marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(745回) (その3)”思考の整理” 以前にその土台はどうなのか?

2020-09-25 05:51:22 | 日記

◆思考においては論理的書き方、実験レポートなどは、小説などと違い無論書き方が異なっている。物事を覚えることも、それを人に理解してもらうようにまとめることも、つまるところ、何を、どのように、であるし、結果はどうなのよ、であるし、更には、その効果はどうなのよ・・・なども考慮しなくては本当はいけない訳だ。◆思考の整理学とは、僕にとっては初歩的な”頭の生理学”でもあった訳で、人は結構これを考えるとシンドイのである。自分の頭の状態を、自分の頭で考える訳だから・・・。すると、第三者目線で自分の脳みそを見つめるもう一人の自分をどうしても想定しないといけなくなってくる。相対的に自分を考えるというその基盤をどこにどうして設定するのかといこうことが課題となる。◆自分の頭で自分の頭の中身を考えることを記録で僕らも目にできるのがあの”我思う、故にわれあり”のデカルトさんだった。これも「神を知るには神に似せて創造されし人を知る。神を知るのは神が創造されし自然を知る。」に基はあるわけです。University(総合大学)は本来、ここから神学(uni=唯一の)が頂点でここここから始まった。◆このように話を外に向けるとどんどん広がり収集がつかなくなるが、結局、今この時間、そして読者がこれを読まれるこの瞬間も、自分の体が劣化し、あるいは意識が高揚しイメージが少し浮かん来たり、あるは実の原因は酒飲み過ぎで肝臓痛めて鬱状態でるとかでさっぱり、気分がのらないなどの今のこのときの自分とは詰まるところ何なのよ、とその実存を考えることから始まるのである。しかし、東大生などその基に疑問を持たれない方は、、肉体の苦難に悩まれること少なくを経ずして対象として知識を取り出し、頭の引き出しに整理できるという訳なのです。・・・続く



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