marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(676回) (#7):先祖に神が示された故郷を願ったヨセフ

2020-06-17 23:25:25 | 聖書・聖句

◆父ヤコブを葬り、親族も兄たちとも幸せに暮らしたヨセフも年を重ねの今生を迎えます。ヨセフの最後は次のように書かれています。****

ヨセフは兄弟たちに行った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」ヨセフはこうして百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼の亡骸に薬を塗り、防腐処置をして、棺に納めた。(創世記50:24-26)******

◆こうして、旧約聖書の創世記は締めくくられます。異国の地で宰相にも上り詰めたヨセフ。多くのエジプトの宗教儀式にも従い、取り仕切ったことでしょう。父ヤコブもそして自分もミイラという遺体処置をなされたのだから。しかし、この地上で彼はどこに帰ろうとしていたのか。先祖に誓われた神、歴史を支配される神の住まわれるところ、神のおられる永遠の故郷を決して忘れずそこを目指していたのです。彼らは地上においては旅人であった。すべての異邦人の地にあって、今日の私たちも又、そうではないだろうか

◆ヨセフの最後の言葉に「神は必ずあなたたちを顧みてくださいます。」という言葉があります。何世代の年月が経過したことだろう。・・・エジプトの地でヨセフの功績も忘れた王が出てきて苦しむようになった時、神はモーセという人を起こすのですね。あの出エジプトの事件です。ヨセフの死からおよそ360年後のことです。彼らは決して忘れていなかった。(僕は、ずっと後の出エジプト記に次の記事を見つけたとき泣けましたねぇ。)

***モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせられたからである。(出エジプト記13:19)****続く  


世界のベストセラーを読む(675回) (#6):異国の地でヨセフが信じていた神とは②

2020-06-16 06:00:20 | 聖書・聖句

◆ヤコブは先祖伝来のお墓のことを細かに覚えていて息子たちに伝えるのです。ここはエジプト、しかし神が導かれた先祖が眠るその地に帰って眠りたいと。ヤコブは息子たちに命じた。「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬って欲しい。それはカナン地方のマムレの前のマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった。そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアを葬った。あの畑とあそこにある洞穴はヘト人から買い取ったものだ。」ヤコブは、息子たちに命じる終えると寝床の上に足を揃え、息を引き取り、先祖の列に加えられた。(創世記49:29-33)

◆エジプトで宰相になっていたヨセフはファラオに許しを得て、これまた壮大な葬列を組んでカナンの地に(戻って=上って)父ヤコブの亡骸を運び、そこで荘厳な葬儀を行いました。(創世記50:7-10)カナンの地ではエジプト流の「盛大な追悼の儀式」が行われましたが、これはエジプト式の葬儀だったのです。それは、ヨルダン川の東側にあると(11節)。(この地上の場所においてヤコブとヨセフは、ミイラという遺体処置がなされたのです)

◆父ヤコブの葬儀を終えて、一行はエジプトに帰って(下って)いく。兄弟たちは、昔ヨセフを奴隷として売り飛ばしたことの報復が父が亡くなったのでなされるのではないかと恐れました。しかし、ヨセフはこういうのです。

「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。・・・」(創世記50:19-21) ・・・ 続く 


世界のベストセラーを読む(674回) (#5):異国の地でヨセフの信じていた神とは①

2020-06-16 06:00:15 | 聖書・聖句

◆世界中に飢饉が訪れます。エジプトは、大臣となったヨセフの夢を解く力のおかげで事前の準備ができ、多くの貯えを持ちました。飢饉に困る周辺の人々は、多くの国の人々がエジプトに食料を求めにきました。父ヤコブ、兄弟たちがいたカナンの地も大変な飢餓に見舞われます。父ヤコブの命に従って、兄弟たちはエジプトに食糧を求めにきたのです。そのとき、大臣となった昔、あの奴隷として売ったヨセフに会見するのです。まさか奴隷として売ったヨセフが目の前にいる大臣になったとは思いません。ここで、ヨセフが幼いころに、将来、兄さんたちは自分に頭を下げる日が来るだろうと話していたことが、現実となったのです。

◆あの異郷の地エジプトで、大臣となったヨセフは当時の多くの宗教儀式や様々なとりなしなども行ったことでしょう。しかし、ヨセフは、わたしはアブラハム、イサク、(父の)ヤコブの神であるというそのお方を決して忘れなかったのです。そして、食物を買いに来た兄弟たちにとうとうヨセフは身のうちを明かします。

「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。この2年の間、世界中に飢饉が襲ってきますが、まだこれから5年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためですわたしをここへお遣わしになったのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。急いで、父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。・・・・』」(創世記45:4-9)

◆幼いころからヤコブが溺愛していた末っ子のヨセフ。世界的な飢餓により食料を買い出しにエジプトに下った息子たちから、ヨセフはエジプトで大臣にもなり生きていたと聞かされ、会えるなら死んでもいいとヤコブは老体を押して親族ともどもエジプトに向かうのです。途中、ヤコブに神が幻の中で語り掛ける。「ヤコブ、ヤコブ、わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」(創世記46:2-4)・・・(「必ず」と言っていることに注目)

◆ヨセフは、カナンから父ヤコブと家族、親族を呼び寄せ、生存中、幸せに暮らすのです。・・・エジプトへ下ったヤコブの家族は総勢70名であったと書かれています。(紀元前1876年のこと)・・・しかし、ここは異郷の地です。しかも人は、必ずだれでも地上の生涯を終えなければなりません。

◆我に返って、これを読む人も聴く人もです。世界のほとんどの国の人々の誰もが異邦人ではないだろうか。しかし、地上の命ある誰もが心の中では永遠の命を求めているのではないだろうか。・・・ 続く 


世界のベストセラーを読む(673回) (#4):ヨセフ物語は旧約聖書創世記の締めくくりのお話

2020-06-15 05:01:13 | 聖書・聖句

◆天地創造から、ユダヤ民族を選ばれ、その歴史を少なくとも神の言葉として書き続けられてきた聖書の歴史。その長い歴史の中で、新型コロナウィルスの世界的蔓延という状況の中で、アフリカでは大変な数のバッタ(サバクトビバッタというらしい。体の角質層が固くプラスチックのようでとても食べられるようなものではないそうです)の繁殖やら、日本にも地震があり、世界経済も混乱の中に会って、それらのことがすでに創世記から、黙示録に至るまで時折書かれていることに「私が神であることを知りなさい」と過去から警告している神様の声の記事を多くのキリスト者は、そろそろイエス様の再臨の時が近づいてきたのかという思いになった人も世界中に多くおられたのではないかなと思います。

◆わたしたちの神はイエス様が来られる以前のユダヤびとという選民族の歴史の中で語られてきました。天地創造以来、そして、その歴史の流れの中(<横軸>として、そして今日という日に礼拝を共になし<縦軸>、今の時間が将来の永遠の時間に伸びていること)で神様は、この場におられることを思いながらお話を聞いて神様の聖霊を共に分かち合いたいと思います。いつも永遠への導きの流れの中で今というこのとき、その神との壮大なドラマの一端に加わらせていただいていることに感謝致しましょう。

◆創世記12章以降にはイスラエルの民族の祖先アブラハム(12-25章)、イサク(25-28章)、ヤコブ(28-35章)、ヨセフ(37-50章)の生涯が書かれています。アブラハムは、多くの試練を経ながらも神を信じたので信仰の父と呼ばれ、イサクは父に従う従順な姿が描かれ、波乱に満ちた人生を送ったヤコブは、その困難な人生は実に多くの試練がありました。ヨセフの父ヤコブは「私のたどった年月は130年、わたしの齢の年月は不幸せだった」(47:9)とエジプトに行ってファラオに告白しています。その前半生の中で、ヤコブは天の使いから不思議な啓示を受け「イスラエル」と名前を受け取りました。それが今の国の名前ともなっています。押しのける者の意味を持つヤコブはそこで神様の新しい啓示をうけ継ぐ民族12部族の父となっていくのです。

◆お話は、そのヤコブの子供の末子でとてもヤコブから特別に可愛がられ、兄弟たちからやっかまれて奴隷として売られてしまうヨセフの物語です。その理由は、おさないヨセフには夢を解く力が与えられて、小さな頃から今に兄さんたちは自分に頭を下げ、かしずく時が来ると予言めいたことをよく話すことがあったためでした。憎たらしく思っていた兄たちにはヨセフをエジプトに奴隷として売ってしまいます。兄弟たちは父ヤコブにヨセフは野原で野獣に殺されたと嘘をいいます。ヤコブの落胆は大変なものでした。

◆それから何年が過ぎたでしょう。エジプトに売られたヨセフ。そこで大変な困難の連続でしたが、神様に助けられ夢を解く力によってエジプトの王様ファラオの夢を解き、世界に起こる困難(飢餓)に備えることを進言し、多くのアドバイスをし国を助けるため総理大臣にまで引き立てられるのでした。・・・ 続く 


世界のベストセラーを読む(672回) (#3):ヨセフの物語は地上の宗教などには無関係に・・・

2020-06-14 06:00:15 | 聖書・聖句

◆異邦人というのは、天地創造のイエスの父なる神様を知らない人、正しく言えばその歴史性の中で生きて働いて人類を導かれた神、その先理解が全くない人と言えるかもしれません。「異邦人」という小説は、ムルソーという主人公が、お母さんが亡くなった時も、浜辺で女性と遊び、友人から借りた拳銃でアラビア人を殺しまい、裁判でその理由が「太陽が暑かったから」というような返答をする。死刑の判定を受け、監獄に司祭が壁のシミに主のお顔が見えないかなどとも言い、懺悔の言葉を促しにくるのですが、面倒くさいことはいうな、自分は自分の人生だと胸倉をつかんで追い出してしまい、あぁ、すっきりした、あとは死刑がまっているだけだ・・・というような内容の小説です。しかし、この日本の国の人々は未信者の方でも完全なる異邦人ではないと思われるのは僕だけではないはずです。

◆キリスト教でもカトリックではなく、カミュがプロテスタントであれば又、ちがったのかなと思いますが、いずれ、当時、巷に知られているキリスト教でも、そのベストセラー聖書のその内容を深く、しかもその歴史性において、神が過去から現在、そして未来までの人類の歴史をつかさどり、動かされているのであると理解するその理解の程度は、現在の私たちもその動きの中で、読みつつ、祈りつつ、歩み続けなければいけないのだということの再認識を示唆ているように思われます。このような普段の深い理解、その世界のベストセラーの語りは過去のものではなく、わたしたちが命を持ち、今生にこのようにあることに、そしてこのような世界の情勢にあるがゆえに益々、真摯に受け取らなければならないと思わしめられているところです。

イエスご自身が「わたしについて律法(五書)、預言者の書と詩編に書いてあることは必ずすべて実現する。」(ルカ:24:44)と言われている訳ですから、その歴史の中で、今も働き、一直線に天上界へレールが引かれているその導き、その歴史の中で昨今のようなイエスの再臨が近いのではないかと思われる時、天の父なる神と呼ばれる方がどういう方なのかということを異国の地での創世記のヨセフの信仰を学ぶことは、この地上という異国の地で天の故郷を求めるすべての人々の再確認になろうかと思いますし、僕が”しがらみ”から解放と思っていることに連なるわけです。それは、すべての国々の天の故郷を求めている人々へのメッセージなのです。・・・続く