marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

古代からの人々を愛おしく思ったこと

2024-09-08 20:56:37 | 日記

この夏に部落解放運動をされている和田献一さんと食事を共にある機会があった。内容が内容だけに誤解されることもあろうかと短く感想を述べる。

それと同時に、 網野義彦の著作も気になっていたので読んでいたのだけれど、内容が繋がるものだったので、目からうろこが落ちたような和田さんの講演であった。前の本の参考文献にもこの本があげられていた。

東北ではあまり聞かない同和問題なども、それは関西が多いだけで東北にも地域にあるのだ(あったのだ)と、この地や東北では仙台でのあの地域では、などと町の名前を挙げられていたので、へぇ~あの場所が・・・などと、話が盛り上がってしまった。

それにしてもフィールドワークであちこちの場所の行っておられて、僕の住んでいる旧道の大きなストアーの場所には、昔の処刑場があったのだの、その場所に合った大きな仏像がそこから、これも著名な近くの寺の参道に移されたの、処刑された方はあの辺に埋められていると思われるけれど、などと言われると・・・おいおい、それであの参道の左の草地の場所が、やけに不釣り合いに手放しになっているのを不思議に思っていたが、その理由を聞いた思いだった。

この古代の人々の生態?なるものも考えて追求したいジャンルなのであって、派手に歴史にはとりあげられない巷のひとびとが、何故か愛おしく思われてきたのだった。

そもそも”ちまた”とは、住む場所の棲み分け≪彼ら≫との<地の股= 区分する領域> を意味するらしかった。

尊く用いられた職人、芸人、宗教人・・・誰かがやらねばならない仕事もあり、それらの人々が時代変遷により政治的にも大きく区分されて(差別)されてきたのだった、という見解である。

それが今も続いているというのである。

過去の街道に古びた能舞台が雨ざらしになっているを見かけたり、田舎には勧人おどりという芸能も残っている。それらを思うと派手に歴史には残らないが、多くの僕らに続いて来た人々が、たいそういとおしく感じられてくるのだった。