沖縄ジョン万次郎会講演会開かれる、亀島靖氏が講演
第11回沖縄ジョン万次郎会講演会が9月24日午後、沖縄県豊見城市社会福祉協議会ホールで開かれた。劇作家で著名な琉球歴史研究者の亀島靖氏が講演し、聴衆で会場はいっぱいとなり、万次郎に対する関心の高まりを示した。
講演会は、赤嶺光秀会長が挨拶、宜保晴毅市長ら来賓が挨拶した。オープニングで、市内豊崎小学校の愛唱歌「未來への扉~ジョン万次郎からのメッセージ」(2014年度6年生一同が作詞・作曲、嶺井るみ先生が編曲)と歌手の三田りょうさんが歌う「ジョン万次郎の歌~忘れはしない胆心(ちむぐくる)」が紹介された。
亀島氏は「琉球歴史の謎とロマン~日本の夜明けに貢献したジョン万次郎と牧志朝忠~」と題して講演した。亀島氏は5つのキーワード「黒潮」「クジラ」「牧志朝忠」「明治維新(島津斉彬)」「産業革命」を軸に話した。
万次郎が漁船で遭難した当時は異常気象で、通常は北に流れる黒潮が南下し蛇行していたため万次郎らは助かったという。黒潮の三大動物の一つがクジラで、当時のアメリカは捕鯨が重要産業であり、鎖国していた日本に捕鯨船が寄港できるように日本に開港させるためペリーが派遣され、琉球に先に来たこと。琉球が異国の人も来るものは拒まず迎える精神をもっていることをイギリスから琉球に来たバジル・ホールの航海記を読んで知っていたとのべた。
万次郎は、ペリーの来る前年、琉球に上陸したが、鎖国の日本に上陸すれば打ち首にされるかもしれない最悪の事態を想定し、一番上陸しやすい国として琉球に来たが、バジル・ホールの本を読んでいたと思われる。万次郎は、「ABCの歌」をはじめて日本に紹介し、初めてネクタイをし、初めて蒸気船に乗り、初めて近代的な捕鯨術を習得した日本人でもあるとのべた。
ペリーの来琉のさい対応した牧志朝忠(まきしちょうちゅう)は北京に留学して中国語、ロシア語、英語も学び語学の才能があり首里王府の外交を担当していた。万次郎が滞在したさい、世界の情報や本も提供された朝忠はペリーに会ったさい、「アメリカは一農民が選挙で国王になれる」と話し、ペリーは琉球の役人がジョージ・ワシントンのことを知っていることに驚いたという。
ペリーは、「これから日本に向かうが幕府が敵対すれば艦砲射撃で江戸を焼け野原にするつもりだ」と朝忠に話したので、朝忠はすぐ那覇にある薩摩藩の出先機関である在番奉行所に伝え、早船、急便で情報が広島にいた島津斉彬に知らされ、すぐ幕府に伝えたので、幕府はペリー艦隊が来てもお台場で砲撃をしないで迎えることになったという。
当時の琉球は中国から国王として認証される冊封(さっぽう)を受けたが、中国は琉球を支配する国とは見ていない。琉球は中国の属国ではなかった。琉球から毎年7名、7年間の留学生を受け入れ国費で学ばせるなど、とても厚遇した。その背景に火薬の原料となる琉球の硫黄が欲しかったことがあるとのべた。
亀島氏は、RBCラジオ「おもため歴史ゼミナール」で毎日話しているだけに、とてもわかりやすく面白い内容の講演だった。
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