marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(368回目)アメリカ建国の父 第三代大統領ジェファソンについて Ⅹ

2017-06-17 21:01:22 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 30年前に購入して読んで今一度ピンと来なかった本の内容が僕の中で繋がったので紹介したい。これは、僕が求めているピューリタンの神髄とも言うべく”すべてのしがらみからの解放”である。プロテスタントでも人が集団となれば弊害が生ずる。アメリカの政教分離は旧大陸とは異なり、さらに進んだプロテスタント諸宗派の権力派閥からの解放から起こってきたことになる。
◆深井智明著「プロテスタンティズム」(中央新書)については紹介しましたがその中で、次のような文書がありました。*******
 「太平洋を渡ったのはピューリタンと呼ばれる人々であったが、彼らは特定の教派ではなかった。ピューリタンには長老派、会衆派、バプテストやクェーカーまでさまざまなグループがある。もちろん、彼らそれぞれの宗教的な伝統をアメリカに持ち込んだが、そこで最終的に構築されたプロテスタントの特徴とは、国家や政治的に支配者に依存しない教会の設立という新プロテスタンティズムの伝統にあった。」(p168) *************
◆しかしながら、自由な宗教を求めたにも拘わらず、また、お互いが反目しあうようになる **********
 「人間とは不思議な存在である。かつて批判していた者たちから自由になり、自分が権力を手に入れるとかつて批判していた者たちの振る舞いを平気でやってみせる。〔・・・・・〕社会の形成の歴史はアイロニーに満ちている。アメリカに移住してきた者たちの中で長老派や会衆派のような主流派のような主流派の教会に批判され、それ故に主流教会に対して批判的であったのはバプテストやクェーカーだけではなかった。教会とは無縁であった、あるいは積極的に宗教的勢力とは関わらなかったが、制度的な教会が社会に及ぼす強い影響力が平等な社会を形成することを妨げていると考えていた政治的な合理主義者たちもまた、アメリカで主流派意識を持つようになった長老派や会衆派にとっては厄介者であった。厄介者とはトーマス・ジェファーソン(1743~1826)やジェームズ・マジソン(1751~1836)などのアメリカの政治的な父たちのことである。(p170~171)************* ここでどうして厄介者と言われているのか
◆それで、冒頭に述べたその本とは、故ジョン・F・ケネディ大統領が、ホワイトハウスにノーベル受賞者たちを招いて催した晩餐会で述べた有名な言葉、つまり、これほどの「卓越した才能と知識の集団」がこの場に集ったのは、ジェファソンがここでひとりで食事をして以来のことであると述べた、その人、第三代アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンについて、かのアイデンティティーで有名なエリク・エリクソンの書いた「歴史のなかのアイデンティティー -ジェファソンと現代」(みすず書房1979年9月1日発行)である。
◆ジェファソンは1801年に民衆の圧倒的な支持を受け大統領に就任したが、つきものの中傷も彼の人間性や私生活、信仰に関してまでも攻撃を受けたのです。〔・・・・〕ジェファソンは「わたしは宗教については何も書かないだけでなく、滅多に話もしない。まして分別をわきまえた人間の集まり意外で話すことは決してしない」と述べています。〔・・・・〕事実、ジェファソンは生涯をとおしてキリスト教の公の行事や声高な宗派の論争を避け、いかなる聖職者の権力闘争にも組しなかったのです。「わたしは、腐敗したキリスト教というものが心底嫌いだ。しかし、イエス自身の純粋な教えは、それとは別だ。わたしはイエスが望んでいる意味でのみ、キリスト教徒だと言える。つまり、何にもましてイエスの教えを誠実に守り、人間のあらゆる優秀さが彼自身に由来するものであることを認め、主は、こうすること以外の何ものをも要求するものではないと信じている」とジェファソンは述べています。しかし、彼がこのようなはっきりした立場をとり得たのも聖書を慎重に精読して初めて可能なことだったのです。彼の慎重さは彼が身を置いた歴史的現実の中で人間としての完全さを求めた彼の闘いの特徴でもあった。〔・・・・〕こういう訳ですから、19世紀初頭アメリカ大統領が毎夕、ラテン語版、ギリシャ語版、仏語版、英語版の新約聖書を繙き、〔・・・〕どれがイエスの真の声として語りかけてくるか一行、一行自問している姿を思い浮かべて見る必要ががあるでしょう。彼は、こうした「本物」の部分を切り抜いてパンフレットを作り次のような題をつけたのでした。『ナザレ人イエスの哲学-マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる、イエスの生涯とその教えに関する記述からの抜粋。インディアンの理解を超える事実や信仰の煩わしさ記述抜きのインディアン用の新約聖書縮約版』と。 (p46-47 「山上の展望」から)
◆政治家であり、教育者、ナチュラリスト、建築家、聖書編集など、ジェファソンの思索と行為の全貌がギリシャ神プロテウスの変貌と例えられ新しい人間類型として書かれています。彼らのような人々の闘いが宗教性も異なる全世界の人々へも適応されるべく人類の普遍的なさまざまな制度を作り上げたきたのではないかと思われてきます。 ・・・・ Ω