marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(746回) (その4)凡人の僕らは”思考の整理学”とは土台の自分を知ることから

2020-09-26 09:44:14 | 日記

◆学校において勉強するが、その学習たる基の頭の機構から出る考えが異なる。人として脳みその神経系の配線は同じとしても神経のその通り具合がもともと異なるし、人の命あることに於いては同じでも、もともと生まれ出る親を選べないで生まれ出てしまった僕らはどこに目線を置くかにより違うだろうが、そのOUT-PUT(出てくる結果)は異なってきて、社会的に評価されれば、人は動物学としては能力的には不平等なのだ。社会契約論を表したルソーさんも実はそう述べている。だからといって相模原障害施設でおこったようなことは決してあってはならない。◆だからというか、人が人に対しての応対や人の体について学習することは(女性は体の変化が顕著におこるから学校でも学ぶだろうけれど)人そのもの生理医学的なこと,例えば親からの遺伝や知的能力はこうなのだなどということの詳細は絶対に学ばない、学ばせないことになっている。人はみんな平等なのだということを強調し、個人の努力を促す。事実そのもを露わにすれば戦争においては、他民族抹殺などということが肯定されてのは実に恐ろしいが実際に起こってきたことだし、「生んでくれてありがとう」「生まれて来てくれてありがとう」などということは、なくなるかもしれないからなのである。◆そこで、世界のベストセラーによれば、どうなのかというと、これまた大変、神はご自分の示しにより侵入すべく戦う相手をすべて抹殺せよと命じておられる旧約の記事に、第一につまづかれる(不信となる)人もいるだろう。しかし、注意すべくは、無論、今の常識と思われる判断基準から評価、判定をしてはいけないということだ。なぜかこれもベストセラーをよく学ぶことによって推察できそうだ。それでは、どこにおいてその判断基準を人類が手にするきっかけとなったのかは、やはりイエスが十字架に架かったのが発端となっているのである。選民族のユダヤ人の仲間内から広がりイエスの神の国を述べ伝えて異邦人(ギリシャ人)が訪ね求めた来た時、「人の子が栄光を受けるときが来た」と彼は宣言するのであった。そして先の疑問にイエスは回答を出しているように思う。***「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む者は永遠の命に至る。」(ヨハネ伝12:25)「人、新たに生まれなければ神の国を見ることはできない。」(ヨハネ伝3:3)・・・続く



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