marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(670回) (#1):8月の礼拝でお話をすることになりました

2020-06-12 11:25:24 | 聖書・聖句

★訳あって教会の聖日、礼拝でお話をすることになりました。

◆キリスト教国ではないこの国の人々によく考えていただきたい内容です。youtubeでは、日本の古代神道は遠い昔大陸からの多くの渡来人がキリスト教(ネストリウス派)を伝えた人々であったと言われているものがあり、古代ユダヤ人の埴輪が日本に見つかるとか、この国の人々のDNAが40%も近隣諸国には見られないユダヤ人に類似している(古代に渡来人があの西方から来ていた)というようなお話が流れています。ひと昔前はこのような話をすると欧米神学しか学ばれていない若い牧師さんからは石を投げられそうな状況でした。今では学問的にも解明されてきていることを嬉しく思いますが、このようなお話は礼拝ではできませんし、やりません。しかし、この国の人々の信仰心とはどういうものなのか、旧約の本当の神様にも近いイメージではなかったのかと思いを馳せ、それをお話します。

◆それで、今回のお話の焦点は、”ヨセフの信じて異国の地で生きたその神とはどういうお方であったか”です。その要旨を記録として残します。それは、僕が信徒であるから言える内容で、聖職者になってしまったらおそらく言えないことだろうと思いますし、この点を強調することはおそらくないだろうと思われるからですが、夏になり永眠者記念の礼拝もあり、これをお話するのは日本のお盆でもあり、終戦記念日でもあり、又、おそらく多くのクリスチャンの方もそうであろうけれど、ご先祖のお墓に詣でる月にもなっているからです。

◆欧米では、聖書の内容自体が教養の常識となっているのですが(深く理解しているかは別)この国においてはクリスチャンは聖書の内容が常識としても、その核心に至る前にその内容の物語をお話しなければなりません。しかし、部分のみのお話ではその背景として、必ず聖書はその背景の物語を読んでください、という条件が牧師さんが言わなくても付帯条件がついているのです(言っているその方が深く読んでいるかどうかは別)。いつもみ言葉に触れてくださいとのお薦めは、聖書を読んでくださいということです。それは一時、礼拝のみのお話で終わる内容ではなく、過去から(極端に言えば天地創造からとなりますが、実際のところそれ以降の神が選ばれたアブラハムからの歴史として語られているのですが)の歴史性の中で現在も信仰されている内容だからです。

◆自分の言葉で神の言葉と言われる聖書を読むこと「自分の言葉」でです。そして最終、今も生きておられると言われるあの十字架にかかられ復活したと言われる今のイエスとお話するというのが目標です。他人からいわれるのではなく、各人が内なる主体的な受け取りが必要になる、その方との会話です。このように書いたからといってあぁ、やはりそちら側の人(キリスト者だけ)の話なのね、ではないことはこれも聖書を深く読まねばならないということになりますが。そのことも含め、ヨセフの語はどういう物語で彼の信じていた神とはどういう方であったのかをお話してみたいと思います。・・・続く