marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

その9:ニャンコの物語(ニャンコから愛を教わった)

2024-07-29 09:25:15 | 日記
生き物という者は、究極は生殖と食い物だ、といってしまえば身も蓋もない。考えて見れば、人も同じであろうか。
 
人も煎じ詰めれば、性欲と食欲だ。とくに季節や年齢によりめぐる生殖よりも、とにもかくにも、食べるこということへの第一の欲求がみたされれば、それが『福』というものだろう。
 
『一』天があり、『口』人が居て、『田』食べていける田んぼが、天上の神から『示』される。それが『福』なのだと。ただ、新年そうそう僕のところに来たニャンコを見ているうちに、生き物はそれだけではないのだよ・・・それがニャンコに教わったことだった。
 
***********
 
『幸福』という文字の『幸』という文字は、ある人にひとに言わせれば、十字架が立てられそのことを思っていれば(つまり『立』の上に『十』)が幸福であり(詰まりイエスの死か)、十字架『十』の上に立っているだけでは『辛い』のであるという。
 
これは僕らは漢字のおおもとは、中国漢の時代の発明起源文字ではなく、その時代以前にその文字を創作しようとした民がいて、彼らが西から移動してきた民であって秦(しん)という国をつくり、更に東に行きついた島国が日本だったというその技能集団、聖徳太子のブレーンでもあった秦河勝の属する『秦一族』であった等言う話。
 
彼らは、紀元前に今も話題のイスラエル国が、北イスラエルと南ユダ国に分裂後、東へ向かった集団だったと。歴史の途中で国々を作りながらも、先祖伝来の教えの『救い主』がかの地で生まれたと聞き及び、ユダヤ教からキリスト教に改宗したのであったと。それで漢字に多く彼らの先祖からのいわれが取り込まれることになった。
 
『神』・・・これは旧約聖書の『申命記(これは神からの戒めが書かれている)』の『申』が『示』された大切な漢字。『美しい』・・・大きな羊を神に捧げることは美しい行いとされた。『船』・・・ボートの『舟』ではなく大きな舟、『八』の『口』とは人が8人だったこと。物語ノアが大洪水から救済のために神から示された大きな箱船の話では、8人が助けられたのだった。それに、羊はこの国にいなかったのに、羊が示されている『祥』という漢字は誉れある漢字らしいし・・・その他いろいろ
 
***********
 
ニャンコのお話もつれづれ書き留めていくときりが無く、といっても毎日は、とても頻度が少なくなったが日常は基にもどり、リコが毎朝、7から8時頃、縁側で朝ご飯を待っていることだ。
 
ここまでがニャンコのお話9話です。次の10話で終わります。・・・続く

その8:ニャンコの物語(その後の顛末)

2024-07-25 08:00:00 | 日記
さて、蒸し暑い日が続き、その後ニャンコ達はどうなったかというと・・・

数日ブログを更新もせず、南の地区ではまたもや今度は川の氾濫で全国ニュースになるも、僕のいるところは古代の城跡なので高台にあり、少し歩けば海も遠くに、反対側には信仰の山がこちらも遠くに見える。洪水などには守られているところだ。

前回はそうだったが、こういう豪雨の時、僕は旅に出ているだね、何故か。前回は四国だったが、今回豪雨の時は隣の岩手のつなぎ温泉に行っていたのだった。休養や遊びではなく。

話は戻り、ところで子猫たちについてどうなったかというと、隣のおばさんが(以前の忠告、2件隣のおばんさんはミーシャの飼い主に)今度はこちらに忠告に来た。子猫が仕切りの壁の穴からこちらに来て庭で遊び回るので困ると。あんたは、町内会長になるんでしょ、なんとかして!

語れば、横道にどんどんずれるが、ミーシャの家主が町内会長なので、順番でいつの間に僕がなることになっていたらしいことをその時知った。まぁ?!

でどうするか・・・と思案していると助け船。

その数日後、向かいのミーシャの飼い主の息子さんが助け船となったアドバイスをくれたのだった。その時、初めて息子さんが近所に(同じ町内会ではない)いるのを知ったのだが・・・

(僕が)子猫を飼わなければ、つまりミーシャの子供らではないが母親として子猫らがいつもついてまわり、ミーシャもしっかり子猫らがご飯を食べるのを見守っている責任もある、その子猫ら広告を出して引き取り手を募ってみましょうと、渡りに船。

この日以降、ミーシャと子猫らはピタリと縁側にご飯を食べに来ることはなくなったのだった。

その8のお話はここまで・・・続く

その7:ニャンコの物語(舞台設定?)

2024-07-18 08:00:05 | 手紙

ミーシャが筋向かいのお宅の猫だとわかったのは、飼い主(その家の主人)とお話する機会があったからである。

僕が用事があってお尋ねすると家からミーシャが飛び出してきた。おい、おい、お前はここの飼い猫だったのね。

特にニャンコの話をするために行った訳ではないのだが、ちょうど家から出てこられて、先方から猫の話をしだしたのである。

それまで、僕は来会者たち(猫)がどこのものかなど考えてもいなかったら、その話の内容は、やはり僕が不安に思っていたことがあったんだな、と言い分を聞いていた。

***********

こんな話だった。

(指示向かいのご主人):自分が猫を飼っていることは知られているんだけれどね。飼っているのは1匹だけなんだけど(勝手にミーシャと僕が名付けた品のいい猫)、筋向かいのお宅から(こんどは相手から見ると僕の2けん隣の家)、そこの一人も身の叔母さんが、猫が庭を荒らして困ると文句が来てるんだ、と。

地面に穴を掘ったり鉢植えをひっくり返した、花鉢を倒したり、ウンチやおしっこをしていくので困る なんとかならないだろうか、と。

***********

僕は、黙って聞いていた。

うちにも来てますよ、などとは言わない。多少、猫などは外をほっつき歩いて、ご飯を主人(飼い主)のところに帰えって来るのが自由で、気ままでいいなぁ、などと思っていたから。

猫は、自分で地面に穴を掘ることはないと思う。穴はモグラでしょう、と僕がいう。(実際、モグラのモグチャンは、猫らがうろついてから、僕の庭からいなくなったので少し助かった。)

そのご主人は、猫もウンチをした後に犬が後始末を後ろ足で土をかける仕草をして穴ができる、とそのまねまでしてくれたんだけれど。ニャンコのその仕草は僕は見たことがないけれど。

***********

ご近所の皆さんは、草花を趣味されているくらいとても庭木が手入れされている。町内会では何がしかの草花が、玄関やお庭を飾っている。緑に様々な色の花の色がちりばめられる5、6月ころは僕の庭にも様々な花が咲いて楽しませてくれる。

***********

それで、今回のお話で書きたかったことは、そのご主人が飼っている猫(ミーシャ)について話してくれたことだ。

この話は子猫らが庭に現れるは前のことの話である。

それは、飼い猫 (ミーシャのこと)が車庫の2階で数匹、子猫を産んでねぇ。あのときは困ったねぇ。まだ目が開いてなかったんで保健所に持って行ってもらったんだ。(僕は数まで聞かなかった。)

そういうこともあったんで、この辺では、猫の飼い主が私と裏の○○さんち。あそこは首輪をかけて家の中で飼っているね。で、うちに苦情がくるんだな。

というのもそのご主人は町内会長でもあったんで、たまたまなのか、苦情引受人で文句が来ているというわけだった。

***********

ミーシャが庭に子猫を連れてご飯を食べにくる、子猫らも母親のようにミーシャについて回り、ご飯の時もミーシャがいると安心するのか逃げたりしない。

まったく母親だと思っている。食べた後は無邪気に遊びまわる。

ミーシャも自分が産んだ子供たちが戻って来たととても喜んでいる(顔を見ても分からんけれど)。

ミーシャは、ご飯をむしゃむしゃ一緒に食べたり、子猫らがじゃれ合って遊ぶのをじっと見ている。こ猫らは暑くなると小屋の下に潜り込んで休んでいる。

ここまでが物語 その7 のお話です。・・・続く 


その6:ニャンコの物語(出演者?の紹介)

2024-07-17 08:32:20 | 手紙

人であるなら決して公にできないなぁ。公然わいせつ罪だな冒頭の写真。

雄トラがミーシャ(初めはトラの仕草に受け入れる様子も見せないし、まったく動じないのでマダムと名前にしたけど)に マウンテングしようとする写真。

***********

僕が初めてリコと名付けたニャンコが縁側にきちんと座って、引き戸のこちらを見ていたのは良かったのだけれど、相方を連れてくるようになったのは年度はじめころ。

後でこれが茶色で雄だとわかったのでトラと名付けた訳。 

***********

お話がそろそろ さよならなので出演者?の写真を掲載したい。

◆1人目(正しくは1匹目~以下同じ)

 リコです。利口なので雌です。年度初めに初めて現れた。頻度はすくなくなったが、今でも毎朝にトラと共に現れる。彼女は賢い。僕がそう思っているだけなのか、一人で来たとき必ず餌を少し残すのです。

誰かに(他の猫に)食べ物あったよ、あのおじさん又、出してくれてるよ、と どこかに知らせに行くのだろうか。

しばらくすると、決まって他のニャンコがそれを(残したものを)食べに来るのです。

ある時は相棒のトラであったり、しばらく後に子猫連れで現れるミーシャだったり。

◆2人目

 相方のトラです。雄の茶色で一応いさましく名付けた。猫パンチ得意? 繁殖時期になり行動大胆に。

リコとトラは兄弟なのか、夫婦なのか未だわからない。

初めはリコだけで、来てましたが、いつも殆ど一緒に行動しているようですが、それぞれ単独で来る時もある。

◆3人目

 やはり品がいい、飼い猫。筋向かいの家の猫と分かりましたが、こちらに来たときは勝手にミーシャという名前。

雄のトラが周りで発情してうろうろしても何ら動ぜず、受け入れもせず。それで初めマダムと付けたんだけど、ちょっと品良くミーシャとした。

***********

初めのころミーシャは後発来会者なので、先人?のお二人の食事の終わるのをいつもじっと待っていたのだ。

確認の後、数日後子猫を食べさせる為に連れてきたのだった。

◆4人目

謎の白猫***

その後、ある日、その日1日だけだったけれどミーシャだけで来ていた時に彼女(ミーシャ)が小屋の視覚から外れた処をず~と見つめていた。

そこにその後一度だけしか見ることができなかった白猫が座ってミーシャの方を眺めていたのだ。

どんな会話をしたんだろうか。

このとき以降、白猫をみることはなかった。

日にちは前後するが、この白猫以降だったと思う。ミーシャが子猫を引き連れて現われ始めたのは。

***********

いよいよ、お話は終わりに近づきましたが、ニャンコのお話 その6 はここまでです。・・・続く


その5:ニャンコの物語(お話の展開2)

2024-07-16 08:45:40 | 日記

 トラの猫パンチ。見つめるリコ。 

一応、トラは雄だから、「リコ、ちょと待ちなこいつにちょと焼き入れる」と、言うような会話があったかどうか分からんけれどカメラを向けると猫パンチを噛ましてきた。

すべてかどうか分からないけれど、飼われていない動物たちは、ご飯を提供してくれても警戒はする。

テレビで猫が手なずけられるように、人にナデナデされるまでの頑張りをする番組があった。要は、餌をあげつつじっと何日も共生し、お互い気を許すまで頑張る。

すみません、当方は猫屋敷にもしたくないし、猫を飼うつもりもない。ただ、生態観察のつもりでちょとだけ餌をあげてからの縁となったのだ。

餌を与えなければ来なくるのだろうけれどね。

***********

僕が不在の時、暑い日には小屋の下の涼しいところで休んでいるようだ。

 ご飯を食べたあとは決まって、運動具のピューマのマーク(これは走っている姿なのだが)のように大きく背伸びをする。

大きなあくびも・・・。

動物写真家の岩谷光昭さんだったら、かわいい子猫で・・・今、この地でも『かわいい子猫』の写真展が開かれているけれど、こんだけ一時に庭に集合されて、ミーシャがいるときはじゃれ合って遊び回っている子猫たちを見ていると癒やされる気持ちがだんだん不安になってくるたのだった。

添付の写真の他にも、写真は撮った。暑いときは縁側の平たい大きな石にお腹をつけて休んでいるし、長い草はの茂みにまったりと休んで居眠りをしている。

僕は何も気にかけなかったが、これが問題のようなのであった。

***********

先に書いた不安とは・・・狭い人という動物の住宅世界に住むということ。

かわいいだけではいけていけない。ご飯だけではいけていけない。人と言う動物社会で生活できなければ生きていく資格がない。・・・という訳だ。

その5のお話はここまで・・・続く