marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(366回目)リベラリズムとしてのプロテスタンティズム Ⅷ(雑感)

2017-06-13 07:06:35 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
前回の深井智明さんの著作の続き・・・
ルターが宗教改革を行った(実際は本来のあるべき姿を神学的に問うた)にもかかわらず、聖書をひとりひとりが自分の言葉で読むことができるようになると、それをまた体系化して神学として組織論まで高めたのがカルヴァンさんでこの方なくては宗教改革は歴史に残ったかどうかだが、それがまた、時代が降ると様々な宗派に分かれて、お互いを拘束し始めるということに・・・それを保守(古)プロテスタンティティズムとして分類。本来、それらの宗教臭さから脱却するはずではということで、それをエイヤーとやったのがピューリタンでアメリカ大陸に飛びだしたこれをリベラリズム(新)のプロテスタンティズムと一応分類したのでした。現在のアメリカはかなり人間臭くなって、本来の清教徒の初期開拓精神スピリットからは遠く離れているようだが、本来は人間世界からも脱出という聖書の精神が息づいているもので、前回紹介の詩人ミルトンなどの見解は、今読んでも論文講義のテキストにでも採用されてもおかしくないような文章であると思う。
◆つまり、宗教改革のさらなる改革の徹底とは、どうしても人が集まればこれまた教派という”しがらみ”に気を遣うようになるので、神の創造されたこの地上のあらゆるすべての人間に対等に神の恩恵の理解がされなければいけないとかなり先を見込んだ考えであった訳です。(ですから、ここで伏線でまた、フリーメーソンのことを書くが、そのシンボルマークは1ドル紙幣の国璽マークとなっている訳は、すべての宗教を超越した最高神を信じて入れば、自由、平等、博愛を信条としていたのであるから、すべての人を受け入れる、これからの普遍的なしかし、将来の隠れた制度をもたらそうとしていたことが推察できる訳です。(例えば、普遍的な人権という思想など)
 敗戦国、日本の憲法はこのような流れの人が関与したものなのですね。ですから、日本国憲法は、普遍的な意味あいの内容が持ち込まれているのです。
◆保守主義としてのプロテスタンティズムの章に森鴎外が当時のドイツの神学事情を述べているところを面白く読んだ。日本と言えば神学などの言葉すら何だろうという具合の時代状況。それは今にも影響を及ぼしていることになるわけですね。キリスト教の宣教は、アメリカからが多く影響を受けたにも拘わらず、神学などのキリスト教はドイツのかなりの影響を受けているのは、日本が天皇制を仰いでいるので英米よりはドイツに親近性を見出したからなのだろうか。
◆このリベラルな考えは、メーソンと言わず現在までその仕組みとしての考え方があらゆる事柄に仕組みとして入り込んでいると考えられる。昨年8月16日の95回目のブログを読んで欲しい。ISO9001という品質システムの要求事項(これはものつくりの品質システムの認証である)には、アカウンタビリティー(説明責任)という言葉がきちんと書かかれている(英語も表記)。これは、深井氏によってもきちんと神学用語であると書かれている。(p185)まさに、宗教臭さ、しがらみからの脱出が今や垢抜けして、すべての人が健康で、安全に、また合理的な生産などにも転用されそのシステムとして全人類に普遍性をもたらし始めているのである
◆とすれば、そこに生きる「新しい人間」は、常に生まれつきを選べない選択肢の中で、自分の十字架を負って、自らの「呪術からの解放」を目指して、永遠の命を持つイエスと同時性を持っていついかなる時も生きなければ、これからは生き延びていくのは非常に困難な時代になっていくと思われるのである。(と僕は思っている)
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 「アメリカの企業では、アカウンタビリティーという言葉がしばしば用いられる。日本では説明責任と訳されるが、企業や学校は常に自らの業務について説明責任性が求められる。そしてこの原則は説明できないことはしないという行動の基準や倫理性を生み出す。これもまた新プロテスタンティズム的なセンスであろう。アカウンタビリティーとは神学用語である。神の前での最後の審判に於いて、人間が天国行きの最終決定を受けるために自分の人生についてのアカウンタビリティーである。神の前に人生を説明してみせるのである。神はそれにもとづいて判断するのであるが、人間にとっては、このときに神の前で言えないような事は自分の人生の中でさまざまな決断の際しないことになるので、まさに人間の行動の倫理規範になる。それだけではない。これはまさに最終的なアカウンタビリティーであるが、ピューリタンは毎日、信仰日記というものを書くようになる。そして、自分の一日の生活を振り返るのである。いわば、この信仰の習慣の世俗化版が企業のアカウンタビリティーなのであろう。」(P185)「プロテスタンティズム」(深井智明著 中公新書)・・・ 近々お会いするのでサインをこの本にもらおうと思う。  ・・・ Ω