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marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その6)生きている過去の歴史に生きる人々:今も深層で流れるシリアスな話

2023-07-03 09:30:49 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 書き続けていることは彼らの語りである。

あのエジプト脱出時に、モーセが書記官のDNAをもつ彼ら多くを各部族毎に就任させた。その後、彼らの多くは知られる預言者の記録者となっていく。あるときは一人で、あるときは集団で。

古い話で僕らには関係ないと思わないで欲しい。世界に派遣された我ら(彼ら)は、時代を経たこの時も人の思考に影響を及ぼしているからである。そしてこれからの世界のことにも・・・。

屁理屈めいて書かざるを得ないのは、過去と未来とそしてそれを思う今の自分を意識(言葉)でつなぎとめようとするからだが、今のあなたらにはさらに訓練が必要である。

それは人社会で相手の意見がすぐに完全に分かり合えるということがないように、我らへのコンタクトにはささやかなコツがあるからである。生まれも育ちも異なり、まして人生に主題を与えられて居る者にとっては、なおさら周囲から理解はされないだろう。

我らが地上に増殖した人に言葉が与えたのは、人に地上における責任を与えたからである。今も生きている我らの真意を探ろうとすればもっと知識がますであろう。その多くは暗いが、我らにつながっていなさい。希望は我々があたえるものであるから。

文字という記録になさなければ人の記憶は留ることができない。神の言葉を聴き、あるいは預言者(神の言葉を預けられし者)らの声を文字に記録留める。誰が書き続けてきたのかをいつも思うがいい。その時、我らは語るであろう。

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あのエジプトでモーセの脱出のきっかけともなったであろう、ファラオ、イクナトーンが唯一太陽神への切り替えを決めた。それを阻止しようと大騒動起こしたのは、彼ら今までの神人、書記官らであった。

すべてが新しなった。神が日々、命あるものを生かす唯一の天空に存在する太陽に切り替わったのだった。我らが創造した人らが我らの世界(天)に帰還する予兆が始まったのである。

従来からの教えに固辞する多くの神管、書記官らはファラオの今までの栄光をそのレリーフからそぎ落とした。その痕跡が今もかの遺跡には見てとれる。

他方、その騒動に乗じモーセにしたがった書記官らの多くはその後、時代を経へて世界に広がったのである。姿を変え、あるものは高度に姿まで消して世界に広がって今も生きている。その流れ着いたDNAの痕跡はあなたの国で太陽神である天照大神として残っている。

無論、あの脱出時に旅した一世代は死んだのだが、彼らのDNAは生きて引き継がれたのである。彼らの思考、策略は時代をへて良きにつけ悪しきにつけ採用されていく。この思考策略は、彼らのDNAの祖、あのヤコブ(イスラエル)に由来するものである。

神の言葉とその歴史を書き留める者らの責務をモーセと神は書記官に任命したのである。言葉の宗教でもある。我らの当時の顔は先に掲載したとおりである。彼らは肉体は地上から消えたが生きている。再度書く、この思考策略は、彼らのDNAの祖、あのヤコブ(イスラエル)に由来するものである。

アブラハムに神は応える、世界に広がる多くの為政者があなたの腰から出るであろう。空の星を見よ。そのように世界に広がると。さらにヤコブにも神は応える。

『お前の子孫は地の砂のように多くなり、海の方に、南の方に、北の方に、そして東の方に広がり、地のすべての部族はおまえとおまえの子孫によって祝福される。そして見よ、わたしはおまえとともにいて、おまえがどこに行こうと、おまえの全道中を守り、おまえをこの地に連れ戻す。わたしはおまえに言ったことをすべて行うまで、おまえを見捨てるようなことは決してしない。』(創世記28:13-15)

無論、この国の過去の歴史にも見ることができる。彼らの策略の真相を今の良心の判断で安易に判断すれば驚かれるだろう。

古来、長い時代を経たてこの国にたどり着き、この国という概念を創作するのは、彼らが自国での最も統一され繁栄された時代のありようを言葉で表した彼ら、古代から部族(当時は500ほどもあった)の神官らのDNAがこの国で自我に目覚めたのは日本仏教の起こった時代、まさにあの鎌倉時代であったである。

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モーセ脱出時の紅海が割れた話であるが、太平洋対岸のペルー地震により引き起こされた津波が日本に到達したように、サントリニ島の大爆発と島の沈降により引き起こされたものであることを語り今回は終えることにしよう。・・・👽


(その5)過去の記憶に生きる人々。彼らは何に拘ったのか? それは何故か。

2023-07-01 06:06:06 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

さて、話を戻すようだが、人が物事を理解するとは様々な前提があろう。彼らのように今でもそれを継承する人々は、何を持って受け入れたのであろうか。

2000年以上も前の言葉が、今も生きているという・・・それは命あるものに、つまり地上でいつかは必ず消滅する運命にあるものに対して、今も訴えているというのである。

それによって生き様まで変わってしまうというその言葉を受け入れるということは、かなり危険なことではないだろうか。それは自然に人として生まれて、それさえも根底から考えよ、と啓示されるということは。

始源に選ばれた彼らは、その生き、動き、働いているという至高なるXの言葉(ときにそれはロゴスと言われる)を人の限界のある理解を律法として固守してきたというのであった。人の世界のすべての決まりごと、つまり契約を守るということの始まりはここに由来する。

目に見えない契約の相手は、畏敬すべき、契約を守れねば不遇の代償が降りかかるという命の提供者であったのだから。

しかし、命に限界のある地上の人にそれを維持することは不可能にちかいことなのではないだろうか。普遍の変わらない生きた言葉といわれても、地上の命ある人にとって目には見えない啓示始源の言葉の提供者の本意を理解することは、殆ど不可能に近いことなのではないだろうか。

先にも書いたこの疑問は、その言葉に接していくにつれ、常に誰しもに起こってくる疑問であった。

その生きて働き、動いている観念的思考というべきことを、地上の命あるすべての人に理解してもらい信じてもらおうとするのに対し、言葉をゆだねられ選ばれた彼らが、人の歴史の中でその役割を担うこととなったのである。

言葉を与えられし特権をもつ彼らは、その言葉を理解しない者らを『異邦人』と呼んだ。逆にその異邦人らは、一般に彼らをユダヤ人と呼んでいる。・・・


(その4)過去の記憶を継承し続けた記者たち(われらも彼らに覚えられるのは)

2023-06-30 06:06:06 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 深夜2時ころ現れた。そして語った。誰がそのストリーテラー(語り部)なのかを知りたがってますねと。

すでにあなたの前に現れたでしょう? 折角ですから、昨日紹介した七十人訳ギリシア語聖書(LXX Septuaginta )から我らが書かれた部分を紹介してあるから読んでみなさい。そこには『書記官』と記載されているのが我々である。

◆申命記第1章の15節 モーセが役職者を任命

『わたしはおまえたちの中から、賢くて理解力があって思慮深い者たちを受け入れると、彼らをおまえたちの指導者、すなわち千人隊長、百人隊長、五十人隊長、そして十人隊長として、またおまえたちの裁き人のために書記官としてたてた。』

◆申命記第16章の18節 正しい裁判

『おまえはおまえ自身のために、おまえの神・主が部族ごとにおまえに与えるおまえのすべての町々において、裁き人と書記官を任命する。彼らは、民を正しく裁かねばならない。』

◆申命記31章28節 神の最後の指示

『おまえたちの部族の長たちとおまえたちの長老たちと、おまえたちの裁き人と、おまえたちの書記官たちを、わたしのもとに呼び集めるのだ。わたしがこれらの言葉すべてを、かれらの聞こえるところで語り、彼らにたいして天と地を証人として呼び出すためである。』

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我々、モーセがエジプト脱出の際に賛同し、ともにあったかの地でモーセに現れた神に同調し、共に生涯をかけて歩みを進めた彼らのDNAをもつ者らであったのである。・・・


(その3)実態として存在するようにそれに著された神(かのXの大元締め)は誰なのか?

2023-06-29 06:06:06 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

時代が来ているなぁ。アメリカのブリンケンと会談した中国の外相は秦剛(チン・ガン)である。ここに君が話してきた秦氏の漢字があるね。中国という国の統一をまがりなりにも行ったあの秦という国の画策者大集団の末裔だ。古来、日本に来ていた秦の国の末裔らは、名前がそのまま秦を姓(かばね)に用いている。『はた』さんとか、『ジン』さんとかの発音で無論、この国におられる。分家は多くその名前の響きを引き継いでいる。羽田とか、畑とか、畠とか・・・。人望があったり、知能が高い方が多いように思う。

それで、添付の写真に写っている坊やの下にある旧約五書のギリシャ語訳、聖書学者の秦剛平(はたごうへい:<日本の方です>)氏も旧約聖書ではヨセフスのユダヤ戦記などを訳されているし、その道の泰斗。でも、スタンダード路線からは高尚すぎるためかメジャーな冊子にはあまり掲載されない。それから言えば、田川健三という聖書学者は極左であろう。学生運動が華やかなりし時代、多く読まれたのではなかったか。彼の本はベストセラーがある限り、きっと読まれ続けていくだろうなぁ。

彼はギリシャ語の権威なるが故にというか、かのアインシュタインが『宗教なき科学は不完全であるし、科学なき宗教は盲目である。』と語った意味合いや、あのニーチェが『神は死んだ』と言わざるを得なかった・・・その他もろもろの歴史上の賢人たちの言葉について、この信じるという烏合の衆の宗教心理に関わるすべての弊害、人の不完全を了解しながらも生きている神を信じるというその行為において、悪魔に隙を与えないためにも、ひととおり聖書を文学として学んだ方には必読の書である。前書きでもあとがきでも、彼の本を宗教コーナーで見つけたら立ち読みされるといい。ひっくり返ります!!

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それで、どうしても聖書を学ぶ人は、神の言葉を聴こうとする行為の中で、地上の不完全な人の言葉、その解釈などはそいで自分の言葉で生きている神の声を聴こうとする欲求に満たされていくものです。人の存在の多様性について決して、すべての命ある人に適応されるものではなく、まして強制や人為的推奨は最終本人の決意にゆだねられるものですが、一通り聖書の神の歴史を学んだあと僕は、とても彼ら(X:神、神の使い、天使、主と呼ばれる方)に会いたくなったのである。歳相応になったしねぇ。

肉体が地上から、つまりあなた自身から離れる時、我らの基にこられるよ、とのお墨付きはいただいているのであるけれどもねぇ。あからさまに時代は、終末に向かっていると思われる昨今であるから。彼らは福音とは何かをまず真摯に学べという。

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<ここに、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」霊も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。>(ヨハネ黙示録14章13節)・・・


Uとの会話(その10):家康が天下統一をとれた真相、時間が迫るも理解する人は少なく、X 彼らは来ていたんだけど

2023-06-26 15:37:44 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 E:

お前のはくだくだとなげ~んだよ。なげ~のは誰も読まねーぞ! 我らがこの国に長い年月を経て派遣されてきて、まぁ、この国ばかりでなく他の国・・・、国と言っても我らの仲間がシナリオを書いてきているものなんだが、どうも読んでくれてる人はあまり信じていなくてお前さんが書いてきたことがフィクションと思われているようだし・・・我らが語り、それであなた自身がそうだと思って書いてきたブログの内容・・・あの内容だけれど。

話を大きくすればまたフィクションだと読者は思うだろうからヒントをあげてそれを調べてもらえば気が付く人はいるだろうけれど。その話にも読者の推論が必要というわけである。それは、彼ら(黒子と書いてきたX)がこの国に来ていたのだという証拠であろうと。んで、初めての方にあらすじを言えば・・・おい、又、長くなるのかよ。しかし、・・・最後まで読まんと秘密は解けないもなの!

D:

世界のベストセラーに書かれていることが、そのとおり天地創造以来、目に見えるにつけ、霊的に見えぬものともなり、古代はシャーマンや預言者にも憑依し、ある時代は人としての偉人を作り、宗教者をたて、思想哲学家をもつくり、その派遣された彼ら(我ら)が時代をプロデュースしてきたということを知ることである。

聖書に書かれた民の歴史は、まさに我々の摂理のありようをそのように(書かれた通り)あしらってきたという一つの大きな理由による。それは、我らは生きて働いて存在しているという一点である無論、今もである。人が存在する限り、我らは存在することを忘れるな!。コロナ感染が流行り、ウクライナとロシアの戦争が起こるという今においてもである。【霊を操るは、人を創造した我らである。だからこそ、雑多な人殺しの霊もうろつく中で、聖霊に繋がれと強く今も勧めているのだ。】それはさておいて。

彼らは順次、太陽を求めてひたすら時代をへて、この国にたどり着いた。君が言うところの今もyoutubeでも盛んに見ることができるユダヤ人が古代この国に来ていたということであった。ここで何をもってユダヤ人というかは別にする。強いて言えばその思考、戦略と言える考え方であるが。その系統、彼らがこの国を統一しようと目論んだのだから。どの国の成り立ちもそうだが、第一、改良すべく素材としての民が一番、我らの気質に合っていたということ。それは目に見えぬ信仰心というものであった。

旧約聖書で読みずらくなる記事中に列王記や歴代誌がある。彼ら12部族はその後に北イスラエル10部族として、南ユダはユダ族とベニヤミン族2部族として分裂。紀元前700年以上も前の話である。先に北がアッシリアに滅ぼされ、その後どこへ散らされたのか、東に向かい、その多くがこの島国まで来ていたという訳であった。大いに貢献した彼らの中にも、列王記などにみられるように彼らの間にも相克争いがあった。ここが重要で鎌倉時代以降の部族間の争いはここに起因するといっていい。

それぞれの部族は割り当ての地のないレビ族(今で言えば神官)を抱えていたのであるから。彼らは修行をし仲間内のネットワークは各地に及んでいたのである。今も世界中の信仰心のある正当ユダヤ人は、あなたが今、書店で買える(旧約)聖書内容はすべて熟知しているのである。誰がそれを書かせたのか・・・忽然と第三者として実態として現われ、語り、あるいは夢にも現われ・・・

彼らのその活躍は大いなるものがあった。日本の国の歴史に名を遺す武将が一人で活躍した訳ではなく、歴史に残らないサポートした彼ら多くの背後でのネットワークが多数あったのである。古代、北にはじかれた彼らは、山形県の出羽三山である月山、羽黒山、湯殿山は彼らの時代の頂点をなした山岳信仰の山であった。朝廷側に反乱を起こした平将門の建てた五重塔があるのは故無きことではないのである。彼をサポートした菅原道真は、なぜサポートしたかも推論がつくだろうけれど、朝廷側から大宰府に飛ばされ学問の神様になった。

先に来ていた東の武士が、西からの朝廷側に従事し国司となって古い部族を制覇していくも、忽然と自らの地位や宗教に目覚めた時代が鎌倉時代であったわけである。もともと地位の高かった朝廷側にもその生業には、古来の大国主を排除し、蘇我氏や秦氏や割り込んで天皇を飾りとして入り込み我が世に曇りたるものはない月夜のように我が天下と呼んだ政治の天才、藤原氏などは、古来からもともとその血をDNAにもつ者らであった。

それぞれの部族には、上に王を立てようとして、なぜなら、あの国を統一したダビデ、ソロモンの下地があったからなのだが、その画策も神の声を聴き、筆記者の預言者たちが背後に大いに支えていたからなのであるが。だから、この仕組みが、あなたらの国の天皇制に引き継がれていうと言っても驚かないだろうけれどね。国の形成には、頂点、それも人民が精神的なアイデンティティーを持つためのシンボルが必要という訳だ。

話がまた、また長くなるからあとは、読者の見解にゆだねよう。調べていくと何を言いたいのかわかってくるであろうから。

Q:久能山東照宮の奥の院には徳川家康の位牌を中心に左に織田信長、右に豊臣秀吉のそれがまつられているという。ググって見てくれ給え。それはなぜか、なぜ、その山に天下統一、この国を260年も支えた初代徳川家康が祭られているのか。

そこには古来から君が日本に来て、国という概念さえなかった古代に将来の国を統一しようと画策していたこの国への渡来した帰化人らが、そしてストーリーを造り上げ天下統一を成し遂げることができた彼らの歴史(文字)には残されていない彼らの動きが盛んにあったのであろうこと、彼らがこの国に渡来して以来の彼らが生きて働いていたであろうことが見えてくるだろう。

*********久能山東照宮をググると・・・

推古天皇(592年- 628年)の頃、秦氏の末柄にあたる秦久能忠仁が久能寺を建立し、奈良時代の行基を始め、静岡茶の始祖といわれる円爾(聖一国師)など、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめた。

  久能山東照宮の奥の院には、徳川家康だけではなく、織田信長、豊臣秀吉の位牌も祭られている。その理由は、家康が彼らに対して敬意を表したかったからだと言われている。家康は、信長と秀吉の下で武功を挙げ、天下統一の基礎を築いた。信長と秀吉は、家康の恩人であり、ライバルでもあった。家康は、彼らの功績を讃えるとともに、自分の正統性を主張するために、東照宮に位牌を奉納したのである。

*******その他、調べて欲しいことがある。

今も政府が海外記者クラブなどで会見するときの講壇に掲げられる紋章『五七の桐』。これは鹿島から朝廷画策にといってもそういう国作りをしなければと目論んだ、(先人の蘇我を征伐して)藤原一族のものであろうと。鹿島神宮は東を求めてこの国にたどり着き行きついた端っこに大きな神を礼拝する神社を創設した血筋のある彼らの一族である。香取神宮を調べて見たまえ。この社の紋は『五七の桐』である。菊の御紋に次ぐ天皇由来と言われる紋である。

もっとも出世したつまり官位頂点を極めたと言われる豊臣秀吉の肖像画の羽織の紋もこれ『五七の桐』である。彼は、自らの地位に目覚め朝廷側から手に負えなくなりつつあった、権力体制を一応、全国制覇し、朝廷側へのヒエラルキーを曲がりなりにも戻した功績によるのだ。誰が、なぜ、出世させたのか推論されたし。

織田信長は『五三の桐』である。彼の肖像画の羽織の紋も見たまえ。家系は、忌部氏という祈祷、つまりあの国の預言者系統に属している。本来の表だった紋は織田木瓜であるけれど(かといって当時は結構、紋は持っていたらしい)。彼は、天皇が引き入れたが故の仏教の当時の体たらくにカツを入れたのだな。宗教が国の頂点に保護されていかほど脱落するものかは実にひどいものだった。それでの比叡山の焼き討ちだった。これには、大きな背後での策略があったのであるという。本能寺の変で亡くなったと言われる織田信長の首は、見つかっていないのである。焼け死んだことになっているが首検証がなされていない。明智光秀も、その首が取られたという記録がない。

これから言えば、話が遡って我らの筋書きで古来からヒーローとなった源義経。お堂にこもって自害したと言われる義経、焼けるお堂の中に敵を入れまいと家来となった仁王立ちになった弁慶の話。義経は北へ家来と共に逃避行、北海道のアイヌまでその地に渡った彼のことを知っていた。かの弁慶はあの熊野信仰の修行僧でもあった。ご存知のとおりこれは大変な地の利も周知する修行信仰集団。壇ノ浦の合戦での勝利は、やる前から決していた。義経側の船団は熊野信者の船団であったのである。この先手、地の利、天候なども含めた勝利の戦略。そして後々までのこるヒーローの物語。

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この国は本来、唯一の神、創造の神の基にあるというのは、我らが人を造りし神、地上に派遣された彼らのDNAを持っているからである。

ちなみにこのストーリーは長年創作された古来から彼らの背後にいたXにより創作されたものであることを知る者は少ない。日本の歴史も本当のことは分からないものは文字でこれこれである、と明示されればそれがそのとおりであったとなるのであるから。彼らはそういう意味で人の生業の後々の形成にされていく真の姿というものは、形造ることができるのであるということを知っていたのである。

いずれ、鎌倉時代は、西ばかりの貴族政治から、東の武士らによる貴族政治の批判がおこり、全国目線での本来の全国統一の始まりが起こっていたということである。古来ユダヤ的発想のDNAを持つ藤原不比等らの『日本書記』などは京の天皇を喜ばせるのは良かったろうけれど、江戸時代までは目もくれらていなかったわけは理由がないことはない。文字として総括して、この国のなりたちはこうであると、文字であらわされた時、天皇はそれはいまでも全体を知ったようになれば気分的には、俯瞰して悪い気持ちはしなかったであろうから。

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そこで、徳川家康である。三者のストーリーが我らの壮大なXに物語られ、ようやくこの国の基盤の長い本来の天下統一がなされた背後に久能山に収められた三者の位牌があることが理解されてくるだろう。

ここに学生時代から追い求めて来た、君の好きな『秦氏』が出てくるのである。古来、聖徳太子のブレーンだったのは秦河勝だったのは高校日本史にも出てくるねぇ。古来、表立った戦は好まず、多数の技術集団でもあったその部族を受け入れてくれた当時の天皇に多くの貢献をなした集団である。東北のあらゆる名前がある『八幡』(はちまん、やはた<ヤー・ハタ>)。八幡神社、稲荷神社はキリスト教徒だったと言われる秦氏が開祖創設したものである。

東北の地には実に多くの『八幡』の名前が神社ばかりでなく、町や山の名前まで付けられている。東北の地を治めるために派遣された八幡太郎義家(源義家)が、歩きまわってところに由来するものであろうことが理解される。あなたの生まれた田舎にもその神社があるだろう。

徳川の菩提寺である浜松町、大門にある芝増上寺は、浄土宗の法然が開祖である。その弟子の親鸞の浄土真宗は、キリスト教の教えにそっくりだ。親鸞は漢文でマタイ伝を読んでいたのは確からしいし、浄土宗は大陸で善導とう方が開いたというが、当時はすでにキリスト教はあの大陸で大いに栄えていた歴史もあったのである。法然さんの両親は、秦氏の家系。父は漆を扱う職人で漆間国時、母はハタオリ職人で錦織といった。

・・・もう、いいだろう。つまり、我々は、今生で我らの国の由来をある一面から学んできたわけだ。今まで読んできてくださった方。少なくとも触りでも何を言いたいのか、理解されようとしたくれた人々を我々は決して忘れることはない。

一時でも、時折、我々との会話を思い出して欲しい。その時、我々はあなたの傍でまた話しかけるだろうから。・・・