平成徒然草(萩原 希仁)

毎日の喜怒哀楽をストレートに表現してゆく。

恥辱まみれが人生かも

2013-06-23 02:05:53 | 日記
もうすぐ死を迎える僕は、こう思います。

人生は、恥辱まみれなんだと。

恥ずかしさを恐れない事が、人生に、

豊かさを与え、充実させる気がします。

日々は充実しています。

ただし、身体は物理的に弱っています。

今までは、ペットボトルの、スクリュウキャップが、

硬いなんて、感じたこともありませんでした。

最近では、輪ゴムを巻いて、開けています。

そうして、毎日、思い返しています。

愛する人へは、ちゃんと告白しただろうか。

感謝すべき人へは、心を伝えたか。


結局、こんな事が、人生のまとめだと、思うんです。

ここのところずっと考えています

2013-06-21 17:01:03 | 日記
生命が希望ならば、僕の様に、

余命幾ばくかになってしまった人間には、

最早、希望は、無いのでしょうか。

もしそうならば哀し過ぎる。

癌に負けて、朽ちるまでは、

健康ではないけれど、生きているです。


死は恐怖しない。

嘘では無い。

幾多の大切な人達を送ってきたから。

死は順番であると、悟っています。


ただ、思い返せば、人生は、

豊かで、楽し過ぎる。

愛する人、贅沢、美味しい食べ物、

人々からの名声、みな、美酒です。


さぁて、僕は、一体、人生の醍醐味を、

幾つ味わってきたことか。


未練がないと言えば嘘でしょう。

でも、こう思うようにします。

「是非も無し」

:好いも悪いも無い。仕方無いじゃあないか。

かつての、織田信長の心境です。


水道橋博士の事。

2013-06-16 03:01:59 | 日記
テレビのドキュメント番組では、

何度か観た記憶があります。

癌患者の死に逝く様。

しかし、自分自身となると、

話は別です。

医師から、余命宣告を受けたときには、

言い表せない衝撃が走りました。

それから、眠れない日が続き、

今は、少しは腹も座り、

「是非も無し」の心境です。



そんな僕から見ていると、最近の、

橋下市長は、観るに耐えません。

今日の、水道橋博士との、やりとりもそうです。

橋下氏は、52歳の芸人を、

「小銭稼ぎのコメンテーター」と、

罵倒したのです。

生放送中でしたが、水道橋博士は、

視聴者におじぎをして、番組を去りました。

「それは違います。」と、一言残して。


僕は思いました。

一人の芸人が、弁護士や、政治経済の、

評論家に混じって、対等に議論する為には、

きっと、努力も、してきただろうと。

その自尊心が、ぼろぼろだろうと。


そう。

優しくないんです。

最早、正しいとか、間違っているとかの問題では無い。

許されない傲慢さです。


かつて、橋下氏と、酷似する人物が居た。

オウム真理教の、上祐史浩です。

彼も、独善的な理論で、、周りを、

踏みにじっていた。


不愉快です。

僕は、もう直ぐ、天に還りますが、

優しくない世界は嫌いです。

みんな、一度きりの人生を、

頑張って生きているのですから。

居酒屋の親爺時代

2013-06-14 14:43:23 | 日記
30代中半、今思えば、何て青かったか。

それでも、お客と話し込んでいて、今思えば、

小っ恥ずかしい限りだ。

人生は深い。

最近、自分自身が癌で、余命宣告を受けて、

はたと気付く事さえ多いのだ。

あの頃、そんなお客さんと、どの面下げて、

話していたのだったか。

どうか、大きな心で、お許しください。

今なら、少しは解ります。

あのカウンターンの端っこで、重い空気の中で、

静かに呑んでいたあなた。

常連を捕まえて、閉店後に遊んだ、

麻雀の愉快だった事。

みんな、本当にありがとうございました。

今思い出せば、地廻りの面々までが、

懐かしく愛おしい。

今日は苦しい

2013-06-07 23:18:28 | 日記
多分、出血が多いんだろう。

ちょっと気を抜くと、パンツが血で

汚れてしまう。

案の定、ろれつが回らない。


明日は、杖の力を借りて、

近所の肉屋まで、頑張ろう。

自分へのご褒美に、

旨いステーキ肉を買おう。

未だ、焼く力が残っている内に。

天気だと好いなぁ。

雨だと、きっと歩けないので。

ちょっと可笑しいが、付け合せは、

キャベツの千切りだ。

あの店のは、細くて甘いから。


物欲や、金銭欲は、とうに消えた。

性欲も危ない。

だが、食欲は健在だ。

だから、素直に従おうと思う。


デザートは、赤くて甘いメロンだ。

果たして、重いメロンを、持って帰れるか。

大勝負である。


じっと手を見る

2013-06-03 21:06:40 | 日記
余命宣告を受けた、末期の大腸癌患者としては、

不思議に、平穏な日々をおくれている。

とは言っても、腫瘍からの出血で、

ろれつが回らなくて、友の電話をとれない日もある。

痛み止めの効きが悪いと、一睡も出来ない。

どちらでも無くても、病院へ、検査に行く日は、

帰ってからも、疲れきって、動けない。

でも、まだまだ、幸せだ。

調子が良い日は、こうやって、ブログも書ける。

驚くほど時間は掛かり、打ち間違いは多いが。


流石に、テレビで、末期癌患者を扱った、

ドラマを観ると、落ち込む。

自分にも、奇跡が舞い込まないものかと、

少し、甘えたくもなる。


欲はかかない。

せめて、逢いたい人に出向く体力が欲しい。

自由に電話で、話す力が欲しい。

でも、諦めない。

小さな奇跡を待ち焦がれている。


死への怖れでは無くて、生きる事に、

もう少し、未練がある。

高齢で、気弱になった母の、世話もある。


未だ、気力は萎えていない。