marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

人新世の「資本論」:マルクスと惑星の物質代謝

2023-10-12 20:40:24 | 思想・哲学

 この夏読んだ2冊。表題の「:」の前後は、この2冊の文面を入れ替えて書いている。

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娯楽類の小説といえども、読後感に深い共感を得るのは、無論そこから何某かの感慨を得るためだろう。わくわくドキドキはこの際、のぞくけど。

斎藤幸平のあらゆる文献を読み取ったであろうあらゆる言語の参考文献。巻末に書かれた膨大な量である。これだけでも拍手である。取り上げられた内容はかいつまんで2冊に書かれているが・・・。先の「大洪水の前に」の後の斉藤自身の見解をまとめたのがこれ。

とにかく一点でも世界的規模で政治的にも影響を与えたマルクスの思想にとりつかれているというだけでも賞を与えるに該当するだろうという訳である。今の時代にマッチしたものだし。。。

その内容はマルクスが作成し、エンゲルスが編集したと言われる「資本論」にではない。斎藤のこの2冊が取り上げて言っているのは、マルクスのまとめられなかとったが、膨大な量のそれ以外のエコロジーに関する「研究ノート」にそれはあるというのである。

言わんとすることは第一に世界的な環境問題。その研究をマルクスの残されたノートを読めば、当時から深く考えていたということである。MEGAと呼ばれるその残された膨大な研究ノートから、我々は緊急課題のエコロジー思想を学ばねばならないとする。

しかも事は緊急を要す、地球が悲鳴を上げているからである、ということである。

結論は、こうだ。資本による地球、人、環境からの強制搾取はやめなければ、我ら人類の明日はない、ということである。

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「コロナ禍の経験を踏まえれば、大きな危機を前にして、漸進的な改良ではもはや間に合わないのはあきらかだろう。資本主義が何もせずに時間を浪費したせいで、ますます大胆なシステム・チェンジを要求するラジカルな実践が気候正義運動の側に求められるようになっているのである。

 ただし、システム・チェンジが一か八かの大変革にかけるような形になってはならない。そのような賭けは必ず失敗するからだ。また、多くの人を巻き込むためには、単に資本主義を批判・否定するのみならず、よりポジティブな未来社会像を描く必要がある。だからこそ、理論が必要なのである。」(「大洪水の前に」:角川文庫版あとがきp369)

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しかし、まずは僕ら凡人によれば、その前に、今、目にしているのはこれも時代による読み方がある、ということであろう。マルクスがその時代にそう考えたということ、研究しようと意気込んだこと。書かせた理由は、批判対象があってのことだから。それを[自然]に向けたのだ。

勝ち抜かねばならない対象をつねに設定し、その階級闘争により優位を持って行かねば、労働者の解放はないと。それを多くの研究ノートには、資本が自然から搾取しそのひずみが人の生存を危うくするという解釈に進んでいった訳であった。

そういう時代の意気込みに対して、時代をへた我々は何か学べないかと誰でもがひいき目に文献を読むものである。そもそも解釈がそうだということ。それでなければ意味のない無駄なことはしない。

おまけに、実際に今の世界は、まさにSDG'sなど環境問題で揺れている。彼は当時すでにこの問題を、資本論には繁栄されることはなかったが追求すべく、膨大な研究ノートを残していたということなのである。

「マルクスに帰れ!」しかし、こういう文献を読むときは、ジャンルは問わず、留意すべきことがある。

それは我々は過去(マルクス)の同時代を生きてはいないというのが第一。それに普遍的な影響を周囲の人(生きて魂ある人)に恣意的行動を上から目線で促そうというのは、いつも必ず欠陥を持っているものであるといことだ。虚構があるということだ。

それから過去の世界情勢の動きを学者と言えど網羅して学習すること自体に限界があるからである。マルクスは化学を取り入れているが、今は彼が取り上げた農業化学もかなり進んでいる、彼が取りあげたのは当時の化学は今では訂正すべきものもある。

第一に、ある思想に言って人という集団の外部からの恣意的な思想形成には基本、どのようにも無理が生じてくるということである。(現中国や北朝鮮、ミャンマーなど頑張っているが独裁が生じるが)それであるなら宗教性、柔らかな宗教性の方が人が気が付かづ影響を与えやすいかもしれないが。これを利用しているの、欧米側かもしれない。

う~む、キリスト教は、よく学べば光には影ができるように、悪魔もうろついていることを教えてくれる。キリストは「人はパンのみにて生くるにあらず」と言ったが、これは、悪魔が「この石をパンに変えて見ろ」と腹の減ったイエスに問うた言葉への返答であった。

したがって、マルクスは、当時のその状況にうつつを抜かし満足し生ぬるくなった搾取する資本階級に、現実に戦いを挑んだのだろう。「宗教はアヘンであると。」・・・これは「共産党宣言」であったがこれも上から目線のほころびだらけのアジテーション。

マルクスはそんな観念的な生ぬるいと思わされたであろう1800年代の当時の社会状況から、行動を起こせと「共産党宣言」では粗野なアジを世界に広めたのだったが。(広めた黒幕がいたのだなぁ。何故、彼は資本論などきっかけを書き、エンゲルスが編集まとめたのだが、当時の英国にいながら国際金融資本の親玉のようなロスチャイルドのことを何故書いていないのか? 彼(ロス)なら世界に宣伝して日本まで資本論が大いに読まれるキッカを容易につくれたのではないだろうかぁ)

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ここまでだらだら書いたが、人がそう行動や表明をせずにはいられない肉体の奥からの欲動というもの。時代という環境があろうけれど、それに対抗して内なる不満欲求を表明しようとするその人間の欲動。そういう時代環境のもとで彼の何がそもそもそうさせたのか? 

それが、誰しもが本人意識せずに付与された?個性なのだろう。  次回・・・(つづく)



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