているのである。

45億年と言う歴史は、それだけ長い。

今、地球上には、70億人以上の人類が生存していると言われている。

歴史上、一番膨らんだ状態だ。

現代は、インターネットの力で、70億人の内、4割の人々は、繋がっている。

しかし、そんな事は、つい、ここ数十年の事であろう。

それ以前は、殆ど交流が無い方が普通だった。

ところが、人類学上、見逃せない事がある。

それは大きく分けて、3点。

1-どんな集団にも、神の存在が語り継がれている。

2-どんな集団も、感情の表現に、言葉だけではなく、唄を唄う。


3-世界中で、同時期に、同じ様な事が起こる。
  新しい病気や、いじめなんかである。

これは、不思議な事である。

日本の中学校や高校で、いじめが多いと聞くと、アメリカのブロンクスでも、

アフリカのタンザニアでも、同じ事が起こっている。

僕らは同じ、ホモサピエンスなのだ。

ちなみに、ホモサピエンスとは、考えるサルである。

あんまり大した生き物ではない。

気取らないで生きてゆこう。

僕は、何の宗教にも信仰していないが、自分に合った神を見つけよう。

そうして、悩み多い人生は、唄を唄って切り抜けよう。

そんな風に考えると、ふっと、肩の荷が下りないだろうか。

僕流の生き方である。


ホモサピエンスらしいと思うのだが。


最近の刑事ドラマ。

2011-05-13 15:19:08 | 日記
相棒シーズン9が、終了し、はぐれ刑事純情編も、終わってしまって、

残念に思っていたが、ちゃんと面白い次回作が始まっている。

最近好きなのは、ハンチョウ4と、BOSS2だ。

ハンチョウ4では、犯人と刑事、犯罪の哀しさが、見事に表現されている。

刑事ドラマなのだが、犯人逮捕の面白さよりも、

その犯人が犯罪を犯すまでの苦悩なんかが描かれていて、胸が詰まる。

犯人や関係者をじっと見据えて話すハンチョウは秀逸だ。

一方、BOSS2では、相変わらずの凸凹メンバーが、

夫々の個性で、犯罪に立ち向かう。

天海祐希のBOSSが、魅力的だ。

40代の女性の魅力を描いたドラマは、日本では初めてではないだろうか。

どちらも、信念を貫いて生きる為には、壁が多く、辛い事を解らせてもくれる。


BOSSの中の、おちゃらけたムードも、嫌いではない。

命を懸けるほどの緊張の中には、ゆるみも大切である。

刑事ものと言えば、踊る大走査線も、好きだったのだが、

いかりや長介が亡くなっているのが哀しい。

腑抜けた所長3人組が、時々奮起する瞬間が好きだ。

俺だって、やる時はやる、みたいな。

有り難い。

2011-05-13 06:39:02 | 日記
大震災の被災地報道で、最近、多く聴くのが、有り難い、と言う言葉である。

震災前の、つい数カ月前までは、テレビでは、殆ど聴く事の無い言葉だった。

特に、高校生や、若い世代からは。

ところが、大震災の死線をくぐって、小中学生までも、話す様になっている。

やはり、日本人のDNAには、仏教を元とする、こんな思想が流れている。

僕は仏教徒ではないが、やはり、感動を感じないで居られない。

急に被災者の人達が、他人ではなくて、仲間だと思えた。

家が半分残った、卒業式ができた、入学式ができた、

自分の命が助かった、友達が生きていた、勉強が出来る、

こんな有り難さを語る人達が、多く居るから、この国は大丈夫である。

逆に、僕の方こそ、有り難う。

追伸:今度、朝青龍が、災害地にお見舞いに来るそうである。

あれだけバッシングを受けていた彼が、何かしたいと、考えてくれたのだ。

感謝したい。

誰も守ってあげなかった横綱の彼が、こんなに考えてくれているのに、

相撲協会は、一体何をしているのか。

被災地での本場所開催や、テレビ放映を、真剣に考えて欲しい。

上原美優さん逝く。

2011-05-12 15:19:41 | 日記
タレントの名前なんか、殆ど知らない僕も、好きなタレントとして覚えていた。

見た目が素朴で、わざとらしくなかった。

黄金伝説の節約生活は、楽しく観ていた。

詳細は判らないが、自殺はいけないが、一つ救われるのは、

画面上の素朴さが、作りものではなく、本物だった事か。

兄弟姉妹が多かったらしいが、相談できなかったのが寂しい。

派手な職業ではなくて、島に残っていたら、彼女らしく生きられたのだろうか。

一家を支える気概があったから、余計に、相談し辛かったのだろう。

一度、話をしてあげたかった。

ご冥福をお祈りいたします。合掌。

えええ~~~。

2011-05-12 15:18:12 | 日記
僕は今、千葉県の松戸市に住んでいます。

だから、神奈川県よりは、福島原発に近いわけで、よほど不自然に風が吹かない限り、

神奈川県よりは、放射能を多く浴びていると思います。

だから、神奈川県のお茶が、出荷停止になったことはショックです。

もう、手遅れですが、僕ら、千葉県民と、都民は、知らない内に、

相当多くの放射能を浴びていたのでしょう。

まあ、それでも、心配する値では、無いのかも知れませんが。

たまたま、神奈川県で、お茶の葉っぱを、細かく検査したのでしょう。

そう思っておきましょうか。

僕達には、知らないことがいっぱいありますね。

深く考えると、怖くなります。

岩手県特産市。

2011-05-11 20:27:19 | 日記
横浜高島屋で、今日から、岩手県の特産品の大売り出しです。

ニュースで観たら、優しい奥さん達の買い物姿に、感動しました。

日持ちが良いからと、栗の入った羊羹を、30本も、買って行く年配の主婦。

新鮮なワカメは、30分で売り切れに。

他にも、美味しそうな物が山盛りです。

でも、感動するのは、主婦達の買い物のチカラです。

みんな、被災地の為になればと、いっぱい買っています。

僕は、寄付や、義援金よりも、こんな支援の方法が好きです。

思い出してください。

つい、3ヶ月前までは、100年に一度の大不況で、みんな、買い控えていたのです。

それが、東北を助けたい気持ちで、黒山の人だかり状態です。

女性達、日本の母達の力は、絶対に侮(あなどれ)れませんね。

脱帽で、感動です。