平成徒然草(萩原 希仁)

毎日の喜怒哀楽をストレートに表現してゆく。

福祉大国と経済大国。

2011-04-28 10:24:33 | 日記
障害者の震災後一ヶ月、と言う番組を観て、心が痛かった。

実は、僕も身体障害者3級なのである。

他人事ではなかった。

幸い、僕は、心臓が悪いので、手足はしっかりしているが、

車椅子利用者などを見ると、不自由の度合いが酷過ぎて、

目を背けずにはいられなかった。

平和に見える日常の中で、いかに多くの人達が、

介護者の力を借りて生きていることか。

一度、津波が全てを流し尽くしたら、そんな現実が露呈してきた。

一時、戦後の奇跡的な経済復興で、日本は、経済大国と言われたが、

本当の意味で、人間に優しい、福祉大国と言うのも、言われてみたいものだ。

ただ、一つの救いは、マンションの6階に住んでいた車椅子の利用者の男性が、

顔見知りの人に、おんぶしてもらって、マンションから脱出し、命が助かったと、

坦々と語った場面を目にした時だ。

毎朝、気さくに挨拶を交わすだけで、そこまでする人間も確かに存在した。

大震災の復興には、問題が山積だろうが、少しづつ、一つづつ、

諦めないで、やって行こうではありませんか。

何時に成るかは解りませんが、その時、日本は、世界一の国になっていることでしょう。

チェルノブイリの事故から25年。

2011-04-28 10:22:27 | 日記
原子力発電所の事故は恐ろしい。

政府や、東京電力を責めるつもりではないが、ロシア原発の事故から、

25年に当たって、チェルノブイリがどうなっているかを再確認した。

未だに、半径30kmは、無人地帯になっていて、

放射能を封印したコンクリートは、打ち直しの時期に来ている。

作業中の被曝を含め、死亡者は、3000人を超えたそうである。

原子力発電所の事故は、如何に恐ろしいかを、現している。

起こってしまったことの責任論ではなく、将来への対策を、

長期計画で、慎重に検討して実施して欲しい。

国家以外では、助ける事など出来ないだろう。

天皇皇后両陛下。

2011-04-27 22:15:34 | 日記
映像を観ているだけでも良く解る。

老若男女を問わず、日本人は、天皇皇后様に対しての、

無条件での親しみと、敬う感情がある。

そうして、天皇皇后両陛下は、底知れぬ優しさを持っている。

天皇皇后を前にしては、被災者の家族三代が、同じ様に感謝の涙を流していた。

南北朝時代に、天皇と上皇が戦った以外では、長い歴史の中で、

色々な支配者が生まれたが、それとは別格に、天皇家の血筋は続いてきている。

誰も天皇陛下に対しては、弓を弾かないし、弾けない。

あの、比叡山を焼き払った、織田信長でも、荒くれ者の集まりの新選組でも、

天皇陛下、錦の御旗を見ると、刀を収めたそうである。

ただ、平成天皇は、大分、御高齢だ。

あまり遠出は難しいのではないか。

代わりに、皇太子様の活躍の場所ではないだろうか。

金銭や、物資以外でも、色々な癒しが在る訳である。

親しい人を亡くし、故郷を失った人々へ、せめてもの温かさを、伝えて欲しい。

大河ドラマは楽しい。

2011-04-27 16:20:10 | 日記
今年の、江(ごう)は、面白い。

血生臭い戦国時代を、信長の妹、お市の3姉妹を中心に描いているからだ。

しかも、3の姫、江は、真っ直ぐで、気が強い。

ただ、僕には、一つだけ不満なところがある。

それは、豊臣秀吉の描き方が、あまりに粗末な事である。

今現在、15話だから、これからどうなるかは解らないが、心配である。

豊臣秀吉の、晩年近くは、朝鮮出兵を見ても、女性問題にしても、

哀しい部分が多いからである。

壮年時代の今、魅力的な人物でなければ、先が思いやられる。

長い戦国の騒乱時代に、星の数ほどの武士が存在したであろうが、

百姓は勿論の事、下級武士からでさえ、一国一城の主になった者はいない。

どれだけの努力と忍耐と、天才的な頭脳と、天運を持っていた事か。

わらじの話し一つを取ってみても、家電生活では無い昔に、

信長と言えども、冬には、冷たい足をしていた事だろう。

懐で温めたわらじを履いた信長が喜ぶのは当然である。

しかし、こんな事を思い付くのは、天才である。

信長が付けた、猿と言うあだ名も、愛情の表現である。

織田信長の気性であるから、嫌いなら、あだ名を付ける前に、

簡単に殺しているだろう。

天下一の苦労人である、豊臣秀吉を、僕は、好きである。

自分が苦労人だから、お茶の出し方を工夫してくれた、

石田三成の並外れた忠誠心に気が付いたのだろう。

これで、三成が、秀吉の死後も、豊臣家の為に、命を懸けた気持ちが解る。

我慢強い性格の家康と言うが、僕は嫌いである。

信長の命令で、奥方と長男の首を差し出しているが、

これは、我慢強いと言うよりも、あまりに自分本位であろう。

全ての事が、自分の為に在るのである。

僕は好きになれない。


それよりも、妻と子の為に、勇ましく闘いたい。

織田信長に対しては、人間離れした、神仏的な力と存在感を感じる。

好きや嫌いを超越している。

500年以上昔に、地球儀を抱えて、世界を考えた男が、

世界中でも、外に居ただろうか。

だから、信長の残酷さは、神が創った自然の摂理と一緒で、

簡単には、論じられない。

本能寺の変で、死ぬ直前に、是非も無し、と、喝破した男気は、本物である。

凡人ならば、天下統一の直前であるから、地面を這いずってでも、

生きて、逃げる事を考えた事だろう。

電気の無い昔の夜であるから、しかも、まだまだ信長に味方する者も

居ただろうから、無理な事では無かったと思う。

最も信頼し、その才能を最も認めた、明智光秀に襲われたからこそ、


即座に覚悟が出来たのだろう。

一流の武将にとっては、生き死になどは、最大の問題では無かったのだろう。

潔い覚悟に、男が惚れる。

僕ら日本人の先祖は、かくも、偉大で、素敵である。

マスコミの恐怖。

2011-04-25 07:05:29 | 日記
少し前までは、マスコミは、野党第一党の民主党の味方だった。

そうして、60年以上続いた自民党政権の終焉を、逐一報道したものだ。

ところが今はどうだろうか。

今度は、民主党の終焉を逐一報告し始めている。

事実を報道していると言えばそれまでの様だが、逆にそれは詭弁であり、

実際は、自分達の目的に合わせて、民主党に不利な事実を、拾っている様だ。

巨大マスコミのエゴは、恐ろしいものがある。

僕は、民主党は嫌いであるが、それでも、マスコミの偏向には不愉快さを感じてしまう。

これは、昨日の地方選挙の速報番組を観ていて感じたことだ。

番組では、NHKでさえ、ことさらに、民主党の負けた選挙区を大きく取り上げていた。

まあ、何れにしても、マスコミに見放された政党の寿命は短いだろう。

彗星のごとく、強靭なリーダーの出現を切望している。

もはや、政党などはあまり関係ないだろう。

何故なら、どの政党人でも、日本を復興する事に賛成しない者は居無いだろうから。

こう考えるので、どうしても、大連立を推したくなる。

マスコミの姿勢の意地汚さに関して、ドラマ相棒の一セリフを思い出した。

特命係の、杉下右京が、小野田官房長に、正義と言うと、官房長はこう答える。

正義とは、どの立ち位置からの正義か。

真の正義などというものは本当に存在するのかと。

事実を積み上げたものが報道であるが、積み上げ方によって、色々な主張をしているのである。

事実無根の報道は言語道断だが、あまりにも、作為的にねじまがった報道も、アウトだろう。

メディアを受け入れる際は、しっかりした自己を持って、感じ取って欲しい。

まあ、さっきも言った様に、僕は、民主党が嫌いだから、今回は少し喜んでいるのだけれども。

望郷。

2011-04-24 14:24:59 | 日記
ブログを読んでいて、好きな女性が何人かいる。

そのうちの一人が、今日のブログで、畦道(あぜみち)って、書いていた。

僕はロマンチストだから、その言葉で、沢山の想いが浮かんできた。

山形県天童市、僕の生まれた故郷である。

祖母が生きていた頃、僕は、田舎で暮らしていた。

暮らしていたと言っても、幼稚園はもう仙台だったから、幼児時代である。

リヤカーの引き手が跳ね上がって、顎を砕いたこともあった。

周りは、田んぼだらけで、畦道で、鬼ごっこをしたり、虫採りをした。

田んぼや、泥っぽい沼だけでなく、当時は当たり前の、溜池にも落ちた。

5~6回、風呂に入っても臭いは抜けなかった。

そんな経験があったからか、お金に窮したときは、迷わずに、東京で、

下水掃除の仕事ができた。

汚物も流れてくるのだが、昔、頭から溜め壷に落ちた事を思えば、何でもなかった。

夜中に頑張れば、3万円は稼げたから、何とか貯金もできた。

田舎育ちの経験は、生きるのに、逞しい男を育てるのだろう。

まだまだ、おばあちゃんも若くって、一緒に畑いじりをして、

庭から採れる、メロンやトウモロコシは、凄く美味しかった。

時々は、隣の家の、ひろちゃんのお母さんが、スイカをくれた。

山形のスイカは、いまでも甘くて瑞々しくて、最高だと思う。

そうそう、ひろちゃんは、林檎ほっぺで、可愛かったなぁ。

イナゴや、タニシ、蜂の子など、怪しい物も沢山食べた。

父母の記憶があまりないのは、二人とも、一生懸命に働いていて、

家にはいなかったからだろう。

美味しい井戸水の記憶、水原弘や、水戸黄門で入浴シーンが人気だった、

女優さんの、ブリキ板に写真製版した、キンチョールの、看板も思い出す。

何だか、記憶が鮮明過ぎて、今でも、汽車に乗って帰れば、

その風景があるような錯覚を起こす。

実際は、随分変わってしまったことだろう。

恐ろしくて、足を向けることができない。

自分の頭の中の記憶を、壊したくはないから。

そういえば、キンチョールの看板の横に、大魔神の、

映画のポスターがあったのも、憶えている。

言葉は楽しい。

畦道という言葉だけで、これだけの懐かしい記憶が甦った。

穏やかな、良い日曜日である。


歌舞伎町の雀荘で。

2011-04-24 14:22:53 | 日記
昨日は、千葉県の近くが震源の地震があったらしくて、23時過ぎに、

せっかく熟睡していたのに、目が覚めた。

そうしたら、若き日に働いていた、歌舞伎町の雀荘のことを、

夢に見ていたので、書いてみようと思った。

早稲田の学生のころ、父の会社が倒産してしまって、金銭的に切迫して、

学費と、母の生活費を賄う為に、雀荘に住み込んで、働いていたのだ。

愉快な毎日だった。

何も良いことはなかったが、なにしろ若さがあった。

今は、社会の糞だめみたいな所に居ても、明るいだろう未来への希望があった。

法律的にはご法度の賭け麻雀の店だったが、ちゃんと、看板を出して営業しているのだから、

警察とは、なあなあの仲なのだろう。

レートは、ピンのワンツー。

1000点、100円で、ウマが、3着1000円、4着2000円だった。

一ゲームの場代は、400円だ。

バラ打ち形式で、一人でふらっとやって来ても、他のお客さんや、


僕の様な雀ボーイと、セットされて、麻雀がいつでも、年中無休の24時間出来るのだ。

ソフトドリンクと、カップヌードルは、全て無料だ。

3~4日、徹夜してゆく人も珍しくはなかった。

だから、やはりご法度の、眠気覚ましの薬は、内緒で置いてあった。

でも、こちらは厳しくて、店長だけが、常連客に売っていた。

僕らは、従業員なのに、知らないフリをしていた。

一度、先輩に聞いて、殴られたこともあった。

住み込みと言っても、寮は無くて、雀荘の片隅に、カーテンで仕切った3段ベットがあって、

そこで交替で寝た。

もの凄い雑踏の中で。

寝ていても、メンバーが足りなくなると、すぐに起こされた。

だから、黒ズボンに白いワイシャツの制服のままで寝ていた。

蝶ネクタイだけ外して良いことになっていた。

風呂は、近所のサウナ店の無料券をもらった。

年中無休の24時間勤務で、粗末だが、食事付きで、月給30万だった。

当時の大卒の初任給は、11万位の時代だった。

しかし、、、、、その通りのお金は、なかなか稼げなかった。

長くなったので、続きは、次回と言う事で。

覚悟と言う事。

2011-04-15 21:57:03 | 日記
覚悟の在る生き方が望ましい。

覚悟とは、読んで字の如しで、悟りを覚える事であろう。

いつでも腹を切る覚悟の出来ている武将は、凛々しく、気高い。

それがない雑兵は、腰が引けて、生に固執し、卑しい。

武士は、相手を斬り殺すときでさえ、お覚悟を、と言って臨む。

殺される側も、それに応えて、辞世の句を詠んだりする。

色々な意味で、覚悟が出来ていれば、八方美人になって、つまらない迎合もしないだろう。

長い物に巻かれるのでは無くて、真剣に自分を主張するだろう。

人間には寿命もあって、数々の限界があるが、如何に微力で不完全な存在であっても、

尊厳を失わずに生きようではないか。

そこに、人としての意味があるように考える。

こんな自立が在って初めて、他者への優しさが生まれる。

ちょっと昔の話。

2011-04-15 21:55:07 | 日記
今現在、NHKで、放送されている連続テレビ小説は、おひさま、である。

主人公の女性、陽子は、大正11年生まれと言うから、ご尊命なら、今年89歳だ。

僕の母が、79歳だから、さらに10歳歳上である。

この連続テレビ小説を観ていて感じることがある。

田舎の女学校であるが、生きる力に溢れていて、自然も人間もキラキラしている。

戦前なのであるが、主人公がドラマの中で、自分には、戦前と言う感覚はないと言っていた。

それも理解できる。

明治~大正~昭和と生きてきて、彼女にとっての昭和の初めは、

大戦の前、ではなく、日本が大きく変化して行く一コマだったのだろう。

決して不幸な戦争に向かう道ではなかったはずだから。

男尊女卑の、旧社会から、男女平等の現代社会への移行期である。

女性が赤い服を着ているだけで、不良と騒がれた時代は、

大変そうであるが、逆に、楽しさも大きかったことだろう。

女学校や、親に内緒で、映画館や喫茶店に行く事が、大冒険だったはずだから。

そんな事が当たり前になってしまって、刺激が無くなった現代の方が、不幸でもある。

当たり前のことでは、刺激と喜びが得られないから、行動も暴走する。

根本的な若さの感覚は、実は一緒であろう。

とりとめのない文章になってしまったが、時々は、こんなドラマを観て、

涼やかで平穏な昔に想いを馳せたい。

同じ様な事は、僕の時代にも在る。

大きな事では、携帯電話が無かった事だろうか。

今よりも、待ち合わせは真剣で、ドキドキしたと思う。

夜に話したくなって、たまらなくて、黒くて回す電話に、手を伸ばす時に、

感じた胸の痛みは、今は昔の物語であるが、悪くは無い、興奮だった。

今回の大震災では、当たり前のことが不可能になって、困っている人が多いのだろうが、

逆に、新鮮な喜びに気付く場面も多くなっていることだろう。

髪の毛を茶髪にした女子高校生が言っていた。

毎日お風呂に自由に入れることが、いかに幸せなのかが、ようく解ったと。

大震災での、数少ない好い事の一つだろう。