平成徒然草(萩原 希仁)

毎日の喜怒哀楽をストレートに表現してゆく。

湘南乃風『ガチ桜』Full Ver.

2011-03-22 15:23:35 | 日記
湘南乃風『ガチ桜』Full Ver.


もうすぐ、桜の花が咲くでしょう。

涙の乾かない人も多いでしょうが、頑張って、お花見に出かけましょう。

一人でいる人がいたら、誘って見ましょう。

おにぎりを持って、漬物を持って、水筒にお茶を入れて、

自転車で行きましょう。

一年に一度、最も華やかな、桜色にまみれて浮かれましょう。

張って張ってばかりいたら、きっとちぎれてしまうから。

思いっきり、緩めてやるんですよ。

そうです。

エンジン全開にする為に。

東北関東大震災から一週間です。

2011-03-18 15:27:42 | 日記
ともすると、東京電力や、東北電力が、やり玉に挙げられてしまう。

輪番停電の乱れや、福島県の原子力発電所での事故のためである。

でも、それは止めようではないか。

確かに首都圏の通勤人は、輪番停電の計画のズレによって、大混乱しているし、

福島の住民は、災害以上に、原発の事故で、振り回されている。

文句の1つも怒鳴ってみたくなるのは、十分に理解できる。

それでも、ぐっと、我慢してみようじゃあないか。

輪番停電の変更は、なかなか連絡が間に合わないけれど、考えてみると、

言った事よりも多くなっている訳ではないのだ。

最善を尽くして、停電を減らしてくれているのだ。

原発の問題は、僕は専門家のようには分からないが、もし、これが日本でなければ、

アメリカのスリーマイル島事件や、ロシアの、チェルノブイリ事件並の、

大被害を生じていたはずだ。

彼らは優秀である。

世界一優秀である。


寝ないで頑張ってくれている。

もう少し、信じてみよう。

きっと、小さな事件で終わらせてくれることだろう。

僕は、慌てない。怯えない。買い占めない。

感謝し、信頼する。

1000年に一度の大災害を、信頼できる仲間と共に、受け入れ、乗り越えてゆく。

14歳のボランティア。

2011-03-18 15:26:06 | 日記
中学校を卒業した女の子がいる。

14歳だ。

震災のあと、母校へ行ってみたら、沢山の被災者が集まっていた。

自分は、家も大丈夫で、肉親も無事だった。

何かしないといけないと思った。

彼女は、母校の中学校のボランティアになった。

毎日学校へ通い、各部屋を回って、必要な物を聞いてまわる。

おばあちゃん、おしめはどうする?

おじいちゃん、靴下足りてる?

被災者の老人達から見ると、可愛い孫のようである。

若い力を侮ってはならないと思った。

五月蝿く言われなくても、やるときはちゃんとやるのだから。

大和撫子は、健在している。

ノンフィクションの微笑ましさ。

2011-03-17 11:14:15 | 日記
仕事中は、仕事人として、毅然とした態度で臨まなければならない。

そんな事は十分に解っている。

きっと、このアナウンサーも、そうだったろうと思う。

災害地の避難所で、男性アナウンサーが、被災者の女の子に、話を聞いている。

最初は、マスコミの人間らしく、標準語で、落ち着いて。

女の子が話す、泣きながら。

友達のおどうちゃんが、水浸しになって、おがあちゃんを連れてきでくでたので、

ほんで、ありがだがたぁ。

それを聞いていたアナウンサーは、自分ももらい泣きして、んだか、いがったなぁ。

これは演出ではない。

同じ地方のアナウンサーが、心情的に同化してしまったのだろう。

ここにも、優しい人間模様があった。

こんな青年や、少女が、復興の力となるのだろう。

気持ちの良い放送であった。

感謝する生き方。

2011-03-17 09:57:49 | 日記
災害地からの報道には、感動が溢れています。

今日は、一人のおじいさんが、山を超えて、市役所まで、九州の肉親に連絡する為に、

両手に杖を持って、歩いてゆく姿に感動しました。

73歳だそうです。

マイクを向けられると、思いもかけない、笑顔でした。

ラジオで、市役所に行けば、電話ができると知って、家を出てきたそうで、

いくら話しても、不満や文句は出てきません。

一歩、歩くためにも、杖が必要なのに、何時間も歩いているのに。

このおじいちゃんは、感謝のなかに生きています。

生き方には色々あります。

不満と愚痴をぶつける生き方、ぐっと唇をかみしめて、我慢する生き方。

でも、感謝する生き方は美しいですね。

周りにいる人たちまでが、何か、ほっとしている様でした。

大らかに生きましょう。

2011-03-17 09:56:35 | 日記
僕ら日本人の美徳の中には、大らかに生きると言う事が在るのではないだろうか。

生垣という、やんわりした、プライバシーの感覚の中で、生活し、

性に対しても、北欧や欧米以上に、かつてのこの国では、大らかであったはずだ。

暑い村祭りの夜、夜這いに興じた時代もあった。

色々なことが、西欧や欧米的な、ゼロか百か、みたいな、日本に馴染まない考え方になっている。

NOと、言わないからこそ、日本人の良いところもあるのだ。

あ、うんの呼吸と言うか、ファジーな感覚と言うか。

その灰色の中で、細かい神経が動く。

そして、フレキシブルな考えができる。

曖昧だからこそ、その時時で、最善の選択ができるのだ。

今、震災絡みの買占め問題が横行している。

この問題を考えるときも同じである。

毎日テレビで、これだけの不安材料を観ていれば、いっぱい買いたくもなる。

そんなことを、理屈で止めることはできないだろう。

だから、なるべく止める様にしよう。

大変だけど、大型店では、一度に品出ししないで、一日の中で、何度かに分けて、

品出しする様な、工夫もできるだろう。

あんまりにも、売り切れが多いなら、個数制限も良いのではないか。

目くじらを立てないで、ゆったりと行きましょう。

先は、険しく長いのですから、余計にですよ。

天皇陛下、お支度をお願い奉ります。

2011-03-17 09:54:15 | 日記
今日、平成天皇が、関東東北大震災に関して、声明をお出しになった。

思わず、忘れていたが、日本は、神代の時代から、天皇に従ってきた国である。

これだけの大震災の災害は、政治ではなく、国家の存亡である。

憲法が、天皇の政治に対する参加を禁じているが、災害からの復興は政治ではない。

この国が生き返ることだ。

天皇が、被災者をねぎらい、勇気を喚起することは、何ら問題はない。

国民も、最も、しっくりくるのではないだろうか。

今すぐは確かに無理であろうが、もう少し、幹線道路でも復活したら、

天皇皇后、お二人で、東北を訪れていただきたいものだ。

美智子さまの優しい笑顔を見て、天皇から、お言葉をいただいたら、

みんなどれだけ嬉しく思い、奮い立つ事だろう。

復興復活は、総力戦である。

総力を束ねられる人間は、日本国では、天皇陛下だろう。

それが、国家元首の務めである。

謹んでお願い申し上げ奉ります。

買い物に行ってきました。

2011-03-15 12:00:49 | 日記
買い占めや、極端なまとめ買いは、混乱を招き、良く無い事でしょう。

でも、テレビで、毎日、停電の予想を聞かされていれば、多少は仕方が無いかも知れません。

誰でも、自分の生活や、家族が心配ですから。

新松戸のダイエーに、納豆が欲しくて、買い物に行きました。

僕は知りませんが、終戦直後の闇市や、オイルショック時代の様に、

ダイエーは、黒山の人だかりで、10箇所以上ある、それぞれのレジに、

100人以上づつ、山盛りの買い物カゴを持って、並んでいました。

事情が事情なので、素直には喜べないのですが、若い頃、ダイエーの創業者である、

中内功氏と、何度か打合せをした事の在る僕としては、彼に、これだけ賑わう、

ダイエーを、見せてあげたかったなぁと、心から思うのでした。

数々の危機を乗り越えて、ダイエーグループの中には、創業者である、

中内家の血は、既に一滴も、残ってはいませんが、中内功の思想は、

しっかりと残っているようです。

そんな事を考えながら、結局、納豆は手に入らず、カップ麺と、

餃子と、カルピスの原液を選んで、1時間、レジの列に並んできました。

殆どの人は、ちゃんと並んでいましたが、時々割り込む人がいて、

後のおじいちゃんや、おばあちゃんたちに、怒られていました。

それでも無視して割り込む人はいませんでした。

日本語が良く解らない、中国の人も多くいましたが、

我が国のおばちゃんの言葉は、威力絶大で、しっかり注意をしていました。

言う事を、聞かない輩がいたら、僕がお仕置きを、と、思っていたのですが、

全く、出る幕はありませんでした。

だから、僕の、後ろに並んでいた、小さい女の子と、

おしゃべりをしながらゆったりと、並んできました。

若いお母さんは、携帯電話に夢中だったので、暇そうにしていた女の子と、

おしゃべりをしていたのです。

少しづつ列が進むので、カゴも、前に進めるのですが、女の子に言われました。

おじちゃんは、大きいんだから、私のカゴも持ってよ、と。

勿論、はい、と言って、持ちました。

お母さんが気づいて、済まなそうに会釈していました。

ゆきぼへ

2011-03-14 12:53:14 | 日記
つい、一週間前までは、無気力な、不景気で元気の無い、日本でした。

そんな中で、高校を卒業して行く、ゆきぼは、どんな人生を送る事だったのか。

今となっては、考えられませんね。

1000年に一度という、大震災が発生して、少し様子が変わりました。

何万人という同胞が無くなり、何十万人という仲間が、裸一貫で、放り出されました。

伊達政宗の時代から、長い年月、里を守ってきた、防潮林も崩壊し、町は水没しています。

ゆきぼが仙台へ行く頃は、激しい災難の傷跡が、あちらこちらにあって、

哀しい顔をした人が多いはずです。

これは、僕が子供の頃と似ているかもしれません。

敗戦で、傷ついた兵士が帰還して、手足の無い姿で、街角に立って、寄付金をせがんでいました。

そんな、殺伐とした中で、僕らは育って来ました。

でも、哀しい事や、嫌な事ばかりではなくて、明るい希望がいつもありました。

そうして、自分達日本人に対する誇りの気持ちが、いつもありました。

苦しいけど、生きがいに溢れた時代でした。


日本民族は、復興にかけては世界で、一番の民族です。



勿論、僕ら大人も、全力を尽くしますが、ゆきぼ、君の世代に、

本当のこの国の未来が掛かっています。

世代を超えて、手を繋ぎ、頑張りましょう。

安心して下さい。

戦後の奇跡の高度成長を実現したのは、どこかのスーパーマンではなくて、

ゆきぼの、両親であり、両祖父母なのです。

その、DNAは、ゆきぼの中に流れています。

僕は、確信しています。

ゆきぼ達の力と、長い冬にじっと耐えてきた、北国の風土を生きる、東北人の底力を。

僕も、山形に生まれ、仙台で育った、生粋の、東北人ですから。


日本の底力。

2011-03-13 09:53:13 | 日記
東日本大震災が、猛威を振るっています。

亡くなった人も、最悪では、1500人以上とも、言われ出しました。

岩手、宮城、福島の、海岸周りを中心に、栃木、茨城、新潟の内陸部でも、

被害が甚大なようです。

ニュース映像に映し出される姿は、どこも、悲惨な状況です。

電気、ガス、水道と言う、インフラから、一般住居も事業所も、公共施設も、

正に、壊滅的な打撃を受けたと言う、感じです。

まだ、孤立して、救助を待つ人が多いみたいですから、まずは救出を最優先しましょう。

そうして、世界一の、日本人の復元力で、頑張りましょう。

世界大戦の敗戦では、国内の殆どを焼け野が原にされて、二発の原子爆弾も喰らって、

焦土と化した、瓦礫の山から、エコノミックアニマルと、

皮肉を言われながらも、世界一の復興を達成したのです。

それは、スーパーマンではありません。

若い皆さんの、両親であり、両祖父母なのです。

皆さんは、そんな偉人達のDNAを、受け継いでいるのです。


出来ない訳がありません。

つい、2~3日前までは、不況で、仕事もない、無気力な時代でしたが、

これからは、日本民族の得意技である、復興の時です。

少し前の、阪神淡路大地震でも、この力は証明されています。

額に汗して、頑張りましょう。

僕も、セミリタイアから抜け出して、身体が出来る事を、してゆこうと思っています。

世界中を驚かす、底力を見せましょう。

災い転じて福と成す。

転機なのかも知れませんね。

今、自分に出来る事。

2011-03-13 09:50:24 | 日記
運良く、大震災の激震地から離れて住んでいて、テレビなどで、災害の様子を見ている人は、

慌てないで、力を養って欲しい。

今、現地に押しかけても、受け入れ側は、余計に苦労するだけであろう。

同じ国民の苦悩と、逞しさを目にして、力を尽くす、時期を待てばよい。

原子力発電所も、被害が大きく、電力不足が予想されているから、

自宅で、会社で、節電を心がけるだけでも、大切なことである。

つまらない、流言飛語には、断じて、惑わされないようにしよう。

自分の家が崩壊した前に立って、せめて、雨風がしのげる、場所があるので、満足です。

そう言う、茶髪の青年の言葉に、感動する。

こんな時、国によっては、略奪行為や、動乱、反乱が勃発する。

僕らの日本では、少し、被害の少なかった家の人が、近所の人の為に、

手持ちの少ない食料を使って、炊き出しを始める。

実はこんなに素晴らしい国民性は、世界でも珍しい。

みんなで、額に汗して働けば、10年で、より素晴らしい国に、絶対になる。

その為には、最後の一人まで、仲間を救出しよう。

そして、一人一人が、出来る事を、頑張りましょう。

胡散臭(うさんくさ)い。

2011-03-12 23:11:22 | 日記
福島県の原子力発電所の事故発表を聞いていて、最初は感心した。

旧自民党政権ならば、近隣住民に危険が及んでも、体裁を護る為に、真実は発表しないだろうと。

それなのに、民主党政権は、素直に、10キロ圏内の住民避難を決めて、正解だなぁと。

ところが、今頃になって、その姿勢が怪しくなってきた。

今日、何らかの爆発があって、マスコミが、その映像を発表すると、

発電部分の建物の、爆発ではなく、周りの塀の爆発だという。

しかし、安全の為に、20キロ圏内の住民を、避難させるという。

これは矛盾である。

やっぱりかと、項垂れる思いである。

何故、爆発しやすい中心部分が爆発しないで、何でもない、塀何かが、爆発するのか。

百歩譲って、塀が、爆発したとして、何故、さらに10キロの、避難が必要か。

いくら作ろっても、論理的に矛盾である。

天災は悲劇であるが、小手先の目暗ましをする、政治の嘘は、犯罪である。

こんな事をしていたら、民主党が、旧自民党よりも、良い点は無くなってしまう。

ただの、嘘つきの子供会では、この国は救えない。

トムハンクス作品の素晴らしさ。

2011-03-11 16:13:51 | 日記
アラバマに住むフォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)は母の女手一つで育てられた。IQが他の子より少し低いし、背骨も少し曲がっていても母親は普通の子供として彼を育てた。学校でフォレストを理解してくれた友達はジェニー(ロビン・ライト)。彼女はフォレストの生涯の友人となる。アメフトのスター選手となりケネディ大統領から激励された大学生のフォレストはベトナム戦争に出征、戦場で親友のババと尊敬するダン隊長と出会う。帰国後、反戦集会で彼はジェニーと再会するが、彼女はフォレストの愛を受け入れず去っていく…。

だいぶ前にこの映画を観た時は、良く判らなかったが、今日観たら、凄く良く判った。

僕も、テーマパークの中では、色々な楽しさを演出してきたが、到底かなわない。

ここには、素晴らしい人生の表現があった。

創作する際に、際立ってセンセーショナルな事柄を取り上げるのは、

劇的な物語を創るのには適切だが、真実味に欠けて、引き込まれない。

この映画は、知的障害者の事も、優しい母親の事も、戦争の悲惨さも、

父親の暴力に苦しむ彼女の人生も、実にシンプルに描いている。

つまらない、脚色が無い。

その中で、主人公は、ただただ、シンプルに、走り続け、生きる。

数々の成功を収めるが、それさえも、小さい事として描かれている。

しかし、人間の儚さや死について、深い感動を与えてくれて、涙腺が壊れた。

トムハンクスと言う俳優は、不必要な派手さは無いが、深い感動を与えてくれる役者である。


アルバイトの思い出。

2011-03-10 23:37:51 | 日記
初めてやったバイトは? ブログネタ:初めてやったバイトは? 参加中
本文はここから





恵比寿に在った、七福運送の、ドライバー助手をやりました。

運転ではなくて、助手席に乗って、荷下しや、積み込みを手伝います。

生まれて初めてのアルバイトだったから、そこが良いのか悪いのかも、

判らないで、ただただ一生懸命に、汗を流していました。

上京したてで、大学を目指し、浪人生活をしていた頃の話です。

新聞を見ていて、七福と言う、縁起の良い名前に惹かれました。

お金の目的は、一人暮らしの大きな願いを、実現させるためでした。

そう言うと、大げさですが、子供のころから、美味しいハムを、

独り占めして、一本丸ごと食べてみたかったのです。

今考えると、馬鹿みたいですが、当時は真剣でした。

初給料で、高級ハムを1本買って、早速齧りました。

ハムは、薄く切って、少しづつ食べるから、美味しいんだと判りました。


それからは、お酒を覚えて、飲み代の為に、そこでアルバイトを続けました。

その日一緒に乗る、ドライバーさんで、仕事の大変さが、全然違う事に気付きました。

浪人中は、結局そこでバイトをしていました。

その内に、ガールフレンドが出来て、デート資金目的で、頑張りました。

思い出すと、セピア色の思い出です。

合掌。

2011-03-10 20:16:46 | 日記
哀悼の意を表します。合掌。

かつて、コント55号は、劣悪番組として、

日教組や、PTAから、批判されて、子供には見えないようにしようと、言われていた。

思い出してみると、あの、ドリフターズだって、そうだったし、

オレたちひょうきん族の、タケチャンマンや、あみだ婆あだって、批判されていた。

今、小学生や、中学生や、高校生の方は、大人達から、こんな制限を受けていないだろうか。

もし、そんな事があっても、あんまり気にしなくても良いのではないか。

文化の基準は、だんだんと変わるのだから。

実名は出さないけれど、ロックもそうだ。

僕の子供時代、ロックと言うだけで、田舎では不良扱いされたものだ。

それでも、借りてきたレコードを、ヘッドホーンを使って聴いていたものだ。

大人達などは、いい加減なもので、文化の基準は時代と共に変遷してゆく。

目先の評価に惑わされないで、自分の心眼で見つめてほしい。

ちょっと畑は違うが、画家のゴッホなどは、生存中は不遇であり、

亡くなって、、100年以上経ってから認められている。

そんな事も在るのだから。