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marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その21)『光の君へ』:この国を形成した渡来人DNAをもつ影の黒子たち

2022-12-05 23:43:48 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 (宇宙人👽E:が帰って来た)しばらく影を見なかった彼が再来した、と突然、何やら物知り顔になっていてしばらく、くだくだ独り言をいいつつ、その延長でしゃべりだした。前回からよく聞く、なぜ、しばらくいなくなったり出てきたりとするのはいずれ説明するという。それは、我々自身にあるらしかった。

地上の人が創造されたとすれば、その人の仕組み、そのプログラム(有機体にそのようなものがあるかどうかなのだが、彼にしてみれば、君らのつまり僕らの科学においても厳密に細かな粒子までは知られているのだから・・・あとはその電子・粒子というか、まぁそのような物質までは把握できるのであろうから、それらのプログラムはあるということであった)、それからその人の集合体、そして自然も含めた影響感化された後の人の思惑の全体の流れなどのシナリオ、いわく地球のドラマはの筋書きがあるということなのであった。

それで、と言いつつ、この国のなりたちもいろいろしゃべりだした。いままでのEなのか、酔っているのか(宇宙にそういう現象があるのかは知らんけれども)話は支離滅裂のようで、言いたいことはさらに推察しなければいけないようなのであった。

神につまり我々の統治者に似せて創造されし人のありようというのは、つまり地上のドラマを演じて引き金を起こしているのは考察すれば分かるというのである。しかし、それらは決して表にはあからさまに出て来ないので、というより演じているものが強いて隠しているので推察するしかないということなのであった。といっても地上の君らが神と呼ばれるものは、実に多数うごめいる我々なのだが・・・だからこそ唯一の神と言われる至高の存在が必要なのだ。

君ら目に見える地上のドラマのプログラムの真相は隠されている。本当の事は知らない方がいいこともある。時代が異なれば処置判断も困るであろうし、知っている者だけが処置判断をするという時代であったのだから。だから悪い意味ではない。第一、自分の子供に世界の裏の真相は話さないだろう。それと同じことだったのだよ。

この国の本当のことなどね、第一まともに話せる人と言う者はいなかったろう? それで、出て来ても決して国からの権威付けは行われないことになっている。それにだ、若くて才能のある言葉の専門家などが巷に出てくると、この国は彼らを学者であれば潰すし、文学者であればよいしょして様々な国からの勲章を差し上げて国の体制側に取り込んでしまおうとする。

日本学術者会議などで人選がいろいろもめて問題が起こったのは、まさにそれらなのだね。今も存在する黒子Xたちの画策。体制を維持しようとする権威なる大政翼賛会もどきなる動き・・・。それは昔からいるこの国の朝廷側に立つ者達。東北にいる者達は、その昔、彼らに押しやられたもの達が逃げてきた場所でもあった。

だからこそというか、それだけに天皇制が画策される以前のグローバルなといおうか、まともな政治思考を持つものたちも多かったのである。歴史上そういういきさつから貧しかったけれど。結局、有能な人材を配輩出しても使われる側になっていたのである。

歴史というものは、その当時に我らも生きてはいないので、時代現象から文字となった結果として残された文字を解釈するしかない。それで権威ある立場の者がこうであったと文字にしてしまえば、言葉のない時代においては大変な権威をもつものであったのである。つまり、嘘も文字で語り続けられれば本当にあったことになる。

 あるいは、あからさまに言いにくいものは、神話、物語として大衆に語り告げられる。それはおとぎ話に変えられて信憑性はますます事実から話されていく。しかし、この国には神を畏敬するという先行部隊が各地域にいたからね、その理由もこの国は日ユ同祖論(日本とユダヤ人の祖は同系)などと言われる理由である。

この国のおおもとを文字として著しつづけ、背後にある黒子Xとしてこの国を支配し続けた一族を紹介しよう。その前に、今まで黒子Xと言ってきたのは、神と呼ばれるものからの上からの啓示(ここで神が宇宙人であるかどうかは言葉の問題で不毛である)によるかいなか、天地創造来としてその記事を世代が変わっても書き継いできたもの達でもあることを述べておく。

第一、書店で買える君らが読める世界のベストセラーの聖書その内容は、文字や訳が異なれど(教派によって誤訳や歪曲があるが)同じことが書かれているのである。世界中で読まれていることは驚きではないだろうか。人類の世界のことも、人の死後の行く先も書いてあるというのだから。

モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)と呼ばれ彼が書いたと言われるものだが、彼が死んだことまで書いてあるのは彼が従えていた今後も書き続けられるであろうが、その筆記者たちが代表格の黒子Xたちなのである。最大の預言者イザヤもそうである。読めば一人であったように思えるが、長期に渡る未来も予測するその内容は第二イザヤ、第三イザヤがいたであろうと言われている。

*****『光の君へ』:東へ向かったこの国の土台形成を造ったと言われている歴史上に現れたかのDNAをもつ黒幕達

藤原氏の栄華 『この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたる事もなしと思えば』 藤原道長   

彼が娘威子を後一条天皇の中宮とした時に読んだものである三人の娘をそれぞれ天皇の中宮とした喜びを表したものだとか。

当時の藤原氏には全国の荘園の大部分が集中していた、経済的にも欠けたることもない状態であったんだが。道長の子の頼道が平等院鳳凰堂を造る訳なんだけれどこれは、定朝作の阿弥陀如来座像は高校の修学旅行で見たもんだった。けれど、これなぞまったく個人の物であったんあだからねぇ。畏敬の念などは全然おこらなくて、芸術品としてのそれ、文化遺産ぐらいにしか見ることができなかったな。

先に書いた古来文学者らが旧日本名文学と翻訳もたびたび出される源氏物語は、今から見れば道徳的にも理不尽ではないかとの内容の光源氏とやらの貴公子がでてくるが、これは、文学的才能があった道長の娘らの面倒を見る女官でしかも、バックサポーターが居なかったの紫式部のパトロンになってドンファン文学を書かせて、話題とその上、暇な天皇に欲情をやんわりとも持たせ、娘らを嫁にもらってもらおうとする策略(「魂胆」)だったわけで、まんまと道長は自分の娘らを天皇に嫁がせていくことに成功するわけなのであった。

こちらは、一条天皇に自分の娘の彰子(中宮彰子)を嫁がせることに成功、せっせと寝床に足繁く通わせたという話。実は、一条天皇には先妻の定子(皇后定子)がいたのだが、その彼女に仕えていたのが『枕草子』を書いた清少納言だったという話。多くの女性がそれぞれの各地から選ばれ宮使いをしていたわけ、昔はそういう時代であった。

世界三代美人と言われる秋田の小野小町もそのような一人だった。まあ、当時から宮廷に仕えさせるような女性を地方豪族や、また派遣先から良さそうな女性がおれば、献上品として?宮廷に贈呈させれば、その親たるも又、その地方も誉れ高き威厳が一応は保つことができたという訳であった。歌はともかく美人だったから何やかんやと話題性に上らせようと六歌仙のおひとりになられてしまった。『花の色は移りにけりないたずらにわが身よにふる眺めせしまに』小野小町(・・・これは余談)で、悲哀な詩が多し。

そういう訳で娘らが嫁いで子を産めば、自分の孫が天皇になっていく可能性があるわけで藤原一族はこうして思いのままに操ることができる訳であった。以降、藤原氏の栄華が続くわけである。これぞ、人という心理も読み込んだ時間をかけた画策である。これを「魂胆」というかどうか・・・。

そもそも・・・とここで、政治的天才の藤原の祖、中臣鎌足からして、実は正面の顔は歴史上に残るが、文字となる歴史をも残す才能がある立場にいたわけだから、蘇我一族が仏教を取り入れこれも自分の娘を天皇に嫁がせ、その配下で横暴を振るおうとしていたのに対し、事実自分ならもっとうまくやると決して表舞台で手を汚すことはせず、策を練ってけしかけて最終、厩戸皇子(聖徳太子)一族も滅ぼしてしまったのが実は藤原一族のDNAなのである。

今まで黒子XとかDNAとか、書いて来たのはその思考方法なのである。藤原氏は、その後の律令政治からこの国の日本書記などを書かせ、この国の形成に大きな影響を残したのである。今までの煙たい古来からの地方豪族をよいしょして神々に祭り上げて、つまるところ出雲や北へ追い出してしまったという訳なのであった。

今もそうなのである。古代の歴史の深層を知ると、我々が学んできたこの国の歴史とはなんだったのか、強靭な虚構の上に築かれてきたものだったのかという錯覚に陥るように思われる時がある。彼ら一族が古代各地の情報をいち早く手に入れるために藤原姓をもつ輩を寺に派遣した(あるいは創建させた)のは理由のあることであった。

 写真は処分される裏手山の大きな由緒ある寺にある処分される彼らからこの地に派遣された者のお墓である。

さて、その思考方法なのであるが、これが延々とあの地から来たユダヤ的思考なのだと思ってしまう訳。紀元前に離散せざるを得なくなるあの失われたイスラエルの10部族がこの日本に流れ着いていたのではないかという話。確かにいろいろ拾い集め、とってつけたように話を造り、ユダヤ陰謀論とか、日ユ同祖論とかあるけれど、そういう大雑把な大前提から見るのではなくて、それにここで時折、ユダヤ人などと言葉では用いるが、決して人種ではなくてその思考法を言うために用い出している言葉であることを断っておく。

彼らが信じてきた聖書(旧約聖書)の内容の天上の古来の神と言葉を交わす預言者(日本では世襲制の神主)としての思考方法をいうことを一応お断りする。では、その起源は何処に有りやと問われれば一応、12部族の祖となるヤコブであるということになる。神はアブラハム、イサク、ヤコブの神であると常に言われる。この中でヤコブだけは、そうにも聖書を読んでも今の常識から言えばずいぶんこれほど自分の事しか考えてもいない者が一応良心的に(これは地上の肉的判断ということになるのだろうが)考えて、神に選ばれていいものだろうかとも思ってしまうのであるが・・・。

それは、第一に生まれる時から、おれが先だ、おれが先だという意気込みで?母の胎から出てきたこと、部族長の権利を親父夫イサクをだましてエソウから奪い取ってしまうこと、逃げた伯父のところでは自然の摂理に操作をして(利用して)家畜を増やしていくこと、伯父から解放され帰郷する途中に神の使いと相撲をとり、俺を祝福しないと夜が明けても離さないぞ、とけしかけることなどである。

つまるところ、人の心や自然流れの先を読んで自分に利が働くように環境を造りあげるところ、最後には神の使いに祝福せよと脅しをかけているところなどである。これは驚きではないだろうか。「神と人に勝利したから、お前の名前をイスラエルとせよ」と神の使いに言われたのだったから。

悪く解釈すればであるが、行く先に穴を掘って、目の前に餌(にんじん)をぶら下げて、食べるのは自由ですよ、というような策略を相手にやることも行うのである。彼らの情報網も凄いことながら、どんな危機においても最後は自分の利になるように策をねり情報を張っておく。その国に魅力が無くなれば(神の意図にそぐわなくなれば)その国を解体までしていく。

本来、タケミカズチの神は戦いの神であるから、戦争状態となる緊張感がたまらんのだ。優位性をもって勝ち進んでいく、これは気持ちがいいものだ。そうして支配欲を満たしていく。雄という生き物だけでなく雌といういきものも排他性や優位性という感情を誰しもが持っているものである。それは戦略という思考的考えにもあるものだ。つまり、脅しをし、内部から周辺から引き起こし、それに備えましょうとやる訳である。我らは勝利するのであるからと、そこまで準備しておいて・・・

こういう思考法は現前とある。(ex:竹○○蔵はハーバードであったな。ハーバードはユダヤ人の巣窟であると嫌う評論家もいた。)

古代、彼らの情報網はどうしたのか。何度も書いてきたが役行者(神々の話の布教)や山々で修験者の大きなところには食いぶちや土地までも与えられて居たから、国中を歩き回りそこに集い、情報を交わすなどは日常のことであったし、たまに際どい政の行く末を決定するような重要な情報や、その利用で彼らに徒党を組ませ兵力に加担して大きな背後での黒子Xなどであったのである。各地にいる神人(ジニン)、建てられた神社にネットワークを張って情報を一族に利するように画策する。当時のプロパガンダを担ったのである。

朝廷制度に係わり周囲の豪族達を従え国の統一を諮っていく。それは旧約聖書を読めば推測がつくのではなかろうか。歴代誌、列王記などは、一つの国の王としての歴史が書かれているが、割り当ての地にあった、それぞれのヤコブ(イスラエル)の12部族は、それぞれに王(ここでの王は小山の大将程度の意味)にそれぞれ預言者(神の言葉を預かるもの、日本では後に世襲性の神主)が居たわけであったから、その反映が、かの時代に見ることができるということだ。

平安時代の貴族政治が崩れてきても各地の豪族がそれぞれ、所謂、武士となって同様の組織を組んで更に今度は朝廷側に反旗を翻していったことは、なんら不思議ではないのであった。そもそも一人の王に忠誠を尽くすというのは旧約の王政ができてからのしきたりであり、これが崩れてきて国が乱れて、分裂がおこり、更には各自がここに自立していくという流れは歴史の必然であったのだから。

*******まとめ

渡来帰化人の第二派にあたると思われるユダヤ人(DNA)の一団は東の端まで到達し、そこに鹿島、香取の神社を開く。葦の原を制していた武人の神、タケミカズチ(藤原の氏神)が朝廷政治の入り込む。政治にうまく関わるのは天性であった。彼は各地の大きな神社やのちに寺にも藤原姓を与えて送り込んだ、神としてはタケミカズチを乗り込ませ、地方豪族を納めて創建させた。

 前述した冒頭の墓碑は、隣に禰宜との篆刻があるから神道だったということなのだろう。大体において、朝臣(あそん)などというのは、西暦684年に天武天皇が皇室を中心に八色(やくさ)の姓を定めたと言われる。<すなわち、真人(まひと)朝臣(あそん)宿禰(すくね)忌寸(いみき)導師(はじ)臣(おみ)連(むらじ)稲置(いねき)であった。>

さらには、市内北の山手には藤原藤房の墓があって、これは由緒ある補陀寺である。南北朝あたりにはじかれ寺を創建した者とされる。

 また左写真は裏手にある中央政府の北の派出所の秋田城址の旧道沿いにある国幣神社であった古四王神社である。タケミカズチをまつっている。ここには坂上田村麻呂神社もある。こんな地方(といっても古代ここは大陸から多数の渡来人の往来があったといわれているところであるが)まで古代西暦600年頃に既に朝廷側の影響が及んでいた。まさに防衛のために。

 タケミカズチ神が(つまり自分の氏神が)鹿に乗って奈良に乗り込ん行き春日大社になっていく。古代、名字を賜ることは大変名誉なことであったし、こうしてあちこちの豪族に藤原姓を与え、あらゆる情報網と政治的画策の準備を整えておく。あわよくば日本一体に藤原一族の栄華が持たんとして。調べると奥州の藤原三代のその姓が戦乱(前九年~後三年の役)に勝利して、父方の姓をなのったのがその由来。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・・・彼らの背後にはこのシステムに沿ったこれら日本に来た黒子Xらの深層の流れの元にあるのである。その1:出雲大社には菊のご紋の徴があるのだろうか。大きな古代の著名な大社であるのだから。・・・古代はじかれ組だから当然ない(と思う)。その2:豊臣秀吉の挿絵に見られる紋(五七の桐)は、TVでも拝見する国の記者会見に使われる演台の前にも掲げられている紋ではないか。そう、黒幕らから言わせればよいしょしやすい奴だったということになる。歴史上最も出世した武将である。が、後年、彼は的外れとなってきたし、次の主役となる者<家康>にその目が時代のヒーローに相応しいと黒幕らは思ったのであるな。その3:500円玉の模様も五七の桐だな。その4:藤原の氏神をまつる伊勢神宮に同格の鹿島神社の垂れ幕などの紋はなぜ、同じ紋(五七の桐)なのだろうか。すべての起源は最も古いここからなのだろうな。

つまり、日本の歴史はかの国から流れている深層を流れるDNAをもつ黒子らが黒幕として国の背骨が作られ、現在も存在していることを著わしているのである。とすれば、現在の天皇は表に現れていた黒子Xに操られたその代表者ということになるのか? 

西まわりに地球を巡って太平洋を越えて人類にその存在を示さんとして動いてきた黒子らの最上位の黒幕は、アメリカと言う国で実験し、地球外からのつまり我々(👽)からの救済を求めんとしつつあるのである。悪い黒子らも猛烈に働いているのが分かるだろう。

・・・突然、👽E が消えた! 


(その20)日本の歴史にDNA『光の君へ』⑤・・・fin

2022-11-16 21:26:13 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

(宇宙人👽E:の話) 

 欧米の国々は「戦火を交えて撤退しても戦後の日本のように立ち上がるさねぇ、人がいる国と言うものは・・・そのきっかけの模範をちと進んでいる我らが見本を示してやればいいのさ、かつての日本のように精神的までもといわず、経済的には地下世界で詰まり媒介となるお金の面での動きはどうにでもなんるものなのさ。」・・・と思ったかどうか、この国はさにはあらん、古来からの精神性となる土台が異なって居たのである。DANが異なる、否、そんなことなど考えずに「革命だ、壊して建てるぞ!時間は掛かるが平静をとり戻すにつれうまくいくさなぁ」などとどの国も日本のようになると思っては大きな間違いなのであった。

それは紀元前の古代から大陸を渡って東へ東へと渡って来た彼らがいたからなのだね。・・・唐突に割り込むように話すのを怪訝な思いで・・・と言っても読んでいただくならどのような思いでも結構なのだが、古来からの”言葉の宗教”、それは旧約や新約の民はそうであった。彼らがこの国に古来来ていたのであることは何度も述べて来た。14000年も続いていた争いのない縄文時代に唐突に大陸から渡来、帰化してドラマを作り始める。いいやつも入れば自分の部族のことしか関挙げない奴らもいたわけだ。

多くの国がキリスト教と言えば今の世界のと思うが、古来、まさにキリストが誕生してから彼が示した教えは今も生きて動いているということなのである。古代のことだから耶蘇と書くと感じでいいかもしれないが。隣国ではまさに太平天国の乱とかあって、その素地となるキリスト教が(無論、多くの宗教が乱立していた隣国)古来からあって、それらが東の島国にまで影響を与えていなかったなどということは当得ていありえない。

生命の元であると思われた太陽を求めて東へ向かって彼らはこの島国に順次たどり着く。順次と言うのは、根は同じ神と言うものを信ずるその根底からの表層への現われの思考は部族間で異なっていたけれど、その志向は、自分らの国を持つことだったといのは変わらない。そもそもモーセがイスラエルの民を引き連れエジプトから大脱出する話も、当時のエジプトのファラオ、アメンホテプ4世だかが今までの多神教を捨て、唯一の太陽神を礼拝することに切り替えて国中の騒乱が起こってそれに乗じて脱出を図ったという話がある。

モーセは太陽神(そのものではなく生命なる天の星)の思いをこの島国まで運ぶきっかけを作ったのではなかったか。だから彼らはその後、国が分裂しても東へ向かったと言われる北イスラエル10部族は、この国について太陽の国旗を当然のごとく掲げているということになる。時代は現代に近くはなるが。モーセは山に登って石に刻んだ神の言葉を渡される時、待ちわびた祭司アロンが金の牛を神として作ってしまう。牛を神とするのは東に向かってインドにいすいた残党の残りであろうと言われる。

その根っこにあたるというのが、旧約聖書(彼らにとっては聖書である)を書き知らしめた東に離散した、この地球人類の行く末の背後の黒子達の礎をなしていたのである。無論、彼らは外見も一瞥不明で自身も気がついてはいない。その神の存在を知らしむべく、自らがその神にあしらわれる地上の出演者になっていることであった。

更にそのDANを遡ると、この地上に人を創造した唯一の神にまで至るというのである。しかし、この宗教の逆説は、この地上の人の思いの優位性などではなく、以上の人々の判断や考えは、背後にいる人類のプロデューサーが居られることの現実社会での実証物語であもあったということになる。

起源前から東に向いこの国が不思議にも統一して、宗教的にも古代兄は一見争いがないように見えるのは、そのDNAにおいて西の古来の出自の同じ創造の神を知っていたからなのである。だから、これからは時代を作るから政権を譲りわたして悪いようにせんからと地上の神に祭り上げてよいしょしておとなしくしてもらう、というのが彼らのやり方であったのだ。

つまりは人と言う生き物は、言葉で考え、自分の行動を意思決定するなどどういう生き物であるかということを知っていた黒子たち、その中でも人を創造した方を古い古い先祖伝来から知っていた言葉や文字を駆使する彼ら、神の言葉を操り、日々の生活で一杯だった民衆に神と言う畏れの念を持たせ、少し高い次元で神からのお達しと創作物語を語り聞かせるならば、文字を持たない民衆はその伝承者となるべくその願望に途方なく拡大されて多数に広範囲に伝達されるのであった。

そういう意味で八百万の神と言われる神々は中央政権の創作もあり、地方豪族をよいしょするために神々としたものもあり、古来からの人手ではない、食を与えるあるいは、手には負えない災害をなす自然であったりするのである。いずれ、部族の長に神の言葉を伝える預言者はその働きから山に入り修験者になるか、人が通常は無しえない動物の解体や、死人の処理などやその他、所謂嫌われごとをおこなう担当を請け負った。税の免除もおこななわれるほどの特権者だった。まさに神人(じにん)と呼ばれた。

律令政権が崩れてくると、税も払えなくなり、それぞれは自前でそのことをおこなわねばならぬようになり、それまで特権として税の免除もおこなれていた彼らは、それなりに周囲から厭われる目で見られるようになる。これがエタ、とかヒニンと呼ばれる現代まで問題となる同和問題となってくる。仏教が蔓延し、殺生をおこなうことが疎まれたこともある。関西以西に多いのは大和政権つまり天皇のお抱えとしてのその仕事などの影響があったからであろう。関東や東北にないのは、もともとマタギなど、自分らで食物を得るための狩りを行っていたからなのであった。

ここで彼らの歴史において時代が下り、人類の救い主イエスという男が、そのように時代のヒーローにされたのかどうかということも、そもそもイスラエル人には大衆操作の術が非常に長けていたということからその善い意味での、つまりは神の言葉の宣教、拡散に用いられるのは大衆が大勢、時勢の思いに同調していることが必要であり、それが自然の摂理であるように行動を促すように見えるように操作したからでなのであろうか。イエスという男に関してはそうではなく、事実彼は神の子であったとしきりに述べるのが新約聖書の福音書である。

彼ら(黒子X)は言葉を変えるなら、大衆の同意があっての行動、人それぞれが自らの意欲を持っての決定であろうとする、本来の民主的な熱意の発露の操作に非常に長けていたということになるだろう。彼らは、あのメソポタミアに降りき立った多くの宇宙人がそれぞれの神々を創作しはじめ、人を惑わし始めたのも、それにNOを突きつけ、新しい時代を作るためにその地から脱出を図るべく地上の人を選んだのがそのもそもの創造者と言われる神であり、それに答えたのが信仰の父と呼ばれるアブラム(後のアブラハム)であった訳だ。

さて、そういう歴史の中から、その神の声を取り持つ預言者が生まれてくる。預言者:神からの言葉を預かる者。

そのような大衆操作にユダヤ人の特にレビ族(日本の神主のような、古代、神からの御神託というもので当時は神の言葉を上から受け取り、政治動向のアドバイスをもした)が、非常に長けていたということは、これも神の摂理(世界の行く末のプログラム)を知ることが彼らには先んじて与えられていたということなのである。

だからこそ、神の使いに”イスラエル”の名を賜ったのであったのだから。彼らは人類創世の時代からのプログラム遂行のためにこの地上で選ばれたものたちであったのを忘れてはいけない。地上の人類が存在する限り、彼らのプログラムは遂行される。

彼らは預言者とされて、国の行く末を、時代のヒーローを求め決定した。天皇政府に貢献しうまく入り込んで国作りをするのも先祖の血筋からなのだが、紀元前の彼らの物語は、神から声を掛けられ王を選出し神聖政治をおこなう仕組みが周囲民族からの防衛のためにも必要なこととなっていたのである。これは旧約聖書(彼らにとっては聖書)に詳しい。実に旧約聖書の列王記や歴代誌など、無論、彼らにもピンからキリまでいて神に叱責を受ける話もある。

しかし、優れているのはとてつもなく飛びぬけていた。自分が死んでも生きている預言者のように読めるイザヤなどもいる。優秀な黒子は同族を集め、集団で活動する。何と言っても数段レベルの神の域にちかい黒子も居て、天地創生から地球の終わりまでを予見する者たちもいるのである。第一に彼らは政治を動かす背後のプロデューサーとなる。北イスラエル、南ユダに分裂。神の摂理により世界に離散する彼らのその予見能力、彼らの秀でた神の預言者と実際の出演の黒子Xたちはこの時代から非常に神の摂理をまま表すようになっていく。

さて、そういう先祖の秀でた国作りの筋書きは古代、この国のありようを決定するものであった。現にこの国の足固めは隣国で彼らが渡って来た半島で大ききな争いがあったからであったが、国のありようを統括すべく物語が、そして多くの各地に離散した同族の長を神として持ち上げ(八百万というのはそうして生まれた)できあがっていくのである。日本書記や古事記・・・無論、背後で書かせた黒子プロデューサーがいるのである。

この国に古代渡来し神官の役割、詰まりかつてのレビの血を引く彼らは、当然のごとく政治の中枢に入り込むようになる。国の行く末を神に伺うこの国の多くの神社になっていくのである。格式の高い伊勢、鹿島、香取(古代彼らはあの太陽の昇る東の果てにたどり着いたのである。当時、関東地帯は一帯、海だった。)、はじき出された諏訪、各地の豪族を神としてよいしょし古来からの大国主を筆頭に出雲に封じ込めたのも、策士にたけた後発の内心は同じDNAを持つ彼ら異なる部族なのであった。体制側になった熊野信仰主権者も平安中期にははなはだ政治に係わっていた背後の黒子達であった。

いずれ、神国日本などと言われる者は、渡来人、その後帰化する人々で、かの地から時代を経て、理想の国作りを考え求め経験を積んでこの島国にたどり着いた人々だったのである。多くの地方豪族の争いから、大和政権に作り上げていく一つの国作りは、彼らの天性であったし、いざ何事かの事態には結集して才を発揮してことにあたるのは、彼らの得意とするところであったのだ。

その中での優れていたのは、タケミカズチなる神を創造した鹿島から鹿に載ってきたとされ、奈良に居好き天皇体制の中枢に入り込んだ政治の天才藤原氏であった。

奈良の鹿は神の乗り物とされるが、諏訪では御頭祭といって多くの鹿の首を切りとって飾る祭りがあったのは、その辺の関係がなきにしもあらず。諏訪は体制側からはじかれた者らの神社として成り立っている。

ここで、古代において先だつ物部に対し、政治に入る込む術に秀でていた蘇我氏が当時の大陸で時勢の潮流となっていた仏像に心惹かれ根は先祖の神のDNAを持ちつつも、自分の娘らを天皇に嫁がせ、横暴を極めるようになった。物部は言う「あだしくにの神をとりいれるならこの国は亡びるであろう」。実施にその後、多くの天災(天然痘)が起こったのであったが、しかし、蘇我氏の時勢にのった争いに物部は敗れ、北の地に蝦夷地へ追いやられるのである。蘇我の横暴はとまらない。

そこで、政治の天才、のちの藤原氏を名乗るようになる(そもそも紫色の藤の木々は寄生の木であるなぁ)藤原の祖、中臣鎌足であった。蘇我氏の横暴に際して、大化の改新を起こすが、ひいては、実のところ蘇我氏の天才政治家聖徳太子一族を抹殺した影の黒幕は、彼であろう。その後の、彼ら一族の天皇体制の中枢部に入り込んで、表には出て来ず、その体制を乱そうとする者らを北や西に蹴散らしたのは、彼ら一族である。

この国が自我に目覚めていく過程で、時代のヒーローが出てくる。もともといた者らも居れば、思惟的に造られた者らもいた。反旗を翻して出てきた者らもいた。律令制度が崩れてくる時代に従い、彼らの勃興が始まる。時代のヒーローは、背後の多くの大衆同調操作を起こし、あるいは先祖古来の血が騒ぐ、血気結集のDNAがあったからなのである。宗教を制するものは民衆を制する。その大半があの不思議な神を信ずるそのDNAを持ったもの達、怪僧らであった。

長野県の諏訪大社は追いやられ側、古い西からの流れてきた彼らのDNAになるしきたりも多く残っている。旧約聖書のアブラハムが神に自分の子供イサクを捧げんとして神に最終制止させられるという演技も伝統としてそこでは受け継がれていた。

そこばかりではない、追いやられた側の修験者は山形の出羽三山(湯殿山、月山、羽黒山)などの山は所謂、体制側によることのない純粋なDNAを引き継ごうとした古代の信仰の修行山であった。天皇体制にいいように使われていた同様に彼らの先祖が持っていた同じDNAが、自我に目覚め起こって来たのが東国武士と言われたもののふらであった。だから、はじき出された彼らは修験道となって八千八坊となって関東武士団を応援するのである。

歴史は動くのであるが、深層のかられの信仰心というDNAは変わらない。神があの神と人との争いに勝ったから”イスラエル”という名にせよと言われ、夢の中で東西南北にお前の子孫は広がっていくであろうと言われこの国までたどり着いた彼らなのである。部族間の相克はあの旧約時代からあった。それら同じ神を信仰するといっても、地上の形態は部族間で全て方便となり伝統となり組織化されて受け継がれてきたのである。今も世界に広がった彼らのDNAは歴史のエポックを作り出しているのである。

西の天皇政権に手足のように使われていた東の武士団に天皇となろうとする平将門がでてきたり、このときも出羽三山の修験者は応援する。平将門は八幡神の御啓示を受けて奮い立ったのであった。山形にある出羽三山には平将門が創建した五重塔が今も建っている。無論、修験道も今もいて山川を駆け巡っている。古代神道から始まるが神仏習合で平安中期には本地仏は八幡神の阿弥陀如来とされている。

星々の占い事や天変地異からなど与えられ、国の行く末を預言して王制に指南することは、今から見れば笑い事なのかもしれないが、古代の我らとのコネクションは自分の命の存命と国の運命が掛かった重要な事柄で政治といえばまさにそれが中心とも言えるものだった。天災や病気の蔓延や飢餓や洪水やなど兎に角、人手でどうしようも無いと思われる人命を損なうものに彼らは理由を、人と同様に類比させ神や怨霊や悪鬼に原因を求めたのである。

ここでレビ<預言者>が古代神からの啓示を受けて独自に”油注ぎ”なる行為を行う特別な位置にいたというのは重要な事であった。何故なら、当初から話してきたように、その辺から湧き出たような占い師と違い、彼らのDNAは人をもつまり、天地万物を創造したと言われるその我らの統治者に由来していたものだからである。人々から請われサムエルがサウル王を立てたように、そして神から離れていく彼の後にダビデを王としたように。まったく神の啓示によって預言者は王が上から示されたのであった。

日本に来ていた、と書くのは、東に向かい、この国までたどり着いた彼らは、自国の歴史のありよう(旧約聖書では列王記や歴代誌)を体験的に知っていたからである。渡来した政治には非常に長けた部族がそれを下地にこの国の統一形成に励んだということなのである。古代は自然の摂理は季節、星々や太陽の動きで地上の糧を得る術を知って予測できたが、政になると自然は教えてはくれない。そこで、シャーマンの役割は重要な事柄となった。こと人に関する不明なことは怨霊の影響を信じていたし、占いなど陰陽師などはいなくてはならない存在なのであった。

思い出すこの国の主人公。歴史の主人公の背後には彼らの選びがあったと言えるのである。そして多くの黒子達が動いていたのである。しかし、この国の底辺にあり深層を動かし、多くのサポーター達がいたのであるが、彼らは古代、宗教性にとんだ修行僧やらの活躍があったのであった。天狗(ユダヤ人)と呼ばれた彼ら(多くは日本名になった帰化人)は、人の目には触れず修験者として多くの山に住んでいたのである。

先に書いたが物部氏と蘇我氏の争いに物部は敗れたが、蘇我氏であるのにその横暴に中臣鎌足(後の藤原の祖)は自分が取って代わる。人手を使って聖徳太子一族を摩擦したのは、自分ならもっとうまくやるとその後、天皇に入り込んだのである。その後の日本の成立ちが出来上がって来たのは非常なる政治的天才である。その一点、地方の情報をうべく、多くの藤原を地方にまき散らして住まわせている。寺の僧に入り込んでいるなぁ。この古代の東北にも居た。それで婚姻関係を作って争いが生じたら(というかそういう原因を作って)藤原が勝つために策を練る。

源氏物語は藤原道真が文才のある紫式部のパトロンになって、自分の娘のまわりの世話をさせる官女にさせ、自分の娘を天皇の后にするため光源氏なるものの色ごと小説をひたすら書かせたという話もある。宮廷で話題になれば一条天皇もそれはなんだとその気にもなるだろうという魂胆からである。こうして自分の娘らを宮廷に送り込む。黒子が真の原因からは決して表には出てこないが、こうして以降の本筋の藤原栄華が作られていく。

関東に天皇が立たんとした平将門は出羽三山の八幡神の御神託を受けて決起する。多くのサポーターがいて今でも彼の首が飛んできたとか、いろいろ物語が残っているのはプロデューサーがいたからだし、そもそも学問の神様と呼ばれる菅原道真が、これに平将門に信任を与えたことに九州に飛ばされた理由になっていることはあまり知られていないだろう。貴族政治天皇政権にとって地方豪族が力をもつことは許されんと思うがそもそも何故に関東にそういう動きが起こってきたのか。貴族政治もいい加減にせいよ、というのは関東武士団の一致した思いだったのだ。

源義経が11歳から16歳まで鞍馬山で天狗(帰化人:京都の兵法家鬼一の門下一僧侶正谷)から様々な修行を兼ねて武術を学んだという話も、時代のヒーローを作り上げ時代を作っていく彼ら黒子集団の策である。彼らの黒子集団は、体制側にあった熊野権現の宗徒たちであった。武蔵坊弁慶は熊野信仰の修験者である。こうしてある宗教性の元に結束するのは、旧約聖書的にも彼らの志向なのである。時勢により体制側に着く場合もあったし、反体制に着く場合もあった。義経16歳の時に奥州藤原秀衡に寄寓し(そもそも、のちに政権側の後白河に信任されて、またいいように遣わされるのかと思ったのか、この辺から頼朝が義経をよく思わなかった理由が理解できるし藤原政権の古来からのやり方にけじめをつけるためだったろうと思われる。)

木曽軍を破り、一の谷、屋島、壇之浦の戦いに勝ち続けるのは、熊野権現の宗徒たちが多数いたからである。奇襲戦や地の利や天候をも見据えた戦場の状況などは、まったくユダヤ的(背後に熊野宗徒がいた)である。いずれ、壇之浦での戦いにおいて活躍するは熊野水軍であった、その数、2000余名、軍船は20余艘であったと言われる。

長い時代をへて彼らは帰化人となり多くは修行僧や仏教にも係わるようになり、一番民衆にも影響を与えたのは多くの武将が日本各地にある神社やあるいは、地名やなども名付けた修行僧や布教者らであったが、平安中期に仏教として広まった八幡神であった。彼らの帰化人の渡来集団の祖は秦氏である。八幡神社や稲荷神社の創設の祖にあたる。さらに、神仏習合での浄土世界に信者を導く救い主、阿弥陀如来仏であった。つまり、阿弥陀如来がイエス・キリストに当たる訳である。

秦氏は、紀元前北イスラエル10部族が離散した時に東へ向かった集団の一族であった。東へ向かう途中、初めて国を統一した「秦(しん)」という国をつくった。英語の中国CHINAはここから来ている。彼らは旅の途中、故郷で先祖伝来言われてきた救い主イエス・キリストの誕生を知ったのである。彼ら一族は、キリスト教信者に改宗したのであった。マリアを神の母ではないとして異端視された東へ伝道したのちにネストリウスキリスト教となって中国全土に広まる。

浄土宗の法然は両親が秦一族である。その弟子の浄土真宗の親鸞は、漢語でマタイ伝を読んでいたのは嘘ではないらしい。漢語ならすべて仏教になってしまって居たのだろうから。いずれ秦一族はこの国へ技術的な産業、さらには芸能、文化など大変な貢献をなした一族なのであった。政治的には決して表にはでない、古代この国の形成に励んだ黒子の一族はキリスト者であったのである。ここに冒頭に他の国は、日本のようにはいかないと書いた理由があるのである。それは、我々この国のDNAとなってしみ込んでいるからなのである。

その後、武家の歴史においても彼ら(黒子達)は時代のヒーローを作り、理想の国作りをしようと画策したのであった。織田信長は神道の 忌部氏の祖であったが彼は平家の血筋であった。その後、一農民から関白太政大臣と最も週世した豊臣秀吉、幼少の頃、長い人質生活を送った徳川家康、彼がそういう黒子がいたかは松平から徳川に代わった理由を調べるとはっきり分かるだろう。いずれ彼らはこの国を作る黒子たちにプロデュースされてきたのである。多くの黒子達は策を練りサポートて理想の国作りを目指したのであった。

どの国へも伝えられた伝統にまとわりつかれたキリストは、すべてまたかなぐり捨てて、あらたに独り立ちをしないといけない。時代がそう要求している。天(宇宙)から派遣された彼は、新たなる姿で来られるだろうと。我々はその準備をしなくてはいけない。

・・・fin

 


(その19)日本に来た黒子達④:プロローグ

2022-11-07 19:06:47 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

(宇宙人👽D:の話) 

手短に話そうと思う。本当かどうか。それには、まず、彼らが(つまり天上から遣わされたおそらく自分っ達も気が付いてはいない、地上のストーリーの立役者たち)生存していた年代を調べてみることだ。歴史を設計する背後の大物がいるのにおそらく気がつかれるだろう。それは、実に人という生き物がどういう生き物であるか知っている地表に現れた黒子たち、それらの人達である。その中には、無論、僕らが知っている時代のヒーローがいる。そもそも、時代にヒーローを作って、大衆を動かすというのは彼らの歴史を作る戦術の一つであるのだから。

戦術と書いて悪い印象を持った方がおられたら、それにはこの地上を日々、新しい時代にバージョンアップしようとする創生時代からの黒子も居れば、それに嫉妬した負の破壊に導かんとする黒子も多数いることを知っておいて欲しい。徐々にではなく、急激に瞬時に起こる時代もあるのである。無論、時間的な見方によるけれど。よい黒子は、『天におけるごとく地にもなさせ給え』(これは主の祈りにある)と日々、最後の戦禍に備えて今も奮闘している。

その時、星空を見上げて、今、光っているあの星の存在は見ているこの瞬間には既にないかもしれないのだということを思ってみて欲しい。星の存在はなくなっても、ひたすら発せられた光は地球に向かって走っているんだということを。われらの科学は、あなたら地球のそれと違ってはなはだしい開きがある。隔絶な開きのある進んだ科学のある我らは、あなたらの世界からは過去の人間と言うことになるのである。我らの世界では、あなたが読むことできる旧約の世界に生きた人々のように何百年も生きることができるし、今も我らの星に存在する人々がいる。

けれども、僕がここで言いたいのは、黒子という訳だから背後にあってその時代のヒーローを創設し支えてきた人たちである。実は彼らは何度も言うように創生の時代からこの地上に来ていたし、今も実際、存在する人々なのである。世界のベストセラーから、有名なバベルの塔を建てたことによって言葉が混乱させてしまったあの話。創世記11章5節にある『主は降って来て、人の子らが建てた塔のあるこの町を見て、言われた・・・』という時代から・・・

創生されたばかりの人との対話がまだ、それぞれが対象者として内面の交信が起こっていない時代から、信仰の父と言われたアブラハムとの相違は、彼が選ばれて内的言葉の会話が創造者、その黒子親分、または多くの子分たちと行われるようになったことが需要なのである。信仰の父と呼ばれたのも、そもそも直接対話の契約を結んだ方であるというところからなのだ。つまり、何の媒介なく会話が始まる。主はアブラム(後のアブラハム)に言われたと言う具合に・・・。

地上の人々も一切の媒介なく直接、神の声を聞く時が間もなく訪れることを我らは信じている。今回の回を読んでおおよそ何のことを言おうとしているのかの推測ができる方は、今の時代にあって直接内的促しによって上からの声が聞こえてくることだろう。誰でもが、とそういう時代になりつつあるのだ。それが、『求めよ、さらば与えられん。捜せよ、さらば見出さん。門を叩け、されば開かれん。』なのである。宗教的抹香臭さはない。どのようなことにもそのきっかけがある。

アブラムに語り掛ける主と言われる存在は、無論、天の父その方自身ではない。天の父はもっと次元の遙か彼方に鎮座しておられるようなイメージであるから、そのとおり、これは黙示録にも書かれているイメージである。後に”神の使い”とか”主の使い”とか呼ばれる書き方もされる”人”も出てくるし、普通に主人公と会話する”人のような方”でもあるし、ヤコブが夢の中で見る”神のみ使いたちが、地上から天までの梯子を上りたり下がったりしていた”と書かれる、”神のみ使いたち”でもある。こういうところから、名何らかのヒエラルキーがあることは自然に理解されるだろう。

新約に出てくる天使の長、ガブリエルやミカエルなど、サタンも負の世界のそういう方ではあったが。マホメットに啓示を与えたのも天使ガブリエルであったから。マリアにイエス誕生を伝えに来たのもそう、彼・・・。

僕がずぅ~と書いて来た黒子と呼んできたのは彼らのことである。それには天使と呼ばれる非常にハイレベルの彼らや、サタンの手下も形を変えて地上の生身の人に作用している。彼らは実際、僕らと同じ目に見える人として存在もしている。実際、そのことも意識はしていない。黒子のそのものでもある。彼らは、優秀な優れた存在として人間社会に貢献もしている。また、変じて形の無い"霊”として浮動する彼らも多数存在する。つまり、あなたに啓示を与えている彼ら(霊)もいるということである。

つまり、天上から地上に存在する殆ど無数と呼ばれる彼らの存在が、現存する限界を感じている僕らの地上の人に諸々影響し操作をしているということになるのである。クラウドという言葉があるように、まさにそれが我らが進めて来たことでもあるのであるが、その意識の集合体に繋がる魂(とあえて書こう)が多くあり、どの集合体に繋がるかにより、我らに繋がるかの分離が起こってくる。しかし、そのことを書き始めるとキリがなくなる。

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だいぶ長くなった。この国のことを書くのであったな。

紀元前、初代(第一派)に来ていた彼らは縄文時代と言われる晩期、争いなく大国主命を中心に まとまりつつあった所に、後発が順次(第二派)がやって来て、なんとか一つの国をつくろうと苦心惨憺といっても、昔の自国の成立ち、ありようから過去に学び、これははっきり書けば、彼らが西の国、天地創造の物語の選ばれし主人公らは、あの旧約聖書の時代、同じ神がありつつも現実は各部族が相対立する時代もあり、争に明け暮れていた時代もあった。

モーゼに引き入れられ脱出を図り、示されたカナンの地、それは信仰の父、過去にアブラハムに示された約束の地でもあった。エミグレ(移住)は彼らのもともとのDNAの根に着いた行動原理である。この第二派は、東の果てに行きついたが、この国のイメージつくりを行いその後の日本の歴史的貢献をなした。彼らは、同じ西から同じ天地創造の神を知っていたし、先祖伝来の歴史も知っているものらであったが、先に来ていたがゆえ、また、後発との意思疎通も図っていなかったが故に救世主が、自国で誕生したことをまともに受け取らなった可能性が大きい。

アブラハムの神の示された地への脱出、モーセに引き入れられた神に示された地への脱出、そして、イエスが来られて制限ある自分の肉体からの脱出、人を創造した神の歴史から見れば、最終、もともと神と共にあった天の創生以前のエルサレム(神の平安都)への帰還と言うことにあるのが分かるであろう。その実現をこの地上で現実のものにしようと日々、今も参戦している多くの黒子達がいるのである。

だから、生きているキリストに結ばれた我々は死後の世界があり天上に帰る。この地上においてはそれらの負の世界、破壊に導く悪の(黒子達)霊と闘わねばならないのであると、パウロは手紙に書くのであった。(エフェソの信徒6章10節~)

わたしが言いたいのはこういうことである。その天上のシナリオの仕組みをしっている黒子達がいるということ。それは、自分たちの神から示された、戦乱も含め教えられた経験を持たされて、神の歴史として書き留め続けられてきてそれを教訓にこの国に渡って来ていた黒子が多数いたということである。

約束の地にいっても、部族長と民の間に立って神からの預言(あずかりことば)を上に、下に啓示として指し示す役割を与えられていたレビ族(日本で言えば世襲制の神主)には、神から与えられた割り当ての地が無かったのである。

彼らはもともと移住者の素質を本来持っていたということである。この国に渡ってきた多くの黒子達は、太陽を求めて東に移動して途中の国々では、国作りにも時代時代の国々を作りながらも永い時間をかけてこの国に渡って来た。(途中に聖書に書かれて先祖伝来言われてきた、救世主が誕生したことを知り、多くは<ネストリウス>キリスト教に改宗した者らもいたのである。空海は長安でキリスト教の寺院にも行ったのである。)

第三派の最後に来た”秦氏”はキリスト教徒であった痕跡が多く残っていてこの国に大変大きな貢献をしたのである。今でも多くの恩恵を被っている。八幡神社や稲荷神社や、技術や伝統にも、又、宗教にもこの国の政治の在り方にも非常に多く貢献したのであった。渡って来た部族には割り当ての地がないレビがいたことを忘れていけない。彼らの歴史は先に書いた第二派に渡って来た部族たちにその歴祖の多くを消されたのであった。

日本の神道を調べても多くは室町時代あたりからの記録がはなはだ多いがどうしてこの時代あたりからなのか。あなたの東北の地にも室町時代あたりに建てられた石碑が多く残っている。これは、鎌倉時代に日本仏教が起こって来たと言われていることに関係する。西の天皇を頂点とするいいように使われた来た東の豪族が律令体制の崩れの限界と政治体制の不正に自らの本来の自我目覚めた時代の始まりであったのである。

この第二派の渡来し帰化族と言われた神武東征などから天皇を頂点とする歴史を画策する部族であった。14000年も続いていた縄文時代の遺跡に争いで亡くなった人々の痕が観られないのは何故なのだろうか。弥生時代初期になり、争いで傷つく人骨が北九州で見られるようになる。もともといた各地にいたこの国の豪族たちを、もともとは神を畏れるという素地DNAはもっていたのであったから、神と崇め、よいしょして八百万の神として総まとめにしたのは、この第二派の部族達であった。そして、大国主命の封じ込めに彼らは神なし月に各部族の神が出雲に集結するということにして封じ込めた。

国の成立ち、それまで地方の文字、風土記に準ずる物語を総括してこの国の壮大な天皇中心(彼らのDNAにはそもそも文字し総括するのはお得意)の物語を作った。これはその後の国の歴史にも大きく影響を及ぼしたのであった。

同じ神を排するにこの地上ではそれぞれ部族の相克がある。それを総まとめにするのは相当の力量が必要だろう。それを行った一族が居たのである。藤原氏、中臣の鎌足を祖とし、藤原氏を名乗った一族がそれである。古代西から渡来し帰化したと本来、神を排するこの一族は様々な神々の名を造り、豪族や人民を内的心から支配した。天皇を背後とする画策は政治的天才と言えるものだった。思うにあのヤコブに与えた神の約束のようなDNAをもつ一族であった。(創世記27章18節~)

神はヤコブというこれまた非常に癖のあるこの地上の争乱の原因ともなるような輩に目を留められたものだ。しかし、それは地上の人が眠りこけない為であると人類を叱咤激励する。新約聖書まで流れている、そして今も流れている天地創造の神の摂理。多くの人は気がつかない、人類への警鐘。

ヤコブも夢(創世記28章13~15節) ******

見よ、主が傍らに立って(ヤコブに)言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまでは決して見捨てない。」

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ヤコブと同様、藤原氏も代々、ミイラとして葬られているのである。・・・続く


(その18)日本に渡来し、帰化した黒子達③(宇宙人👽)

2022-11-01 10:06:14 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

(宇宙人👽D:の話)

同じ神を信じているのにそれぞれが相闘うとはどうしたことかと、今の道徳的判断からすれば思われるかもしれない。しかし、彼らのおおもとのご先祖たちのれ歴史から言えば、それを推測することができる。

第一に、世界のベストセラー聖書を読めば、彼らヤコブから分かれた12部族がそれぞれ相争う物語として読むことが出来る。歴代誌、列王記など・・・これらは、今となっては何だこれは?のレビ記を除き、申命記まではどうにか今の判断で読めそうだが、以降のその歴史は殆ど争いの歴史でもあったといえるものである。骨肉相食むという事件が多く起こった。

同じ唯一の神を信じつつもその表層たる現実対応は、様々な謀略も起こしていたということだ。その多様性としてヤコブ由来のDNAを忘れてはいけない。第一、彼の名前は神の使いに”イスラエル”と名付けられたのであるから。この策略があなたの国の形成にも係わっていたのであるということが解るだろう。現代もそれは存在し続けている。

神は外圧、時代を経てアッシリアやバビロンやペルシャなどの周辺国を起こし、最終、彼らを世界に離散させる。しかも、彼らは頑固にその起源のしきたりを命をかけて守るという、それは世界にご自身(神)の存在を歴史をとおして知らしめるという深層の天地創造時にすでに出来上がったシナリオの流れに沿ったものであるということだ。

その歴史は、神の指針がない状態の地にいかに、神が選ばれし民が、御自身(つまり神)の生きている存在を周囲に示していくかの地上というストーリーに展開させられいるという課せられたドラマにあるように思う。

第一に、この地上で自らの信条の起源に人を創造したのだとすれば、国や人種、性別や多くの異なるそれらの中での自分の位置、その理由をいやがうえにも自問せざるを得なくなる。”人とは何か?”という問い。ここに普遍的な人権やら人格や自由やらの答えを得ようとする人自身が自らの言葉で追求しようとする欲求がでてこないだろうか。

ユダヤ人が優秀だと言われているのは、被創造物である人が創造者の業の解明にその普遍的な理由を常に追求しようとするところに起源がある。事実、離散した移民(エミグレ)が自由の国アメリカ大陸に渡った彼ら。今でもハーバード大学の6割ほどはユダヤ人ではなかったか。しかし、彼らは神の基から天に全人類を帰還させるというその土台造りの使命が気が付かぬ上にも持たされている。よって、彼らの神の意図にも反してくれば、その国の分断をも容易に起こす。(※時代であろう。アメリカ共和党のトランプさんのブレーンである娘婿はユダヤ教徒である)

聖書。それにしても、ようも事細かに文字で書き続けてきたものなのであろうか。そう思わんか。彼らの唯一の特技は、この地上の人類の神の摂理の元にある詳細であった。その中に関わる神の(預言:預かった言葉)の詳細であった。

ちなみにレビ族は神からこの地上に割り当ての地が与えられなかった。レビは、流れ着いたあなたの国では神主にあたるものとなった。世襲制なのである。各部族にそれぞれレビがいた。時代、時代の主権者に常に寄り添い、神からの言葉を上に告げ、それで政をおこなう。神の声を聞き大衆を導く。あなたの国の基が神道なのは彼らが起源となっているものである。

彼らの存在は非常に重要なものだった。あなたの国ではいたるところに神社がある。その謂れを学ぶとよい。その部族に関する多くの黒子も地上に派遣されているからである。天皇は、神道の頂点にたつものとなる。毎日、この国と世界の平和と安寧を祈願しているとされる。

もちろん、数千年にも渡る歴史で当然、同じ人が書き続けるものではないのは当たり前なのだが、表立って誰が書いたのも不明のものもあるが、その根底に流れるものを途切れさせられないという熱い情念のようなものがある。それらを読むと途切れないその核となっているものとは天地創造、人をも創造されし神の人類の救済の物語に集結していくのである。そのことに気付く人は非常に少ない。

紀元前、国破れて東に流れて来た北イスラエルの10部族は、途中、その土地で国作りにも励みその地で生涯を終えつつも、彼らは太陽の昇る方向を目指して、東の果ての島国に到達したという訳であった。シルク・ロード(絹の道)は彼らが長い時間をかけてなしたものである。同じ共通のルールなど無ければ、交易などできないだろう。正倉院に当時のペルシャ由来のものが多くあるのはどういうことかと考えてみるといいだろう。

正当の神社のご神体は、太陽を表す丸い鏡である。天照大御神を象徴するもと言われるがそれは良い意味でと言おうが方便である。宇宙に住むその我々の象徴化でもある。この太陽を覚えて欲しい。あのモーゼがエジプト脱出に関わる政治を動かしたシンボルであるからである。地上の命にエネルギーを与えるシンボル化・・・。宇宙の星々への関心。

日本のこの国の物語の背後のプロデューサーは決して表には顔を表さないあのDNAを持つ、政治の中枢に入り込んだ帰化人であった。実は『日本』という言葉の概念もない時代であることに注意して欲しい。その概念を定着させてのは、彼らだったのだから。識別もなく、我らは同郷、ただこの島国の住人となったのである。

彼らの移動は大きく三派ほどのあったのだろうと推察された。紀元前に、紀元後、縄文から弥生時代にかけて日本国という名称の成立時代に、最後は後発の技術集団”秦氏一族”の大移動である。今もこの国が分断なく存続しているのは、彼らがこの国で興した歴史的長期に渡る施策にある。天皇を頂点として、ある時は王を起こし、ある時は衰退させ、時代のヒーローを造り時代を動かし、歴史を書き留める。彼らのそのDNAの良き点に我々は学ばねばならない。というか長い時代を経て身に着いたものにもなっている。

ここからがあなたの国の話だ。・・・続く

 


(その17)日本に来た黒子達②:世界に散らされた黒子達(宇宙人👽)

2022-10-31 11:41:09 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

(宇宙人👽D:の話)

イスラエルの国の国歌『希望』の中に「シオンとエルサレムを求めて東の果てに向かおう」という歌詞があるのはどういう意味なのだろうか。いつ頃できた国歌なのだろうか。”東の果て、岸まで”という文言に、それは日本まで来ているのであると、そしてそれは事実であると盛んにYouTubeで先生方が宣べている内容を見ることができる。はっきりした日ユ同祖論ではないが、多くの渡来人が来て帰化したのであった。元々が神に選ばれた民であったからそのDNAは政治的にも優秀なものであった。

シオンを思いだし、それが京都の祇園祭りとなって、あの練り歩くたち鉾の御車にかけられたタペストリーの刺繍にイサクの結婚の話が縫われているとか、エルサレムは、エル(神の都)・シャローム(平和)として、平安京ができたとかの話が伝わっている。

そもそも、天地創造がなされた時、我々(宇宙人👽:あえてこう書かせていただく)の内で、最も優秀だった創造グループはイスラエルであった。地球の人類のドラマの中で、時間経過を経て、地上の人類の歩みを見たとき、その往来の時が来たと思われたとき、地上に選ばれし民族を見届け、その筆頭としてヤコブを選んだのであった。彼は天使と相撲をとったとある(これが相撲が神事である謂れになったと言われる)。そして天使から与えられた名前がイスラエル(神の皇太子)であった。創世記32章に書かれている事件である。

今はイスラエルというひとつの国の名前になっているが、聖書を読めば、BC1000年頃のダビデ王の時に国の統一が図られ、その後、北イスラエルと南ユダに分断し、北イスラエルはBC722年頃、アッシリア今のイラン国に捕囚され、南ユダはBC586年頃にその後に起こったバビロンに捕囚される。さらに、その後に起こったペルシャ国に帰還を許されるが、(その後はローマに支配され属国となっていいとこなし、そういう中でイエスがメシアとして現れるが)、離散したその多くは国元に帰ることはなく、世界に離散したのであるとされる。

その各地で彼らはコロニーを作り、曰く教会を作ってその多くは家庭集会のようであったのだが、先祖伝来の天地創造主のことは結果して忘れず、その物語も戒めとしてそのしきたりもしっかり引き継がれてきたのであった。今もそうである。ここに来て、日ユ同祖論ということが最近、再び頻繁に語られるようになったのである。

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この話は、実は何層にも重層化してるので語るときりがなく面白い。あぁ、天地創造された神は人類救済のために(といっても我々は何処かへ飛んでいくわけではないのだが)神は存在を示されてこの地上の歴史を支配されておられるのだということを思わずにいられなくなる不思議な書物である。一見、そっけない話の寄せ集めのようであるけれど、その更にその深層に流れる川が流れていて、それを必要に書き留めてきた黒子達が多くいたのであることが理解される。今も多くいるのである。

北イスラエルはヤコブの12部族の内、10部族であったのだが、離散後の彼らの行方は分からないとされている。その多くは東に向かうそれぞれの地で居住したが、さらに東に向かった多くの部族が順次、日本に他たどり着いたのであったといわれているのであるがいつ頃であったのだろう。

南ユダ2部族は離散後、正統派として新約になり今の西へ向かいヨーロッパに伝搬された。東に向かった彼らは日本に何度かに渡ってそれぞれの部族が渡来したのである。ここで一転、皆が知っていることから話して行こう。

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聖徳太子が厩戸皇子と言われるのは何故なのか。イエス・キリストも馬小屋で生まれたと言われる。クリスマスには宿屋がいっぱいで家畜小屋でイエスは誕生されたと毎年、挿絵などで見られる。しかし聖徳太子は仏教を保護した蘇我一族だったとされる。本来の古代神道に仏教が入って来て、その仏像に羨望した天皇にそって、彼は仏教を保護したと言われるが・・・。天皇を頂点にして大衆の基盤を作るということは彼らの歴史からあってしかるべき国形成の仕組みであった。

聖徳太子が仏教の庇護者であったということ。実は、これはどうなのか、改めて書くが”言葉”というものについて考える。彼がつくったとされる17条憲法の初めは”和をもって尊しとなす”であったが、”ひろく三法を敬え”とは、仏、法、僧とされるがこれはどうなのか?これは仏教の保護とされるが、第一に仏も法も僧もきちんと確立されたものがあったのかということ。天皇が仏像に所有心を起こしたが故にこれは後に仏教者がそのように解釈したものに過ぎない。

厩戸皇子と言われたのちに聖徳太子と言われた彼の本来のDNAから言えば、憲法に一つの宗教をあがめるような思考はまったくなく、常にその目線は被創造物である民衆にあったのである。三法とは、当時の神道、儒教、仏教であると言われる。手段そのものをあがめることではなく、常に人々へのその効用の方に目が向いていたということである。互いに争ってはいけない、それがあるそのものの意味を考えよ、ということであった。

実は、彼ら一族は、西からのこの国に渡来し帰化した例のその一族の人々であった。離散した紀元前のことである。東へ向かっての(無論、一息に渡来したわけではない、途上の様々な歴史は一応端折る)旅の途中で、古来から自分たちの聖書に言われてきた救い主が故郷(エルサレム、正確にはナザレという田舎になるが)で誕生したと聞き及ぶのである。そこで、旅の途中でその多くの部族はキリスト教に改宗したのである。有名なのは、日本にたどり着くのが後発だった”秦氏”である。

”秦氏”程、この国に良心的に大きな貢献をなした一族はいなかったろう。最もこの国の成り立ちを土台で支えた一族であった。決して表舞台には出てこない。聖徳太子のブレーンだったのが教科書にも出てくる秦河勝であった。横暴となった仏教徒に平城京をあらため、自分の広大な土地を提供し平安京を造成し、あの当時、海だった湿地帯の大阪を造成したのも土木技術を持っていた彼ら一族だった。八幡神社や稲荷神社は彼らが起源である。多くの技術を残しこの国に貢献したことは調べると多く出てくる。日本のあちこちに八幡という名がついた地名があるのは彼らがいかにこの国に受け入れられたかを物語っている。

当時の彼らの情報網は当時においては驚くほどであった。新約聖書にもあるように手紙は、離散したコロニーで多く回し読みされたのである。時には改竄されたのもあったろうけれど。蘇我氏は、日本に順次たどり着いていたその一族であった訳である。イエスは死後、復活し甦ったとされる。それで彼らは、自らの部族を”われ、よみがえる”(蘇我)と名付けたのである。

東へ移動した彼らのDNAは非常に優秀だったの書いたとおり蘇我氏の中でも厩戸皇子(聖徳太子)は非常に人徳も有り、多くの話を一度に聴けたと言われたくらい非常に優秀だった。それで、彼らは家畜小屋で誕生した救い主イエスになぞらえ、厩戸皇子と名付けたのである。

東からの部族は、政治中枢にも入り込む能力にも非常に長けていた。それは、既に今日、世界中で読まれているベストセラーの預言者と呼ばれる黒子達が、多く神から預かった言葉を政治に反映するにその策略に長けていたDNAを持っていたのである。

先に来ていた彼らの政治力に非常にたけたもう一つの部族が、あった。陽が昇る国を目指して遙か、東の端まで行った部族であった。鹿島、香取神社という伊勢より、それと同等の格式を持った神社を創設した部族であった。それはどういう一部族か。彼らは蘇我氏に代わって政治の中枢に入り込んでその後の一族の反映を謳歌した藤原一族である。

そもそも神社とは、燈明や手を洗い口をゆすぐ、奥の院があり、これはイスラエルのしきたりと幕屋の形式を模したもであると言われる。確かにイスラエルの神殿はそのように造られた。だから、各地の神社の造りを見るとこの配置があるのは、紀元前モーゼに引き出されて途中、幕屋を造り神を礼拝し続けたその深層の思いを受け継いでいるのを知っている人は思い出すのである。

蘇我氏は、天皇が仏教を保護しはじめたことに乗じて横暴を極め始めた。なにぶん彼らは政治の中枢部に入って、思い通りにすることにたけていたからであった。そこでこれではいけないと、征伐に立ち上がったのが、藤原鎌足(藤原氏の祖)、中大兄皇子とされている(大化の改心)が中臣鎌足(藤原鎌足)はこれまた、政治的策略DNAを持った策士であった。

思うに、旧約のヤコブも非常に癖のある男であった。相撲を取った天使には”私を祝福するまでは離さない”といい、天使に”神と人共に勝利したからイスラエルという名前にしろ”と言われるくらいの男だったのである。さらには自分が徳をするには、自然の道理までを考慮できる男だったからである。今のロシアがウクライナに戦争を仕掛けているのは、こういう背後の歴史的怨念があるのかもしれない。民主化を語るが背後で搾取、画策してきたのは彼らではないかと。

つまるところ、聖徳太子一族を抹殺した背後の黒幕は、藤原鎌足である。決して自らは表立って手をださない。そうして今度は彼ら代々の策士が藤原氏として天皇政治体制の中枢に入り込んでいくのである。政治や歴史をも塗り替える方法を知っていたからである。

聖書が世界で今も読まれているがごとく、文書主義、書かれたものは文字として残り、書かれていないものはなかったも同じ。後の人間が第一知る由もないのであるからということになるのであった。世界の焚書はこうして行われたきたのだから。

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あの昔栄えたアレキサンドリアの大図書館が燃やされることがなければ、我々(宇宙人👽)の世界をもっと早く知ることができたであろうが。・・・続く